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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (33)

  • メイクと実存 - 傘をひらいて、空を

    年に一度、友人にメイクを習いに行く。友人は何段にも分かれたメイクボックスを持っていて、いくつかの色をわたしの顔にあてる。彼女は眉の描き方を修正し、アイカラーとアイライナーを変えて塗り方を教示し、新しいアイテムとしてハイライトをわずかに使うことを提案して、実際に塗ってくれた。 わたしは彼女の指示をメモする。彼女がつくってくれた「今年のわたしの顔」を撮影する。彼女はアイカラーをふたつくれる。いくらでも買っちゃうから、もらって、と言う。メイクボックスの薄べったい抽斗に目をやると、ずらりとアイカラーが並んでいる。必要があってこんなに買うのではないの、と彼女は言う。だからあげても問題はないの。コスメを買いすぎるのはね、実存の問題ですよ。 実存の問題、とわたしは言う。実存の問題、と彼女も言う。そうしてぱたりとメイクボックスを閉じる。 わたしは母の鏡台を思い出す。父方の祖母のお下がりで、ものすごく古かっ

    メイクと実存 - 傘をひらいて、空を
  • 呪いをかけられなかった娘 - 傘をひらいて、空を

    三十歳前後からまわりの女たちの半分くらいが変な感じになった。結婚するとかしないとかできないとかしたくないとか、そういうことをやたらと言うようになった。わたしは全員に「そお」とこたえた。そんなの好きにすりゃあいいじゃんねえ、と思った。日における結婚は自由意思に基づく契約行為である。契約内容は民法で決まっていて、その効力は当人二名のあいだに及ぶ。それから養育される子どもや相続が発生しうる親族には関係がある。でもそれ以外にはまったく関係がない。どうして契約主体でない他人の結婚をとやかく言うのか。まして友人結婚相手なんか完全にどうでもいい人である。そんなのをやいやい話の種にするなんて変だなと思った。 結婚しないのかとわたしに訊く友人もあった。わたしは何も考えず「しない」とこたえた。どうしてと問うので「必要ないから」とこたえた。あれはないわ、と同席していた別の友人があとから言った。あれは嫌われる

    呪いをかけられなかった娘 - 傘をひらいて、空を
    steam-punk
    steam-punk 2019/08/14
    世の中に怪談話は数あれど一番怖いよ私は人が
  • 送り盆の日 - 傘をひらいて、空を

    ときどき、自分の頭に不満を持つ。私が考えたいこと、覚えていたいこと、想像したいことに脳が追いつかないときに、不満を持つ。頭が悪い、と思う。誰と比べて、というのではない。私の欲望に対して、私の頭が、悪い。 夜の夢はあまり見ない。年に何度か、ほとんどはとても単純な、パターン化された夢を見る。半分ちかくが逃げる夢で、半分ちかくが人の死ぬ夢である。要するに私は、逃げてきて、そして、死んだり死なれたりするのが怖いのだろう。ひねりがない。恐怖にクリエイティビティやオリジナリティがない。 人が死ぬ夢は近ごろ簡略化されて、すでに死んだ人が出てくるようになった。死んだ人が隣にいて、私はその人が死者だとわかっている。そういう夢である。複雑なストーリーなどはない。ただの一場面である。 人と並んで歩くときの位置は決まっている。私が左側である。どういうわけか自分でもわからないが、ずっとそうしている。右に人がいると落

    送り盆の日 - 傘をひらいて、空を
    steam-punk
    steam-punk 2019/07/17
    一年で夢を見る右脳のために、こういう日がたくさんあるといい
  • 親密さの設計 - 傘をひらいて、空を

    二十歳のとき、「作戦を立てずに生きていたらいずれ人間関係がなくなるな」と思った。わたしは基的にひとりでいたかった。自分の家族を持つにしてもひとりでいる時間はほしいと思った。昔の村社会みたいなところに所属するのはいやだった。でも完全にひとりになるのがよいのではなかった。 個人としてぶつかるあらゆる問題のもっとも身近な対処例は親だ。わたしの親はたがいにいくらか親密に見えて、あとは数名の親戚があった。母親には年に二度ばかり会う友人が一人いて、ほかにも少しは知り合いがいるようだった。父親は会社の人間関係と自分のきょうだい以外に親しく口を利く相手はいないようだった。会社の人間関係は退職したらそれきりだろうというのもよくわかった。両親にももちろんその両親がいたが、いずれもすでに亡かった。 わたしは思った。この人たちみたいなのは、無理だ。両親のたがいの親密さもさほど強くないように思われるのに、近所づき

    親密さの設計 - 傘をひらいて、空を
    steam-punk
    steam-punk 2019/07/04
    なかよしデザイン
  • 好意なし、友情あり - 傘をひらいて、空を

    いや、みんな、だいたい、おたがい、知ってます。部下がそう言うので、ははあ、とわたしは返した。間抜けである。部下は笑った。うちのチーム、お互いの私的な事情はだいたいわかってます。もちろん、濃淡はあるけど。「あの人は今年お子さんが受験だ」とか、「あの人はがんが見つかったけど今のところ仕事は可能」とか、「あの人が母と呼んでいる人は二人いる」とか「あの人の前夫は暴力を振るう人間だった」とか、そのくらいはわかってます。なんならわたしがソシャゲに毎月何万も課金してて、そのためにランチは滅多に外しないってことも、みんなわかってます。マキノさん、メンバーがお互いのプライベートを把握してるって、知らなかったんですか。 知らなかった。私は人の気持ちに疎い。同僚の誰と誰の仲が良いか程度のことさえわからない。自分の気持ちしかわからない。私が管理する部署の人員はやや若年が多いが、おおむね老若男女いて、険悪ではない

    好意なし、友情あり - 傘をひらいて、空を
    steam-punk
    steam-punk 2019/06/24
    マキノさんは槙野さんなんだろうか。だとしたらマキノさんはどうして文章を書くんだろう。根は、人のことが好きなんだと思う。
  • 蟻の女 - 傘をひらいて、空を

    これからこの女とセックスするんだと思った。これは知らない女で、今からやってカネをもらうんだと思った。そう思わなければ50センチ以内に近づくことができなかった。実際のところ、セックスなんかぜったいにする気はなかったし、その「女」は僕の母親で、その場所は僕が高校生のころまでいた、いわゆる実家で、そうして僕はこう言ったのだ。肩もんであげようか。 女親の肩を揉むことが僕には知らない女とセックスするよりはるかに大変な行為なのだった。かわいそうにね。かつて僕にカネを払ってホテルに連れ込んだ女がそう言っていた。お母さんに一度も頭を撫でてもらえなくて、かわいそうにね。でもわたしはあなたのこと嫌いだから帰るわ。 そのころ僕は大学生で、女と寝てカネを稼いでいた。僕はたいそうな大学に通っていて気が利いて顔も悪くない若い男で、だから上等だった。僕は高く売れた。女なんか簡単だった。僕みたいなのを好むタイプをフィルタ

    蟻の女 - 傘をひらいて、空を
  • 今じゃなければ、さよならだ - 傘をひらいて、空を

    子どもが泣いている。大人たちは笑っている。子どもは三歳半である。身も世もない、それはそれは悲しそうな泣きぶりである。 女友だちが寄り集まって小さい子たちを連れてピクニックに出かけた帰り、電車に乗って順次解散しているところである。いちばん小さな三歳半の子は、そのほかの誰と別れるときにもバイバイと言って平気で手を振っていたのに、ひとりだけとても好きな女の子がいて、ぜったいにバイバイしたくないと泣いているのだった。 いくら泣いても大人たちは笑っててきとうにごまかして彼の手を引いて歩く。バイバイと言わなければ別れは来ないと彼は思っていたのかもしれないけれど、もちろんそんなことはない。いなくなる。さっと手を振って泣いている彼を放ってあっというまにいなくなる。 彼はまだ泣いている。彼は彼女とどうしても別れたくなかったのだ。子どもに未来の感覚は薄い。今でなければないのと同じである。だからどれほど「またね

    今じゃなければ、さよならだ - 傘をひらいて、空を
  • マジョリティの地獄 - 傘をひらいて、空を

    背後から女の声が聞こえる。 私は男に生まれなくてよかったと思うよ。私が男だったらさあ、ちやほやされて育って、ぜんぜん挫折しないもん。女の子にもモテる。もう絶対モテる。それでナチュラルに威張る。家庭のことは結婚相手に丸投げして、「子どもの教育はお前の仕事だろ」とか言って、脱いだ下をそこいらに置き去りにして、家族みんながびくびくして自分の機嫌を取るようにしむける。なぜなら私には、社会に甘やかされながら社会の矛盾を考える能力はきっとないからだよ。私は自分が女に生まれて、いくつか不運なことがあって、割りをっているから、だから思考しているんだよ、自分のために。優遇されていたら今ごろは根拠のない優越感をぶくぶく太らせて精神が脂まみれになってるね、まちがいない。 それは僕の父である。 もちろん口には出していない。内心で思ったことだ。その声は僕の背後で、僕でない人物に向かって発せられていたのだし、声の

    マジョリティの地獄 - 傘をひらいて、空を
  • 影を買う - 傘をひらいて、空を

    今年のクリスマスの準備は手間取った。 わたしの家のクリスマスは二十四日の前の週末だ。わたしが小さいときからそう決まっている。土日のどちらでもいいんだけれど、母が買い出しや料理をする時間を確保するためか、日曜日が多かった。父はだいたいいなかった。父は仕事が忙しいのだということだった。小さいときからそうだったから、いなくてかまわない。 母は三十四歳で死んだ。わたしが八つ、妹が六つ、弟が二つのときだった。それから三年間、お手伝いの人がおおまかな家事と弟のベビーシッターをして、それから、毎月のように叔母が来て、家のことをした。叔母は母の妹で、そんなに似た姉妹ではなかったけれど、それでも血がつながっていて、年の頃が近いから、雰囲気はそれなりに、ちゃんとしたおうちみたいになった。 母が死んで四年目に叔母は結婚した。父はわたしに言った。もうおばさんにいろいろお願いするわけにはいかない。よその家の人になる

    影を買う - 傘をひらいて、空を
  • 長い法要 - 傘をひらいて、空を

    もうすぐ帰国します。二週間ほどいるので、お暇な日を教えていただけませんか。日っぽいものがべたいな。 そのようなメッセージが入る。履歴をさかのぼると去年にも似たようなメッセージがある。その前は一昨昨年。海外に住む知人から、「帰国するから事でも」というメッセージが入ったなら、出かけていく人は多いだろう。 でもわたしは知っている。人間は、会わないで済ませたい人間には会わない。家族でも親戚でも親しい友人でもない相手に対する「帰国するから」ということばは意味のないエクスキューズにすぎない。彼女はわたしに、一年から二年に一度のペースで会うことを、かなり意図的にやっているのだと思う。 ごめんなさあい、お待たせしちゃって。彼女はよくとおる、ちょっと甘い声で言う。わたしは胸の中に冷たい水が満ちるように感じ、しかしそれが顔に出るような年齢ではもはやなく、ほどよい笑顔を彼女に向ける。 彼女は椅子を引く。わ

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  • 折り返し地点の転倒 - 傘をひらいて、空を

    寝苦しいのは冷房のせいだと思っていた。このところの気温の高さで、眠るときにも冷房をつけたままにしているからだ。でもそうではなかった。うとうとし、何度か目が覚め、そのたびに「悪い夢を見ているんだな」と思った。そうして何度目かに認めた。これは現実だ。 胃のあたりに焼けるような痛み、吐き気、背中を主とする全身のみしみしとした痛み。息をするのも不快で、でもしないわけにはいかない。しかたなく呼吸をする。眉間の少し下、鼻の隆起がはじまるあたりに痺れるような不快感が通る。鼻も口も肺もふだん軽々とこなしている仕事を不承不承やってくれているという感じだ。 一大決意をして立つ。歩く。「立って歩く」が重労働である。とにかく何もかもが痛いので、買い置きの痛み止めを服用する。この痛み止めを買ったのは十ヶ月ほど前、歯痛に悩まされたときだった。歯痛の原因は未だ不明である。歯科医に駆け込んだが、該当箇所に虫歯も歯周病も見

    折り返し地点の転倒 - 傘をひらいて、空を
    steam-punk
    steam-punk 2018/08/08
    養生してほしい。
  • バスタブの桃 - 傘をひらいて、空を

    丸ごと皮を剝いた桃を片手に湯船につかる。指の腹に果汁がじんわりしみる。肩から下の温度を感じながら白い桃を眺める。それからがぶりと噛みつく。わたしが動くと湯気がぼわりと揺れ、浴室に桃の匂いがたちこめる。入浴剤ともハーブのオイルともちがう、気性の激しい果実の香り。わたしは鼻孔をひらき、口をひらき、まぶたをゆるめ、歯を剥きだしにして桃をべる。 わたしが小さかったころ、「お行儀のない日」という祝日があった。親が口にする冗談みたいなもので、国民の祝日ではない。でも未就学の小さな子どもにとって、自宅での特別な日はそれと同じようなものだ。「お行儀のない日」は一年に二回くらい来た。今にして思えば、それは母とわたしをとても親密にした。 わたしの基的な生活習慣を躾けたのは父だった。父はまめな男で、家にいるときはしばしば掃除をしていた。手を洗うついでにシンクに残った器を洗うような人だった。幼いわたしは父に

    バスタブの桃 - 傘をひらいて、空を
    steam-punk
    steam-punk 2018/07/31
    わたしが小学生の頃風邪を引いて学校を休んだ日を思い出しました。
  • 八木さんのこと - 傘をひらいて、空を

    わたしの仕事を非難するとき、八木さんは必ずわたしの名を呼んだ。ーー藤井さん。独特の間をあけて、ゆっくりと発音するのが常だった。わたしの胃はひゅっと縮みあがり、冷や汗がどばっと出る。今度は何をしでかしたんだ、と思いを巡らせ、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、と後悔した。いちばんしんどいのは、わかっていてもクリアできなかった部分を指摘されるときで、八木さんは決まって「ご自覚もあることと思いますが」と言った。 八木さんはわたしにだけ厳しかったのではないと思う。長年のクライアントがよこした新人という、ものの言いやすい相手ではあったけれど、誰が同席しても八木さんは辛辣だった。仕事はとてもできた。非常に正確で、抜け漏れがなかった。八木さんに正解をもらえたら、だいたいOKだと思ってよかった。型のあっていない古くさいスーツを着て、おしゃれというものに縁がないから、うんと年長に見えたけれど、ほ

    八木さんのこと - 傘をひらいて、空を