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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/taro606 (1)

  • 昭和天皇とメレヨン島 - ニュースは踊る

    メレヨン島という島がある。トラック島の西、グアムの南、パラオの東、の孤島である。この島でおこったことはほとんどの日人が知らない。小学館の昭和の歴史でも2ページしか叙述はない。 昭和19年4月。メレヨン島で、完全に補給を絶たれた日上陸軍は、パラオで玉砕したいと申し出る。 が、船が皆無であり、認められなかった。以後1年、6500名余りが飢餓と戦うことになる。 この島でも「上官と兵の生還率」には大きな差があった。将校は7割が生還、兵は2割以下の生還率。といっても生還したのは1626名に過ぎない。 海軍司令官宮田嘉信大佐が書いた文章が残っている。昭和20年6月の文章である。 概略はこうである。 各隊とも料状態、衛生状態が極めて悪い。一日平均20名近くが死ぬ。全部栄養失調からくる餓死である。 兵による備蓄料の盗難が多い。これに対しては番兵が射殺をして防いでいる。私刑(リンチ)が極めておおい。

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