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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (10)

  • なぜ日本人は哲学を必要としないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    人は集団を重視して強い個を好まない 西洋哲学が日の慣習に相容れない一番の理由は、西洋哲学が強い個をもとにしているから。日人は集団を重視して強い個を好まない。 哲学はさまざまな「他者」の多様な価値社会の中で、共通した基盤を作れないか、という強い願望から発達したもの。日人のようにハイコンテクストな社会ではその差し迫った願望自体を感じることができない。幸せなことに共通した基盤が湯水のように何の苦労もなく手に入る。日人は手に入っていることさえ気付かない幸福な状態にある。 最近は集団が解体しつつあるといいながらも、まだまだハイコンテクストな社会であることにはかわりがない。「空気をよめ」は、見ず知らずでも日人同士なら空気(コンテクスト)を共有できることが共有されていることを示している。 集団主義といいながら、確かに日人は西洋人より、他人に無関心、自分の利益優先、自己肯定がより強い面があ

    なぜ日本人は哲学を必要としないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜツイッターはなにも生み出さないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ツイッターは補助メディア pikarrr*1: ツイッターのいいのはフラットではないところだろう。有名人であり、知識人であり、実社会の実績、肩書きがきちんと評価される。糞も味噌も一緒でフラットな2ちゃんねるとは大違いだ。そもそもフラットであるとはみんなとても重圧なことだ。優秀な人についていきたい。 pikarrr: ツイッターで重要であるのはツイッター外である。ツイッターをどうも一つのメディアと考えてはいけないようだ。たえず外部との関係で、補佐的位置で意味を持つようだ。あくまで補助メディア。 pikarrr: ツイッターの最高の形はフォローする人がわずかで、大量の人にフォローされるマスメディア型だ。ツイッターのみではむずかしく、ツイッター外でいかに名を売るかが重要になる。すなわちツイッターは結果系のメディアだ。 kis*2: ツイッターがメインで、外部が補佐という考え方はどうでしょう? p

    なぜツイッターはなにも生み出さないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    suVene
    suVene 2010/04/04
    この引用だけ読むと「生み出す」或いは「補助」の定義自体がズレてるような気もするけど。
  • なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    マクロコンテクスト、ミクロコンテクスト 宝くじで一等にあたることは奇跡といってもよいだろう。そして人生さえもかえてしまう。しかし宝くじというシステムにとっては一等がでることは当たり前である。それを見越して収益が出るように統計的に設計されている。 たとえば飲酒運転の車に追突されてしまう。これは不幸でついていないことである。人生を狂わせて家族のその後さえも大変なものにしてしまう。あと少し時間がずれていれば事故にあわなかっただろう。しかしある交差点ではある確率で事故が起こるというような統計的な必然性があると言われる。 このようにミクロコンテクストでみると特異なことが、母数を増やして観測すると正規分布などの一定の分布に収まってしまう。だからマクロコンテクストではほんどの現象は確率論的な必然として回収されてしまう。たとえば背丈、あるいは性格、あるいは幸福な出来事も、不幸な出来事も、誰かに起こっただろ

    なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    suVene
    suVene 2009/09/24
    『「どんなにがんばっても生きることに意味なんかないのさ」。そこには私という存在は世界の中で特別でありたい、という思いが隠されている』
  • なぜムラ社会「2ちゃんねる」は終焉したのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    洗練されるネット社会 ブログをはじめてから5年、定期的にネット界隈について語ってきたが周りの様子も大きく様変わりしたなと思う。単にネットサービスの変化だけではなく、そこに「住む」人々の様相も変化した。たとえば、 ・ネット/実社会の境界が薄れた・・・かつてはネットというものに実社会とは異なるものを見いだしていた。 社会事態もネットというものを特別なものとして見ていた。もはやそのような境界は薄れている。 ・匿名性が薄れた・・・それとともに、ネットでは匿名であるということが薄れた。実社会を連続的にネットで生活する人々が増えた。 ・フレーミングが減った・・・かつては炎上といえば、議論の白熱のことであった。ネット上の議論は互いに真剣であるほどに白熱し、プライドをかけたものになった。しかし最近、炎上といえば、失言に対しての攻撃の意味であって、以前のような過熱した議論をみなくなった。ネット上のコミュニケ

    なぜムラ社会「2ちゃんねる」は終焉したのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    suVene
    suVene 2009/07/10
    タイトルの「洗練されていっている」という前提なのがおもしろかった。まだ中身読んでない。
  • なぜワイロはなくならないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    貨幣交換と互酬 貨幣交換と互酬(贈与と返礼)の違いは、貨幣交換は「相手が誰であろうが、等価として交換する」という、その場だけで成立するものです。近代以降の流動性の高い社会では、多くの初対面の人と交換を行う必要があります。そこではその場で成立する貨幣交換の「無時間性」は重要です。 それに対して、親友のためになにかをするのは、誰でもよいのではなく親友だからであり、またいつか同じだけ返してもらうためでもありません。親友としての関係性に価値があり、それは親友と過ごした時間、あるいはその家族、子供へと継続した時間に開かれています。たとえば親が子供を育てるのは将来、子供にその分を返してもらいたいからではなく、その子がまた子供へ贈与することを期待します。ここには未来に開かれた親密な関係があります。 これを言語論につなげると貨幣価値は「論理」的です。誰に向かって、あるいは歴史に関係なく、コンテクストに関係

    なぜワイロはなくならないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    suVene
    suVene 2007/09/08
    とてもおもしろいのだけれど、中国における賄賂と、資本主義が根ざした国との賄賂を同一に扱っているところが気になる。ここでいう「互報性」に深く関連するのは、中国のほうではなかろうか。
  • なぜ「恋愛格差」は幻想なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    恋愛」という幸福な時代の発明品 「恋愛主義」ということばが流行っていますが、「恋愛」とは資主義によって可能になった最近の発明品です。簡単にいえば、日において「(核)家族」はサラリーマンが全盛の高度成長期のときに生まれ、また「恋愛」がうまれたのは好景気80年代のトレンディードラマからです。 3高、ドラマのような恋愛結婚、年功序列、安定した家庭生活。これらは資主義的好景気と終身雇用にささえられたとても幸せな時代の産物と言えます。そしてその始めから欲望される対象として、「恋愛」は、恋愛格差、モテ/非モテの構造を持っていました。 社会性からの退避 最近のネオリベラル化による市場主義の中で、このような幸せな時代が終わりつつあります。幸福な夢が解体されると、社会的に自立を阻まれている日の女性は、いかにみずからの将来を安定させるか、選択を迫られます。数少ない条件のよい男性を求めて自分を研

    なぜ「恋愛格差」は幻想なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • まなざしの快楽 - なぜネットコミュニケーションは難しいのか 知ってほしいネットリテラシー

    言いたいことが伝わらない 最近ほんとにネットコミュニケーションの難しさを実感することが多い。とにかく言いたいことが伝わらないし、極端には逆の意味で伝わってしまう。これはもちろんボクの言語能力(国語力の低さは自覚しています)であり、人間関係の問題ではあるが、またネットコミュニケーションに内在するコミュニケーションの難しさでもあると思う。自分の反省も含めて、ネットコミュニケーションの難しさを語ってみたい。 コミュニケーションにおいて純粋なメタ位置は存在しない 精神分析と心理学の違いは、それまでの物理学と量子力学の違いに似ている。従来の物理学が対象を客観的な位置から観察するという科学的理念を実現するのに対して、量子力学の不確定性原理が示したことは、観察そのものが対象に影響を与えてしまい、客観的な位置を保つことが難しいことを明らかにしたことである。 心理学では科学的理念が目指され、いかに人間という

    まなざしの快楽 - なぜネットコミュニケーションは難しいのか 知ってほしいネットリテラシー
    suVene
    suVene 2007/03/08
    ちょっと論が荒削りだなぁ。
  • まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか

    いじめ対策としての異なるチャンネルの確保 いじめが問題になっているが、いかにいじめをなくすか、という論点は不毛なように思う。暴力などの犯罪行為ならいざしらず、無視、陰口などの集団的ないじめは、人間のコミュニティにおいて必然ではないだろうか。誰かを外部へ排他することが内部を形成する条件であるように思う。そしてだれが排他されるかは、偶然であり、だれもが排他される可能性がある。 様々に語られるいじめ対策の中で、比較的有効だろうと思ったのが、学校のクラスなどの小さな世界に埋没せず、異なるチャンネルを確保しようというアドバイスである。 自意識は1回性に支えられる 多くの悩みは他の人からみるとなんてことはない。なんでそんなことぐらいで、悩み、極端には死を選ぶのだろうかと思う。その程度のことは誰もが経験することで、そのうちなんとかなるよ。そんなに思い詰めない方がよい、と考える。 ここにあるのは、1回性と

    まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか
    suVene
    suVene 2006/12/20
    一回性と反復 / 『「コミュニケション難民」の潮流こそがネットの力の源』
  • 「なぜ若手が会社を辞めるのか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「成果主義と年功序列の“ねじれ”」 「なぜ若手が会社を辞めるのか?」が語られています。そしてその理由として、「成果主義と年功序列の“ねじれ”」が上げられています。 近年、日では年功序列制度が崩壊したと言われていますが、厳密に言うとそれは必ずしも正しくありません。年次管理による結果、平等的な年功序列賃金制度は1990年代に導入された「成果主義的賃金制度」により確かに崩れました。しかし、成果主義賃金制度を導入した企業においても、「昇進昇格制度」は今もなお大半の企業で根強く、年功序列制度に基づいているのです。 年功序列制度のねじれ現象的な変化の結果、賃金は成果主義の名の下に容易に上がらず、昇進昇格は若い限り期待できないという二重の出口のない閉塞感に陥るのでしょう。 若者のその気持ちが分からないではありませんが、年さえとれば給与が上がることを期待するのは、今の時代においては、やはり現実的ではあり

    「なぜ若手が会社を辞めるのか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「空気を読む」という闘争 ボクは「コンテクスト(まなざし、文脈)」についていくつか語ってきたが、SocioLogic(lovelesszero5.0)*1に面白い内容が書かれている。 空気の読める社会(1) 以前、子どもたちの間では「空気が読めないこと」が最も嫌われる、という話があったが、これは、大人の間でも共通しているようである。価値観が多様化した、とされる社会では、「素直に」考えれば、ハイコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が多い)コミュニケーション空間からローコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が少ない)コミュニケーション空間へと変化するということであり、「コミュニケーション」の来の意味である、(特に異なる価値観の人の間での)意思疎通のためにはより明確に言語化した対話が重要になると考えるのが一見自然である。・・・しかしその一方で、冒頭の「空気を読む」というの

    なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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