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ブックマーク / www.nippon.com (10)

  • 日本SF大賞『大奥』:よしながふみの斬新さはどこにあるのか

    2004年から16年にわたり少女漫画誌で連載され、21年2月に全19巻のコミックスが完結したよしながふみの『大奥』。男女の立場が逆転した江戸時代を舞台に、徳川幕府の女将軍たちを巡る愛憎を描き、国内外で「改変歴史SF」としての評価も高い。青年漫画誌で連載中の『きのう何べた?』は中年のゲイカップルの日常を描く。両作品とも幅広い人気を得て、テレビドラマ化・映画化もされた。改めて、よしながワールドの魅力をひもとく。 男女の社会的地位が逆転 【以下の内容はネタバレを含みます。】 江戸時代の三代将軍家光の時代に、男だけがかかる赤面疱瘡(あかづらほうそう)がまん延し、男性人口は激減、百姓、商家、武家まで一家の大黒柱となる働き手や後継ぎを失う。家光もこの疫病で亡くなり、ひそかに家光の隠し子である娘が将軍職を継ぐ。やがて女将軍が当たり前の男女逆転の世の中になっていく。これがよしながふみの描く「歴史のif」

    日本SF大賞『大奥』:よしながふみの斬新さはどこにあるのか
  • レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん

    80年代半ば、レゲエ音楽にデジタル革命をもたらし、“モンスター・リディム”と称される「スレンテン」。その誕生の裏側には、カシオ計算機(社:東京都渋谷区)の電子キーボードと新卒の女性開発者の存在があった。スレンテンのルーツ・奥田広子さんが、初めてベールを脱ぐ。 スレンテンのルーツはカシオトーンの音源 ジャマイカのシンガー、ウェイン・スミスの『Under Mi Sleng Teng(アンダ・ミ・スレンテン)』は、レゲエの世界に革命をもたらしたと言われる。友人のノエル・デイヴィーと2人で、カシオの電子キーボードを使って作曲したダンスホール・レゲエだ。1985年に大ヒットすると、デジタル音の心地よく、常習性のあるリズムは、またたく間に世界中に広がっていく。 レゲエでは、ドラムとベースのリズム体を「リディム」や「バージョン」、「オケ」などと呼び、これを繰り返すことで曲に鼓動を生む。同じリディムで複

    レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん
    stonedlove
    stonedlove 2022/01/04
    当時スレンテンがどんだけヤバかったを物語る映像→https://youtu.be/18TyzND-p8M
  • 生き延びるための奇跡 : 李琴峰 芥川賞受賞スピーチ全文掲載

    『彼岸花が咲く島』で第165回芥川龍之介賞を受賞した李琴峰。台湾出身初の同賞受賞者としても注目を集め、8月27日、帝国ホテル(千代田区)で授賞式が行われた。「生き延びるための奇跡」と題した受賞スピーチで、李琴峰は自らの生い立ちと悩み、文学との関係、台湾に対する思いなどを語り尽くした。洒脱に感謝を述べることが通例の文学賞のスピーチでは異例ともいえる内容に、会場は静まり返り、誰もがその独白に耳を傾けた。受賞決定後、ウェブ上で広がった自らへの「反日」批判に対しては「そのような暴力的で、押し付けがましい解釈は、まさしくこれまで、私が文学を通して、私の文学を通して、一貫して抵抗しようとしてきたもの」だと語った。受賞スピーチの全文をここで掲載する。 生まれてこなければよかった 「生まれてこなければよかった」 いつからそう思うようになったのか、もはや思い出せません。 「生まれて、すみません」ではなく、「

    生き延びるための奇跡 : 李琴峰 芥川賞受賞スピーチ全文掲載
    stonedlove
    stonedlove 2021/09/08
    絶対買って読む。ありがとうございます。
  • アイヌの子どもを支えて30年:文化奨励賞を受賞した「とかちエテケカンパの会」物語(前編)

    帯広市でアイヌの子どもたちに教育支援を行う「とかちエテケカンパの会」が2020年に設立30年を迎え、アイヌ民族文化財団の文化奨励賞を受賞した。「貧困と差別を次の世代に残さない」と懸命に活動してきた、これまでの歩みを追った。 「エテケをやる話が出た時、“マサヱのバカ、なぁにが子ども集めて勉強会だ”って、そこらの連中がみんなして悪口言ったんだ。ところがいざ始めたら、子どもがたくさん集まった。学校に行かんくても、勉強会には来たんだよ」 1990年6月から続くアイヌの子弟のための私塾「とかちエテケカンパの会」の会長の木村マサヱさん(72)は設立のころを振り返り、そう語った。「エテケカンパ」は「手を重ね合わせる」という意味のアイヌ語だ。子どもたちを守り、育んできたこの会にふさわしい名前に感じる。稿では、関係者やOBが略して語るのに倣い、以下、「エテケ」と記す。 とかちエテケカンパの代表、木村マサヱ

    アイヌの子どもを支えて30年:文化奨励賞を受賞した「とかちエテケカンパの会」物語(前編)
  • アートという“悪魔”に祝福された夫婦の記録 篠原有司男&乃り子

    ニューヨークで活動する日人アーティスト夫を描いたドキュメンタリーが2014年米アカデミー賞にノミネートされ、注目を集めている。逆境にも屈せず芸術の道を突き進む篠原有司男・乃り子夫に胸中を聞いた。 篠原 有司男 SHINOHARA Ushio アーティスト。1932年、東京都生まれ。通称「ギュウチャン」。東京藝術大学中退後、60年に赤瀬川原平、荒川修作、吉村益信らと「ネオダダイズム・オルガナイザーズ」を結成、過激な前衛パフォーマンスやジャンクアートで注目を集める。69年にジョン・D・ロックフェラー3世奨学金を得て渡米、以後ニューヨーク在住。2003年、大塚製薬「ポカリスエット」のCMで福山雅治と代表作「ボクシング・ペインティング」で共演。07年、第48回毎日芸術賞を受賞。12年ニューヨーク州立大学ニューパルス校ドースキー美術館で海外で初の回顧展を開催。 篠原 乃り子 SHINOHARA

    アートという“悪魔”に祝福された夫婦の記録 篠原有司男&乃り子
  • 和田彩花(アイドル)「アイドルが人として生きやすくなるためには」:犬山紙子対談 第2回

    コラムニストの犬山紙子さんが各界で活躍する、気になる女性に会いに行く新連載の第2回目は、犬山さんが大ファンだという、アイドルの和田彩花さんが登場。和田さんは次世代を担う30歳未満の若者を選出するフォーブス ジャパンの「30 UNDER 30 2020 JAPAN」を受賞。和田さんは次世代のアイドルに何を伝えていきたいのか、犬山さんはなぜ和田さんに惹(ひ)かれるのか。二人がこれからのアイドル論を語った。 和田 彩花 WADA Ayaka 1994年生まれ。2004年ハロプロ エッグ オーディションに合格。2009年アイドルグループ「スマイレージ」(のちのアンジェルム)の初期メンバーに選出され、リーダーを務める。2010年「夢見る15歳」でメジャーデビュー。同年スマイレージがレコード大賞最優秀新人賞を受賞。2017年ハロー!プロジェクトの6代目リーダーに就任。アイドル活動の傍ら、大学、大学院で

    和田彩花(アイドル)「アイドルが人として生きやすくなるためには」:犬山紙子対談 第2回
    stonedlove
    stonedlove 2020/12/25
    ルッキズムの弊害とメンタルケアの必要性。「歴史(知識)は私の味方だ」←パンチライン! テレビでたまたまやってた『アイドルと巡る仏像の世界』で和田さんのことは気になってたんだが、こういう人なんだね。
  • 川崎少年殺害から見えてくる日本「移民」社会の深層と政治的欠落

    社会を震撼させた残忍な川崎の中学1年生殺害事件。だが被害者、加害者の少年たちの生活環境を通して見えてくるのは、母子家庭、貧困、移民政策の欠如など、幾重にも重なった日社会の根深い問題だ。 社会につながることのできない少年たち 2015年2月20日未明、川崎市川崎区の多摩川河川敷で、中学1年生上村(うえむら)遼太さん(13歳)が亡くなった。全裸で真冬の川で泳がされたあげく、顔などを繰り返し切りつけられ、工業用カッターナイフで首を深く傷つけられたのが致命傷となった。近くに結束バンドが落ちており、膝にはあざがあった。手足を縛られ、膝をついた状態で暴行を受けたのではないかと推察された。 残忍さが際立つこの殺人に関与したのは3人の少年で、18歳の無職のAが主犯として殺人罪で逮捕された。両親と兄弟がおり、母親がフィリピン人だ。Aは高校を中退していたが、中学時代の同級生B(17歳)と、一歳年下で、別の中

    川崎少年殺害から見えてくる日本「移民」社会の深層と政治的欠落
  • 日本人として戦った、ある台湾人の戦争

    太平洋戦争中、日軍人として戦った外国籍の人たちがいる。日が統治していた台湾では、その数およそ20万人。しかし、彼らにとっての戦争は1945年で終わらなかった。生き残りの一人、呉正男さん(89)に話を聞いた。 1月の週末、東京都中央区での講演会に招かれ、30人ほどの人々を前にあいさつする呉さんの姿があった。 「少々珍しい経験をしたものですから、若い人たちから話をしてほしいと呼ばれることが多いんです」 講演会に招かれ、自らの戦争体験を語る呉さん(撮影・益田 美樹) 冒頭、ぴんと伸びた背筋と実年齢のギャップで参加者を驚かせ、その後2時間にわたって自らの戦争体験を語った。日人として太平洋戦争を戦い、その後も戦争の影を引きずらざるを得なかった体験だ。 台湾で生まれ日の軍国少年に呉さんは1927年、日統治時代の台湾南部で生まれた。両親とも台湾人だ。しかし、当時の台湾は、行政システムも含めて公

    日本人として戦った、ある台湾人の戦争
  • 映画『太陽の子』と台湾の先住民問題

    先住民に謝罪した蔡英文総統8月15日、台湾総統の蔡英文は、台湾東部の離島、蘭嶼島(らんしょとう)を訪れた。蔡英文の目的は謝罪だった。そこにはタオ族の人々およそ4千人が暮らしている。蔡英文は、民族衣装姿の頭目に向き合い、トレードマークのおかっぱの髪の毛が下がって横顔が見えなくなってしまうほど深々と、頭を垂れた。 蔡英文の選挙前からの公約だった先住民に対する謝罪。それは、8月1日に総統府で正式に行われた。台湾に54万人、16部族いる先住民の代表たちを総統府に招いた形での謝罪が、同じ先住民の一部からは「皇帝の拝謁(はいえつ)のようで差別意識の表れだ」と厳しい批判を招いた。しかし、全ての部族を一人の総統が回ることなど物理的に不可能であり、いささか批判のための批判という印象が強かった。先住民の中にもいろいろなグループがあるようだ。だが、総統が客人として先住民を総統府に招き、謝る。その意味は大きかった

    映画『太陽の子』と台湾の先住民問題
  • 映画『KANO』―甲子園大会で準優勝した台湾代表の物語

    台湾映画『KANO』が公開される。戦前、日の全国中等学校野球大会で準優勝した台湾代表の嘉義農林学校の物語だ。台湾在住のシンガーソングライター馬場克樹氏が、魏徳聖プロデューサーと馬志翔監督に話を聞いた。 魏徳聖 WEI De-Shen 1969年、台湾台南生まれ。映画監督、プロデューサー、脚家。1996年に林海象監督による日台合作映画『海ほおずき』でアシスタントプロデューサーを担当し、同年には故・楊徳昌(エドワード・ヤン)監督の『カップルズ』の助監督も務める。2008年に監督、脚を担当した『海角七号 君想う、国境の南』は、台湾映画史上最大のヒット作となり、台湾版アカデミー賞といわれる金馬奨で最優秀台湾映画賞を受賞。続く2011年の『セデック・バレ』でも、国内外で多数の映画賞を受賞。 馬志翔 Umin Boya 1978年、台湾花蓮生まれ。台湾先住民。先住民名はUmin Boya。俳優

    映画『KANO』―甲子園大会で準優勝した台湾代表の物語
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