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2011年4月14日のブックマーク (8件)

  • 環境放射線モニタリング結果(平成23年4月5日~7日実施分)

    環境放射線モニタリング結果(平成23年4月5日~7日実施分) H23.4.8  県災害対策部(原子力班) ※測定値(μSv/h) 市町村 No.  区分 調査地点 調査月日 1m高さ 1 公立小学校 2 公立小学校 3 公立小学校 4 公立小学校 5 公立小学校 6 公立小学校 7 公立小学校 8 公立小学校 9 公立小学校 10 公立小学校 11 公立小学校 12 公立小学校 13 公立小学校 14 公立小学校 15 公立小学校 16 公立小学校 17 公立小学校 18 公立小学校 19 公立小学校 20 公立小学校 21 公立小学校 22 公立小学校 23 公立小学校 24 公立小学校 25 公立小学校 26 公立小学校 27 公立小学校 28 公立小学校 29 公立小学校 30 公立小学校 31 公立小学校 32 公立小学校 33 公立小学校 福島市立御山小学校 福島市立三河台小

    surumeno13
    surumeno13 2011/04/14
    福島県内の保育園・幼稚園・小中学校の測定値。
  • asahi.com(朝日新聞社):学校再開の被曝量目安、安全委が撤回 「委員の私見」 - 社会

    原子力安全委員会は14日、前日の記者会見で示した学校再開の目安を「年間被曝(ひばく)量を成人の半分の10ミリシーベルトにおさえる」とした案は委員の私見だったとして撤回した。撤回の理由は、学校の安全基準は文部科学省が検討しており、それに影響を与えないため、としている。  前日、目安を示した代谷誠治委員は14日の会見で「委員会として10ミリが基準と決定したわけではない」と撤回。文科省からの助言要請を待って、正式に委員会を開いて考え方を決めると話した。  福島県では学校生活での放射能汚染が心配され、文科省が砂ぼこりを浴びる校庭の使い方や、放射線量の管理方法などを検討しているが、作業は遅れている。  政府は年間20ミリシーベルトを基準に新しい避難区域設定を検討しており、代谷委員は「大人より被曝量を低減するべきだという考え方は間違いない」と話した。

    surumeno13
    surumeno13 2011/04/14
    むしろ専門的見地から影響を与えるべきなのでは。「理由は、学校の安全基準は文部科学省が検討しており、それに影響を与えないため、としている。 」
  • 足尾鉱毒事件 - Wikipedia

    鉱毒ガスやそれによる酸性雨により、日光市足尾町(旧・上都賀郡足尾町)近辺の山は禿山となったのである。木を失い土壌を喪失した土地は、次々と崩れていったが、この崩壊は21世紀となった現在も続いている[注釈 1]。崩れた土砂は渡良瀬川を流れ、下流で堆積した。このため、渡良瀬川は足利市付近で天井川となり、足尾の山林の荒廃とともにカスリーン台風襲来時は洪水の主原因となった。 鉱毒による被害はまず、1878年と1885年に、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れた。ただし、当時は原因が分かっておらず、これを8月12日に最初に報じた朝野新聞[2] も、足尾銅山が原因かもしれないというような、あいまいな書き方をしている。1885年10月31日、下野新聞が前年ごろから足尾の木が枯れ始めていることを報じ、これら2つが足尾銅山と公害を結びつける最初期の報道と考えられる。なお、古河鉱業は1884年、精銅の輸出拡大等の

    足尾鉱毒事件 - Wikipedia
    surumeno13
    surumeno13 2011/04/14
    100年越しかぁ…「政府が当時のこれらの対策が不十分であることを認めたのは、前述したとおり1993年であった。」
  • 秋元湖 - Wikipedia

    秋元湖(あきもとこ)は、福島県耶麻郡北塩原村および同郡猪苗代町にまたがる湖である。桧原湖・小野川湖とともに裏磐梯三湖を形成する[2]。 概要[編集] 通称裏磐梯と呼ばれるこの地域は明治時代までは桧原村などの集落が存在しており、湖は存在していなかった。1888年(明治21年)、南方にある磐梯山が突如噴火し、大規模な水蒸気爆発に伴って中央部の山腹が崩壊(山体崩壊)を起こし桧原村方面に大量の土砂が流下、さらに泥流も発生して集落は全滅する被害を受けた。 この際に長瀬川や小野川など裏磐梯地域を流れる河川が山体崩壊や泥流によって方々で堰き止められ、桧原湖や小野川湖、五色沼といった大小様々な堰止湖が形成されるに至った。秋元湖は大倉川や中津川が堰き止められて誕生した。裏磐梯三湖の中では水深が最も深く、面積は桧原湖に次いで大きい。 秋元湖の湖水は長瀬川(ながせがわ)として流出し、下流部で三角州を形成して猪苗

    秋元湖 - Wikipedia
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    surumeno13 2011/04/14
    福島から東京への送電ってけっこう歴史があるんだよなぁ。「1914年(大正3年)に当時東日本最大級の水力発電所である猪苗代第一発電所を建設、猪苗代-東京間約200kmの長距離高圧送電に成功した。」
  • 清水エスパルスが体感したサッカーの持つパワーと欧州との差|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    [2011年04月14日(木)] 清水エスパルスが体感したサッカーの持つパワーと欧州との差 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki ロイター/アフロ●写真 photo by Reuters/AFLO かつてジェフでプレイした経験を持ち、今回のチャリティマッチの発起人のひとりでもあるペーター・ボスは、東日で発生した大震災をテレビで知ったという。 「日で起きていることを知り、自分にできることを何かしたい。サッカーにできることがあるはずだ、と思った。オランダのどこかのクラブと日のクラブが試合をできないだろうか。あるいは日本代表でもいい。今、多くの日人選手がヨーロッパでプレイしているからね」 こうした考えに素早い賛同を示したのが、オランダの首都アムステルダムだった。アヤックスのフランク・デ・ブール監督はこう話す。 「アムステルダム市長から電話を受けたとき、この試合をや

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    surumeno13 2011/04/14
    Jのクラブとともに、プリメーロのクラブ旗と私たちの横断幕も掲げていただきました。感謝。
  • とりひきだ。とりひきをしよう。 - シートン俗物記

    とりひきだ。とりひきをしよう。あくまがいいました。 いやだ。ぜったいいやだ。めのおおきいひとがいいました。 いいよ。とりひきしよう。くちのおおきなひとがいいました。 くちのおおきなひとのにわは、みるみるきれいなはなぞのになりました。 めのおおきなひとは、まずしくてまずしくておなかがすいてしかたありません。 くちのおおきなひとは、まいにちたのしくてしかたありません。 はなぞのにみのったくだもので、おなかがいっぱい。 だからくちのおおきなひとは、きづきませんでした。 はなぞのがみるみるかれていることを。 きがついたときには、もうおそかったのです。 にどとはなのさくことのないおにわで、くちのおおきなひとは、おおきなくちをあけておいおいとなきながらつぶやきました。 あくまととりひきなんかしなければよかった。 ヤコブ・ファロベック「めのおおきなひと くちのおおきなひと」より抜粋  浦沢直樹「MONS

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    surumeno13 2011/04/14
    「抵抗などほとんど無意味だ。くだんのエントリーのコメント欄では、なぜ原発を受け入れたのか、と責任を問う意見があるが、それは原発推進側のえげつない手口を知らないからだ」
  • ずっと昔、まだ子供だった頃、私は自分が住む県に原子力発電所があることを知った。

    ずっと昔、まだ子供だった頃、私は自分が住む県に原子力発電所があることを知った。 「お父さん、原子力発電所って怖くないの?危なくないの?」 「安全ということにはなっているけどねえ・・・ホントのところはよくわからないかもしれないねえ」 「でも電気がなかったらテレビが見れないからぼくも困るしなあ・・・原子力発電所に反対している人は、電気がなくなっても困らないのかなあ」 「あそこで作っている電気は、全部東京のほうの人たちが使っているから、実はあの発電所がなくなっても、このあたりに住む人は困らないんだよ」 「ええっ、じゃあ自分たちが使えない電気のために、ぼくたちはちょっと怖くても危なくても我慢してるってこと?なんで?なんでぼくたち、我慢してるのに、あそこの電気使えないの?」 「東京のほうが人がたくさん住んでいるから、電気もたくさんいるんだよ。だから福島に発電所を作らせてくださいって、頼まれたんだ。あ

    ずっと昔、まだ子供だった頃、私は自分が住む県に原子力発電所があることを知った。
    surumeno13
    surumeno13 2011/04/14
    まあ、今時、田舎に生きるっていうのはそんなもんだ。
  • 東日本大震災:「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見 - 毎日jp(毎日新聞)

    原発事故で被ばくを恐れ福島県から避難してきた子供が「放射能怖い」と偏見を持たれるケースがあるとして、千葉県船橋市教委が全市立小中学校長らに配慮するよう異例の指導を行っていたことが分かった。福島県南相馬市から船橋市へ避難した小学生の兄弟の事例では、公園で遊んでいると地元の子供から露骨に避けられたという。兄弟は深く傷つき、両親らは別の場所へ再び避難した。大震災から1カ月たつが、福島第1原発の深刻な事態が収まる見通しは立っていない。知識の欠如に基づく差別や偏見が広がることを専門家は懸念している。【味澤由妃】 南相馬市の小学生の兄弟のケースは、避難者の受け入れ活動に熱心な船橋市議の一人が把握し、市教委に指摘した。市議によると兄弟は小5と小1で、両親と祖父母の6人で震災直後船橋市内の親類宅に身を寄せ、4月に市内の小学校に転校、入学する予定だった。 兄弟は3月中旬、市内の公園で遊んでいると、方言を耳に