ブックマーク / fox-moon.hatenablog.com (74)

  • 大工と牢獄 ―江戸時代の奇妙な掟― - 書痴の廻廊

    これもまた、みそぎ・はらえの亜種であろうか。 新たに獄舎を建てるたび、囚人がひとり、牢から消えた。 江戸時代、将軍家のお膝もとたる関東圏で行われていた風習である。 (Wikipediaより、江戸図屏風に見る初期の江戸) 消えた(・・・)といっても、べつに彼を生き埋めにして火災除けの人柱とし、その上に獄舎を建てたとか、そういう薄暗い類のお話ではない。 むしろその逆、慶事といっていいだろう。 彼は解き放たれたのだ。 罪を赦され、娑婆に還った。よって牢から姿が消えた。ただそれだけの事である。 恩赦と呼んでいいのだろうか。たかが獄舎の新築程度で大袈裟なと思われるやもしれないが、こうでもしないと大工どもが働かないので仕方ない。 江戸時代の牢獄が如何に苛酷な、ほとんど地獄と変らぬ場所であったかは、敢えて今更詳述するに及ぶまい。劣悪を極めた衛生環境、牢名主を筆頭とする畸形的権力構造は、囚人を更生させるの

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    suoaei 2021/11/07
  • 答志島の鳥 ―雉についての四方山話― - 書痴の廻廊

    雉は麓の鳥である。 人里近くの藪や林に身を潜め、田畠を窺い、隙あらば農家の手掛けた耕作物をいけしゃあしゃあと啄みに来る。 皇居の森や赤坂御所、陸軍戸山学校、それに近衛騎兵聯隊駐屯地――空襲で焼け野原になるまでは、大東京のど真ん中でもこのあたりの地域に於いて雉をふんだんに見かけたそうだ。 (Wikipediaより、草をついばむ雉のつがい) 就中、皇居の雉に至っては、「春になるとよく三宅坂に面した土手の芝生の上に出て遊んでいるのを見受け」たそうで、もはや一種の風物詩と化していたげな観がある。(昭和七年、大場弥平著『狩猟』4頁) 犬、猿と並んで桃太郎が鬼退治に同行している点からも、人との距離感、そのほど近さが察せよう。 接触の機会が多ければ、想像を拡げる余地も増す。 事実、このいきものを題材にした口碑・巷説の類というのは数多い。 鳥羽市の対岸、伊勢湾最大の島嶼たる答志島もまた、その種の噺の舞台と

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    suoaei 2021/11/04
  • 薩人詩歌私的撰集 ―飲んでしばらく寝るがよい― - 書痴の廻廊

    鹿児島弁は複雑怪奇。薩摩に一歩入るなり、周囲を飛び交う言葉の意味がなんだかさっぱりわからなくなる。これは何も州人のみならず、同じ九州圏内に属する者とて等しく味わう衝撃らしい。 京都帝国大学で文学博士の学位を授かり、地理にまつわる数多の著書を執筆もした、いわばこの道ひとかど(・・・・)の権威、藤田元春は嘗て語った。「北九州は長崎、佐賀、福岡、熊それぞれ方言をもつけれども、大体からいへば一系統であって、大分県の宇佐及び日田盆地に及び、殆ど共通した正しい言語を用ひる。しかし九州山系を超えると全く一変して鹿児島、宮崎を通じて薩摩方言にかはる。地形と方言のこれ程明瞭なことは他に例が少ない」と。 斯様に特殊な鹿児島弁を素材に含む詩歌の類が、だいぶ溜まった。 例によって例の如く、一挙に紹介したいと思う。 しばしの間、お付き合いいただければありがたい。 (Wikipediaより、京都帝国大学) やっさ

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    suoaei 2021/10/31
  • 彼岸の友よ ―老雄綺想― - 書痴の廻廊

    大町桂月は酒を愛した。 酒こそ士魂を練り上げる唯一無二の霊薬であり、日男児の必需品と確信して譲らなかった。 何処へ行くにも、彼は酒を携帯していた。その持ち運び方が一風変わって、通人らしくまた粋で、竹のステッキの節をくり抜き、スペースを確保、たっぷり酒を詰め込んで、旅行はおろかちょっとした散歩にもこれを伴い、欲するままに呑んだというからたまらない。ぞくぞくするほどいなせ(・・・)な姿であったろう。 (平福百穂『桂月先生』) 礼儀とは、ようするに、人に快感を与ふること也。少しも不快の感を与へざること也。然るに人を見ると、すぐに己の不幸を訴へ、いつもしかめっ面を為して、にこともせず。人の気をしてめいらしむ。金こそ乞はざれ、要するに人の同情を強要する一種の乞也。 寸鉄人を刺す如き、鋭利極まる彼の言葉は悉皆酒で錬成された鉄腸より絞り出されたものだった。 「水ばかり飲んで葡萄酒の味も知らない奴に、

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    suoaei 2021/09/29
  • 英霊への報恩を ―日露戦争四方山話― - 書痴の廻廊

    胆は練れているはずだった。 間宮英宗は臨済宗の僧である。禅という、かつてこの国の武士の気骨を養う上で大功のあった道を踏み、三十路の半ばを過ぎた今ではもはや重心も定まりきって、浮世のどんな颶風に遭おうと決して折れも歪みもせずに直ぐさま平衡を取り戻す、そういう柳の如き精神性を獲得したと密かに自負するところがあった。 その自負が、試されるべき秋(とき)が来た。――明治三十七年、鉄の暴風吹き荒れる、屍山血河を歩むという形で以って。 日露戦争に従軍したのだ。 (東鶏冠山敵堡塁爆破の様子。明治三十七年十一月二十六日撮影) 神職と異なり、仏教徒には徴兵上の優遇措置など存在しない。国家が必要としたならば、否応なく銃を手に取り戎衣を纏って戦地へ征くが義務である。 それも尋常一様の戦場ではない。間宮英宗が叩き込まれたのは第三軍、よりにもよって悪夢の、烈火の、旅順要塞の攻め手であった。 …見ますと云ふと、胴体の

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    suoaei 2021/09/13
  • 待ちわびた黎明の物語 - 書痴の廻廊

    『テイルズオブアライズ』を購入。 ゲームを新品で買うのは久しぶりだ。『サイバーパンク2077』以来ではないか。およそ九ヶ月ぶりの決断になる。 このブランドとの付き合いも長い。 一番最初に触れたのは、確か『ファンタジア』のps1移植版であったはず。呪文の詠唱を暗記するという、現代式の日男児の通過儀礼も作によって――インディグネイションによって済ました。 私の趣味の形成に、大きく寄与した作品といっていいだろう。 以来、タイトルの殆どを網羅してきた。 六年前、『ゼスティリア』という地雷も地雷、超特大の核地雷をまんまと踏み抜かされた際に於いては、流石に愛想も尽きかけたが。――続く『ベルセリア』の出来栄えにより、一抹の希望は繋がれた。まだ『テイルズ』は死に体ではないのだと、持ち直す芽はあるのだと、そう思わせてくれたのだ。 『アライズ』はそんな流れの突端にある。 作の良否が意味するところは極めて

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    suoaei 2021/09/10
  • 滑雪瑣談 ―石川欣一の流行分析― - 書痴の廻廊

    スキーの黎明期。人々は竹のストックでバランスを取り、木製の板を履いていた。 材質としてはケヤキが主流。最も優秀なのはトネリコなれど、ケヤキに比べてだいぶ値が張り、広くは普及しなかったという。 そうした素材を、まずはノコギリで挽き切って大体の形を整えて、次いで入念に鉋がけして面をとり、適当な厚さと幅とに仕上げる。下の写真は更にのち、蒸気の作用で曲げをつくっているところ。 大正末から昭和にかけてのスキーブームの真っ只中では、これが飛ぶように売れたのだ。 老いも若きも紳士も淑女も、みな炬燵の誘惑を振り切ってまで肌刺す寒気の戸外へ飛び出し、雪の斜面を滑りまくった。 皇族とても例外ではない。 昭和三年、厳冬期の二月を敢えて選んで秩父宮雍仁親王殿下が北海道を行啓なされ、札幌鉄道局長に向かい、 「北海道は将来世界的ウインタースポーツの土地とするやうに、鉄道省等も、スイスのやうに、スポーツマンのため鉄

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    suoaei 2021/09/08
  • 今に通ずる古人の言葉 ―「正史ならぬ物語は総て面白きが宜し」― - 書痴の廻廊

    楚人冠がこんなことを書いていた。 物の味といふものは、側に旨がってふ奴があると、次第にそれに引き込まれて、段々旨くなって来るもので、そんな風に次第に養成(カルチベート)されて来た味は、初から飛びつく程旨かったものゝ味よりも味(あじはひ)が深くなる。(『十三年集・温故抄』151頁) 料理漫画を片手に持しつつめしを喰うとやたらと美味く感ぜられる現象とも、これは原理を同じくすまいか。 この用途に具すために、『孤独のグルメ』や『鉄鍋のジャン』、『いしん坊』等々を常に手元にひきつけている私である。 (『孤独のグルメ』より) むろん、礼儀作法の上からいったら落第もまた甚だしいのは承知の上だ。 しかしながらこれをやるのとやらないのとでは、欲に天地の差が生じ、唾液の湧きも鈍くなり、消化にまで影響を及ぼすような気さえする。 なあに気にすることはない、「礼儀とは人に快感を与ふること也、少なくとも不快の感

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    suoaei 2021/09/06
  • 越後粟島、環海の悲喜 ―「大正十六年」を迎えた人々― - 書痴の廻廊

    1927年1月1日。 たった七日の昭和元年が幕を閉じ、昭和二年が始まった。 が、越後粟島の住民はすべてを知らない。 (笹川流れから粟島を望む) 定期航路の敷かれている岩船港から、沖へおよそ35㎞。またの名を粟生(あお)島、櫛島とも呼びならわされるこの環海の孤島には、医者もおらねば駐在所もない。 明治、否、江戸時代がほとんどそのまま続いているといってよく、情報伝達速度というのもそれに従いまことに緩やか至極であって。 結果、去る十二月二十五日に先帝陛下が崩御なされた現実も。 新帝践祚も、それに合わせて「昭和」と改号が成されたことも。 もろもろ一切、知ることはなく、従って喪に服すなど思いもよらず――島民たちはさても暢気に、太平楽に、「大正十六年」の元旦祝いをやっていた。 「つんぼ桟敷に置かれる」という表現を、これほど体した例も少ない。 いざ真実に浴した際には、さぞや色をなくしただろう。 (粟島沿

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    suoaei 2021/09/04
  • 日本南北鳥撃ち小話 ―蝗と鴉の争覇戦― - 書痴の廻廊

    山鳥を撃つ。 すぐさま紙に包んでしまう。 適当な深さの穴に埋(うず)める。 その上で火を焚き、蒸し焼きにする。 頃合いを見計らって取り出して、毛をむしり肉を裂き塩をまぶしてかっ喰らう。 「山鳥を味わう最良の法はこれよ」 薩摩の山野に跳梁する狩人どもの口癖だった。 (Wikipediaより、ヤマドリ) なんともはや彼のくにびとに相応しい、野趣に富んだ木強ぶりであったろう。 中学生のころ、図書室に置いてあった『クリムゾンの迷宮』でこれとよく似た調理法を目にしたような気もするが、なにぶん遠い昔のはなし、うろおぼえもいいとこで、ちょっと確信を抱けない。 当時は未だ、気に入った箇所、忘れたくない知識等をメモに抜き書く癖もなかった。 今にして思うと、随分もったいないことをしたような気もする。 (「歩く野菜(ニワトリ)」をさばく薩人) 鳥撃ちに関しては、こんな話もストックしてある。鹿児島から大きく離れて

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    suoaei 2021/09/02
  • 薩州豆腐怪奇譚 ―矢野龍渓の神秘趣味― - 書痴の廻廊

    朝起きて、顔を洗い、身支度を済ませて戸外に出ると、前の通りのあちこちに豆腐の山が出来ていた。 何を言っているのか分からないと思うが、これが事実の全部だから仕方ない。江戸時代、薩摩藩の一隅で観測された現象だ。「東北地方地獄変」や「江戸時代の化石燃料」でお馴染みの、橘南渓その人が『西遊記』に記録している。 ――狐狸がたぶらかしよるんじゃろ。 どうせ正体は馬糞か何かだ。迂闊に口に入れてみよ、ほどなく真の姿を暴露して、悶え苦しむこちらの姿を密かに眺めて嗤い転げる。そういう心算(つもり)に相違ない。 ――誰がその手に乗るものか。 むかしばなしで訓育された人々は、当然に用心深かった。 しばらくの間は触れる者とてなかったが、しかし陽が沖天に差し昇り、更に傾き茜色を帯びはじめても、まぼろしが一向に消えてくれない。 人々はだんだん焦れだした。 この異常を、いつまでも放置してはいけない気持ちになってきた。 ―

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    suoaei 2021/08/31
  • 鮎川義介の長寿法 ―建国の 礎となれ とこしへに― - 書痴の廻廊

    誰もが永遠に憧れる。 (『東方虹龍洞』より) 不老不死は人類最高の夢の一つだ。「それにしても一日でも長く生きたい、そして最後の瞬間まで筆を執りたい」。下村海南の慨嘆はまったく正しい。生きれるものなら二百年でも三百年でも生きてみたい。かてて加えて最後まで五体の駆動は滑らかで、他人の手を借りずとも、自分の始末は自分でつけれるようでありたい。 それが叶うのであれば、肉体の機械化、魂の電子化、何を厭うことやある。アーサー・C・クラークは、生命とは組織されたエネルギーだと道破した。パターンのみが重要で、それを織り成す物質がなんであろうとそんなことは些末だと。私もこれに同意する。 炭素への執着を超克してでも――永遠の命は欲するに足るものなのだ。 なればこそ、古今東西実に多くの養生法が開発されて試された。上手く要領を得たのもあれば、てんで的外れな方角へと突っ走り、笑うに笑えぬ悲劇に堕ちた例もある。 日産

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    suoaei 2021/08/29
  • 夢路紀行抄 ―飛翔体― - 書痴の廻廊

    夢を見た。 夜天を焦がす夢である。 眠りに落ちて暫しの後。ふと気がつくと、見晴らしのいい場所にいた。 どうやらビルの屋上らしい。 それもかなりの高層ビルだ。 地球の丸みを実感できるほどではないが。 地面を行き交う自動車が、豆粒に見えるほどではあった。 周囲に比肩し得る建物はなく、顔を上げればのっぺりとした暗い夜空が広がっている。 月はどこにも出ていなかった。 そのことに、淡い失望を感じている暇もなく。 突然、まったく唐突に。――視界の果てに広がる山並み、そのたおやかな稜線が、ぱっと紅く色づいた。 すわ払暁かと錯覚するほど、その色彩は強烈だった。 が、違う。そうではないとすぐ知れた。 ロケットである。 どうも山の向こう側に発射基地があるらしい。途轍もなく大型の、私が立っているこのビルにも匹敵しかねないロケットが、衝撃波の白い衣を纏いつつ、夜空を駈け上がってゆく。 猛然と燃焼するブースターこそ

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    suoaei 2021/08/27
  • 北海道机上遊覧 ―札幌・開拓・雪景色― - 書痴の廻廊

    暑い。 八月の半ば、一度は去るかと期待された夏の暑さは、しかしまだまだ健在で。あっという間に勢力を回復、捲土重来を全うし、変わらず私を苛み続ける。 先日、神保町にてこのようなを手に入れた。 『南洋諸島巡行記』、著者の名前は佐野実。 刊行年は大正二年と、手持ちの中でも相当古い。 帝政ドイツが南洋圏の広範を、未だ植民地として確保していた時分の記録。欧州大戦終結後、日の委任統治下となって以降の書物なら、かねてより結構な冊数を持ってはいるが、この時期のモノは無きに等しい。 俄然興味をそそられた。 で、購入に踏み切った次第であるが――正直に言おう。間が悪い。 この酷暑の中、さんざん痛めつけられた身体を引きずり、更に熱気のメッカたる赤道直下の情報を脳細胞に叩き込むということは、思った以上に気力を要する試みだった。 とてものこと必要量を捻出できない。買うことは買ったが、これは秋まで棚の肥やしにして

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    suoaei 2021/08/25
  • 福澤諭吉と山崎闇斎 ―「孟子なりとも孔子なりとも遠慮に及ばず」― - 書痴の廻廊

    山崎闇斎の知名度は、目下どの程度の位置にあるのか。 百年前と引き比べ、著しく低下したことだけは疑いがない。その当時、彼が説いた「孔孟の道」は日人が当然もつべき心構えの一つとされて、小学校の教科書にさえ載っており、ごくありきたりな「常識」として誰しもに受け容れられていたからだ。 その筋書きは、だいたいこんなモノである。 (比叡山大講堂、明治四十年代撮影) 山崎闇斎、京都の大儒。 垂加神道を創始して日人の思想界に重大な波紋を広げるに至るこの人物は、あるときその弟子たちに、こんな問いを投げかけた。 「もしも今、孔子孟子が大将・副将格となり、兵を率いてこの日ノへ押し寄せてきたとするならば、我々孔孟の道を学ぶ者は如何なる態度を取るべきか」 爆弾を落としたといっていい。 江戸時代、儒者が孔子孟子を見る目というのは到底一哲学者に対して差し向けるべきそれでなく。筋金入りのキリシタンがマリア観音を拝む

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    suoaei 2021/08/23
  • 外交官の恩師たち ―夏目漱石、小泉八雲― - 書痴の廻廊

    笠間杲雄のペンは鋭い。 さえざえとした切り口で、現実を鮮やかにくり抜いてのける。 なにごとかを批評するに際しても、主題へのアプローチに態と迂遠な経路を使う――予防線を十重二十重に張り巡らせる目的で――ような真似はまずしない。劈頭一番、短刀を土手っ腹にぶち込むような、そういう直截な手段を好む。 外務省暮らしの最後を飾ったポルトガルを評すにも、 ポルトガル人といふのは、嘗て世界の半を領した輝かしい過去の追憶に今日でも生きてゐて、非常に感傷的で、現実から遠い夢幻や詩の世界を求める国民である。その歌も音楽も、華やかさの底に云ひ知れぬ憂なものが流れてゐる。(『東西雑記帳』147頁) 斯くの如き遠慮会釈のなさだった。 この傾向は、笠間が夏目漱石の生徒であった事実とも、無関係ではないだろう。 (ポルトガルにて、葡萄の収穫) 旧制第一高校在学時代、三年生の間だけではあるものの。――笠間は確かに夏目漱石の

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    suoaei 2021/08/21
  • 流石々々の紳士道 ―英国人の賭博好き― - 書痴の廻廊

    イギリス人は賭博を愛す。 目まぐるしく廻る運命の輪、曖昧化する天国と地獄の境界線、伸るか反るかの過激なスリル。その妙味を愉しめぬようなやつばら(・・・・)風情に紳士を名乗る資格はないと、気で考えている節がある。 「あの連中の競馬好きは度を越している。なんといっても、欧州大戦の極端な物資欠乏期でさえ、競走馬に喰わせる秣畑はしっかり確保し、寸土といえど他の目的への転用を許さなかった国民だ」 長きに亘る外務省勤めの過程に於いて、笠間杲雄はそういう景色を幾度となく見た。 (西部戦線にて、命令を待つ英国騎兵) 競馬やサッカー、カードや賽の目の配合にベットするなどまだまだ序の口。たとえば空を見上げては、今月何回雨の日があるか賭けようぜともちかける。 政府がいつ、予算案を上程するかも好んで博奕の対象に具したし、その内訳でもまた賭けた。政治に関心が強い国民性と書いたなら、まあ聞こえはよかろうが。 ある年

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    suoaei 2021/08/19
  • 赤旗 vs 三色旗 ―1936年パリの抵抗― - 書痴の廻廊

    世の中には色々なつらあて(・・・・)の方法があるものだ。 昭和十一年の夏である。 笠間杲雄は、たまたまフランスを訪れていた。そう、腕利きの外務官僚で、赤玉ポートワインの存在が日葡関係に及ぼす意外な影響について知らしめてくれたあの(・・)彼だ。 三泊四日の短い旅路は、しかし事前の予想を大きく裏切り、極めて鮮やかな印象を彼に残すモノとなる。 (はて? …) パリの街に入って早々、笠間は首をかしげざるを得なかった。 見渡す限り、あらゆる屋並みの窓という窓、玄関という玄関に、三色旗(トリコロール)が翻っている。青、白、赤の三色から成る、大革命期以来の国旗が。 (キャトルズ・ジュイエ(革命記念日)には、まだ少々早いはずだが) いったい何の催し物かと訝しまずにはいられない。 幸いにして、笠間の経歴にはフランス日大使館参事官も含まれる。 フランス語の技倆、培った人脈、何れもまだまだ健在で。情報源に不足

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    suoaei 2021/08/17
  • 至誠一貫 ―終戦の日の愛国者― - 書痴の廻廊

    昭和二十年八月十五日、玉音放送――。 大日帝国の弔鐘といっても過言ではない、その御言宣(みことのり)がラジオを通じて伝わったとき。小泉信三は病床に横たわっていた。 せんだっての空襲で体表面をしたたかに焼かれ、ほとんど死の寸前まで追い詰められた所為である。幸い急場は脱したが、元通りの生活を――自分で自分の面倒を見切れるようになるまでは、まだ相当の時日を要した。 今はとにかく身体をいたわり、安静を心がけねばならぬ時期。ラジオの前で正座など、到底可能な業でない。 (Wikipediaより、玉音放送を聞く日国民) 何日かして、田中耕太郎が見舞いがてらやってきた。 時節柄、話はしぜんとポツダム宣言受諾に及び、「吾々は、ともに国の非運を悲しみ、陛下の御決断を有り難いことだといい、しかしまた、日人として世界に向って語るべき言分もないのではない。何時かその日も来るであろう。その時のために、少し英文が

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    suoaei 2021/08/15
  • 夢の分解 ―小氷期を希う― - 書痴の廻廊

    夢を見た。 北海道の夢である。 かの試される大地の上を、北条沙都子と古手梨花――『ひぐらしのなく頃に』の主要登場人物二名がバイクに乗って突っ走ってる様を見た。 互いに成長した姿であること、言うまでもない。 バイクは一台。運転する沙都子の腰を梨花がこう、両手でグッと挟む感じで確保して、つまりはタンデムツーリングの格好で。叫びあげたくなるような青空の下、州ではまずお目にかかるのは不可能な、むきだしの地平線めがけて単車は一路進みゆく。 それはそれは美麗至極な眺めであった。 材料が何であるかははっきりしている。単純に当該作品――『卒』を視聴中であることと、目下読み込んでいるが、昭和二十一年刊行『随筆北海道』な所為であるに相違ない。 あとがきに惹かれた。 私がさきに「北海道・樺太・千島列島」を編纂してからもう三年たった。その間にわが国のありさまは大きく転回して、今では、あの書題のうちの、樺太と千

    夢の分解 ―小氷期を希う― - 書痴の廻廊
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    suoaei 2021/08/09