タグ

資料に関するsoundseaのブックマーク (82)

  • シン・ゴジラの折り紙 - みたにっき@はてな

    今年の夏の話題作、映画「シン・ゴジラ」のエンドクレジットに「資料協力」の名目で名前を載せていただきました。 あくまで映画製作に必要となる資料の1つに、私がWebページで公開している折り紙の展開図が含まれた、という程度の関わりであり、制作に直接関与したわけではありませんので、誤解ありませんように。 実際に上映されたものを見るまで、どのように折り紙が登場するのか、まったくわからない状態でした。 シン・ゴジラの冒頭のシーンで折り鶴が登場するなど、ストーリーの中で「折り紙」が1つのキーワードとして関わってきます。 全体からすると、映像として登場するのはほんの一瞬で、意識して見ないとなかなかわからないですが、パンフレットを見ると、かなり大事な位置づけで企画されていたのかなと思われます。 登場した紙の折りたたみ形態は2つ。それぞれ、次の展開図から折りだされるもののようです。 (左側のものは 「異種蛇腹

    シン・ゴジラの折り紙 - みたにっき@はてな
  • 【みんなの知識 ちょっと便利帳】変体仮名(へんたいがな)- 「わ行」「ん」「合略仮名」

    変体仮名(へんたいがな)の、「わ行」と「合略仮名」などの一覧です。 変体仮名は、ここに上げた以外にも書き方がある場合があります。また、崩し方によって文字はさまざまで、これは一例です。変体仮名は、異体仮名(いたいがな)とも呼ばれます。 変体仮名(へんたいがな)とは、平仮名(ひらがな)の字体のうち、一音一字に統一された1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正以降の学校教育で用いられていない平仮名の総称です。 平仮名の旧字体などと言う方もいらっしゃいますが、平仮名に旧字体という言い方はありません。 平仮名と漢字を表示している表の一行目は「読み方」、二行目は「変体仮名」、三行目はその仮名の基になっている「字母(じぼ)」「字源(じげん)」です。 このページの変体仮名のフォントの一部は、「Koin変体仮名」「奔行かな」及び、IPA情報処理推進機構による「MJ文字情報一覧表変体仮名編」「NINJA

  • sis_sisさんの『御召艦比叡に和食料理人として乗り組んでいた曽祖父の話』

    sis_sis @sis_sis いつも「お前、何者?」、「こいつ誰やねん」感を漂わせている、キャリアだけは無駄に長いプロカメラマン。 お左翼様からは蛇蝎のごとく嫌われ「冷やしカレーマン」という蔑称で呼ばれることが多々。 ツイートウォッチャー歓迎だけど、忖度も受けずに好き勝手に書いているので「うわー、こいつうぜえ」と思ったら遠慮なくフォロー解除を。 amazon.jp/hz/wishlist/ls… sis_sis @sis_sis 昨日は忙しくて書けなかったけど、戦艦比叡がお召し艦として使われた際に和料理人として乗っていた曽祖父が同じような立場の洋料理人から聞きだしたというアイスの件。砂糖と蜂蜜の併用なのです。陛下にお出しになる際の砂糖は和三盆だったようですが、普通の砂糖でも代用可とされていました。 2014-05-20 14:44:54 sis_sis @sis_sis ただ、やは

    sis_sisさんの『御召艦比叡に和食料理人として乗り組んでいた曽祖父の話』
  • 「知恵ノート」は終了いたしました - Yahoo!知恵袋

    平素よりYahoo!知恵袋をご利用いただきありがとうございます。 2017年11月30日をもちまして、「知恵ノート」機能の提供を終了いたしました。 これまでご利用いただきました皆様にはご迷惑をおかけすることとなり、誠に申し訳ございません。 長年のご愛顧、心よりお礼申しあげます。 引き続き、Yahoo!知恵袋の「Q&A」機能をご利用ください。 Yahoo!知恵袋トップ 知恵ノートサービス終了のお知らせ プライバシー - 利用規約 - メディアステートメント - ガイドライン - ご意見・ご要望 - ヘルプ・お問い合わせ JASRAC許諾番号:9008249113Y38200 Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

    「知恵ノート」は終了いたしました - Yahoo!知恵袋
  • 家紋の話あれこれ2015年 - 家紋の総合メーカー 株式会社 福寿院

    ↑他のページには上のメニューからお進みください 家紋の話あれこれ2015年 このページでは、家紋についての話をあれこれ書いていきたいと考えています。 お客様からよくあるお問い合わせに関することや、家紋を使う際の基礎的な知識、珍しい家紋のご紹介などを、少しずつ書き加えていきたいと思います。 ※新しい記事が、一番上に来るようになっています。 44,「刀剣乱舞」② 弊社から1時間強ほどのところにある、富士山五合目富士宮口へ至る富士山スカイラインは、冬季は積雪と凍結の為、通行禁止となります。 その直前に五合目まで登ったところ、雲海に西日が差して、とてもきれいでした。 さて前々回、「刀剣乱舞」というゲームに使用されている紋について、少し書かせていただいたところ、興味を持って下さった方が多かったようです。 日独自の家紋という文化が、少しでも多くの方に身近に感じていただけるなら、微力な私ですが、頑張ら

  • 武家の家紋_伊達氏

    伊達氏は戦国大名のなかでも、もっとも家紋の数が多い家である。伊達氏の紋のひとつひとつをみると、家紋がどういうものであるのかが分かってくる。 まず、伊達氏の使用紋を全部あげてみると、(1)十六葉菊(2)五七桐(3)蟹牡丹(4)竪三つ引両(5)竹に雀(6)九曜(7)鴛鴦の丸(8)ナズナ(9)雪に薄 等である。 このように紋が多いのは、それだけ歴史が長く、伝統がある家であることの証でもある。紋にはそれぞれいわくがある。たとえば「三つ引両」は始祖が源頼朝から下賜され、「菊」は皇室から賜ったというが、ともに確証があるわけではない。また伊達氏は桓武平氏流伊佐氏の後裔とする説もあり、それを語っている紋が「九曜」である。また、「竹に雀」は上杉氏に養子を入れようとしたときに頂戴したものだ。そして、伊達氏はこれらの紋をそれぞれ適当に使い分けているのである。 「菊」は皇室。「桐」は豊臣家、「牡丹」は近衛家、「三

    武家の家紋_伊達氏
  • 後藤宗家 - 彫金家の家系

    後藤宗家は、始祖の祐乗から第17代の典乗まで続いた。6代栄乗のとき、家康より幕府の分銅大判改め役および彫物役に任命された。 後藤祐乗肖像 (1440 - 1512) 後藤基綱の子として永享十二年 (1440) に生まれ、出身は美濃国といわれる。 幼名・経光丸、通称は四郎兵衛、名は正奥。剃髪入道してから祐乗と号す。 足利将軍家より扶持を受け、義政の側近として仕えた。 従来の美濃彫りの様式を集大成して新機軸を編み出し、「後藤風」を確立した。 祐乗の作品に有銘のものはなく、そのすべては後藤家後代の人たちなどが極めたものである。 祐乗の次男で、二郎という。宗祐とも号した。40歳で剃髪入道して宗乗と号す。 作柄は父に似ており、さらに洗練されているといわれる。(ただし、加納夏雄は「宗乗の彫は祐乗に似て穏やかに大様たる彫方なり。龍獅子の類祐乗より大形にして 肉合低し。品格ある作なり。然し父祐乗に及ばず」

    soundsea
    soundsea 2015/09/19
    江戸時代に札がつくような価値のある目貫をつくるとされてたの、こことあと2つぐらいしかなかったという記述がどっかにあったと思ったんだ……
  • その刀、燭台切につき。ー政宗と水戸黄門を結んだ刀ー | yuhkitakada

    刀剣乱舞というネットゲームから、政宗が「燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)」という刀を持っていたということを知りました。 政宗副担としてはいてもたっても。 あいにく刀に興味はなく、あいかわらずの資料好きなのですが、うちの燭台切はカンスト、現在二人目が特越え…。いつもクールに桜ふぶいてて、かっこいいよね! 以下、調べたことの覚えがきです。長いので、これ(=漫画)向きかな。 Q:「燭台切」という言葉が確認される文献はどれ? 「武庫刀纂」(ぶことうさん)という刀アルバムです。 原は茨城県水戸市の徳川ミュージアムにあります。 「武庫刀纂」は、水戸藩8代藩主斉脩が水戸徳川家伝来の刀剣について後世に伝えるため編纂し文政6年(1823)に絵師に描かせた書です。(展示キャプションより) Q:その、信用できるの? は信用できますが、中身は伝聞なのでどうだろ? このは、政宗が死んだあと約180年た

    その刀、燭台切につき。ー政宗と水戸黄門を結んだ刀ー | yuhkitakada
  • 伊達家

    soundsea
    soundsea 2015/04/26
    家系
  • 江戸時代の物価表

    ※ 江戸時代の前・中・後期頃と平均貨幣価値の物価基準に基づいて換算します。 金 1両 = 金・銀 4分 = 金・銀 16朱 = 銀 60匁 = 寛永通寶 4千文 = 天保通寶 40枚 明治政府 旧金 1両 = 新 1円 = 金 1.5g ( 慶長大判 金 1両の 1/10 金含有量 )

  • http://www1.odn.ne.jp/~cag38460/public_html/02sei1.html

    soundsea
    soundsea 2015/04/24
    松平という姓について
  • 国立国会図書館デジタルコレクション

    soundsea
    soundsea 2015/04/24
    刀剣談
  • 大菅桐ヶ谷館、大和田城、菊水山城、小御門城、城の腰城、助崎城,、高岡陣屋、高倉目代陣屋、名木城、名古屋城、西大須賀城、

  • 明治時代年表 / 坂の上の雲マニアックス

    明治天皇御誕生の1852年(嘉永5年)から1912年(明治45年)までの出来事・事物起源・話題や衣住の生活様式の変遷などをまとめた年表です。 明治は、日人のなかに能力主義が復活した時代であった。 能力主義という、この狩猟民族だけに必要な価値判定の基準は、日人の遠祖が騎馬民族であったかどうかはべつにせよ、農耕主体のながい伝統のなかで眠らされてきた。 途中、戦国の百年というのが、この遺伝体質をめざめさせた。 そのなかでも極端に能力主義をとったのが織田軍団であり、その点の感覚のにぶい国々を征服した。 能力主義の挫折は織田信長自身が自分の最期をもって証明したが、しかしかれがやった事業は、秀吉や光秀たちの能力伝説によって江戸期も語りつがれた。 能力主義を大勢として否定した時代で、否定することによって封建制というのものは保たれ、日人たちはふたたび農耕型の精神と生活にもどった。 それが三百年近

  • 関東大震災 - 地図と写真のデータベース

    東大震災 - 地図と写真のデータベースは関東大震災を視覚的に捉えるために地図に写真を落として、その場所でなにが起きたのかを見ることができるシステムです。 元になる地図として採用したものは4種類 (地図一覧) ですが、このうち、関東大震災直後に陸軍陸地測量部が被害地を調査した「震災応急測図原図」と火災延焼の流れを地図に表した震災予防調査会制作の「火災延焼動態図」は、震災直後の被害の状況を地図化した情報価値の高い特殊な地図です。 それらの上に落とした写真は、焼失跡地を空から撮影した航空写真と地上 で直接対象を撮影した絵葉書写真が中心です (写真資料一覧) 。 これらの地図と写真類を重ね合わせて、ある場所でなにが起きていたのかがわかれば、関東大震災という大災害への理解を具体的に捉える第一歩になると考えました。 © 2008 Kanagawa University 21st Century

  • 鶯丸友成という太刀

    参考文献リスト(順不同) ・『日刀大百科事典』 福永 酔剣 雄山閣出版 ・『皇室・将軍家・大名家刀剣目録』 福永 酔剣 雄山閣出版 ・『図解 日刀事典―刀・拵から刀工・名刀まで刀剣用語徹底網羅!!』 歴史群像編集部 学研マーケティング ・『勝山藩古事記』 安田仁一郎 勝山藩古事記協賛会 ・『昭和大名刀図譜 坤』 間薫山 日美術刀剣保存協会 ・『皇室の至宝 御物(4)』 至宝委員会事務局 毎日新聞社 ・『刀剣一夕話』羽皐隠史 嵩山房 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955044 ・『福井県史 通史編3 近世一』 福井県編 http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T3/T3-00.htm ・『福井県史 通史編4 近世二』 福井県編 http://www.archives.pref.fuku

    鶯丸友成という太刀
  • 『【日本刀・拵え】上杉謙信公好みの刀と合口拵え(2012/10/08追記)』

    【お役立ち処】よりきあん見聞録!徒然なるままに日暮らし、心に映りゆく由無し事を綴ります。 たまにマニアックな話も。反響を見ながら出来るだけ軽くて分かりやすい正確な内容を心がけます。 「突っ込み大歓迎!」ディベートは大好きです。 「秩父大菩薩」の刀身彫刻がある「謙信景光」が殊に知られる上杉謙信公の愛刀。 愛刀家として知られた謙信公は多数の名刀を所有し、好みの刀装を作らせております。 刀装は大抵分離し行方不明になったり、刀もその時の用途に応じて短く磨り上げているのが常です。 ところが、上杉家ではそのような事はせず、謙信公重代の刀剣、刀装は現状保存に努めてきました。 謙信公遺愛の装束、文書、甲冑なども同様に現状保存です。ですから上杉家には非常に貴重な歴史的資料が残っております。 織田信長が贈った洛中洛外図は近年補修され国宝になり、上杉家の古文書も国宝になりました。 上杉家文書には、当時の封書様式

    『【日本刀・拵え】上杉謙信公好みの刀と合口拵え(2012/10/08追記)』
    soundsea
    soundsea 2015/03/31
    明治天皇の上杉家での刀剣鑑賞のはなし
  • 残したい道具(お膳) Vol.81~84 【Kasane】 山久漆工株式会社

    「お膳を使っていた時代」 今回から4回にわたり、ライフスタイルの変化とともに忘れられようとしている「お膳」についてご紹介したいと思います。 特に地方では30年前ぐらいまで、婚礼や法事などまとまった数のお客様をご招待する行事を自宅で行うことが一般的でした。その際のおもてなしに「お膳」が使われました。当社では製品としてつくる一方で、自社内にお客様をご招待する行事で「お膳」を使っていました。 先日、当時使用していた「お膳」や一緒に使う「八十椀(はちじゅうわん)」、「猪口(ちょく)」といった器を30年ぶりに使う機会がありました。伝統的な木製漆塗りの器は、製作して50年ぐらいになりますが、今でも形の狂いがなく、漆黒のツヤの輝きも変わらない器を目にして、当時の職人の確かな仕事ぶりを感じました。 「八十椀」は8つの器を重ねたりはずしたりして蓋にも取り皿にも使える機能的な器です。黒の漆塗りで、渕には磨き蒔

    残したい道具(お膳) Vol.81~84 【Kasane】 山久漆工株式会社
  • 図録▽日本人の食卓の変遷

    戦後まもなく生まれた我々の世代にとって郷愁を呼ぶ家庭のイメージはチャブ台での事である。チャブ台とは畳の上での利用を前提とし、円形の甲板に折り畳みが出来る脚をそなえた場合が多かった床座式の卓であり、頑固親父が家族に怒って、上に並べられた料理器とともにチャブ台を一気にひっくり返すシーンがテレビのお笑いコントで何回も繰り返された。 ここでは、国立民族学博物館の研究班が行った調査結果から、チャブ台以前に長く日人の卓の主流であった銘々膳(一人一人の膳)からチャブ台を経て、椅子式のテーブルへと変遷していった日人の卓形式の変遷を図録とした収録した。 銘々膳は今でも旅館での宴会などにその形態を残しているが、個人個人の事が膳に盛られており、器・箸が入った箱が膳になる箱膳が庶民の世帯では主流であった(使用人のみが箱膳であるような場合もあった)。 「箱膳を使用した場合、膳とそこに格納された

  • すみだあれこれ/すみだの大名屋敷/水戸藩下屋敷