バッファロー・スプリングフィールドの崩壊が決定的になった際に、スティルスはキャス・エリオットの手引きにより、ジョニ・ミッチェルの家で元バーズのデヴィッド・クロスビー、元ホリーズのグラハム・ナッシュに会う。スティルス作の「泣くことはないよ」を3人で歌ったことがきっかけで新グループ結成を決め、各自のファミリー・ネームを並べたクロスビー、スティルス&ナッシュがスタートした[4][5]。 1969年5月、デビュー・アルバムを発表。3人にダラス・テイラー(ドラムス)を加えた4人で主に制作されたが、ドラムス以外の楽器はほとんどスティルスの手によって演奏された。まもなくニール・ヤングが加わり、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングに名を変えてセカンド・アルバム『デジャ・ヴ』を発表。スティルスとヤングの確執によりその後長きにわたって解散と(時には3人、時には4人で)再結成を繰り返した。 スティルスは、モ