この人要らないんじゃないか - 猿虎日記(さるとらにっき) 何の効率性か - モジモジ君のブログ。みたいな。 公営駐輪場にいる御老人の話が出てきたけど、公営の駐輪場ってシルバー人材センターが運営を請け負ったりすることが多くて、御老人への報酬もお小遣い程度(パート並み)なんですよね。 僕は、公営駐輪場については御老人への報酬も低額だし、退職後の御老人への社会参加、生きがい・健康対策という高齢者福祉施策の面が強いと思っていたので、猿虎さんの記事のコメント欄を見て、皆さんの行政の「効率」に対するネオリベ的視線の強さに少し驚きました。 もちろん行政の活動には非効率的な面が多くあるし、責められてしかるべきなんだけど、ネオリベ的視線が強いあまり、その施策が有する他の要素が見落とされてしまいがちになったり、また過剰に「効率性」が持ち出されてしまいがちになったりする面がある様にも思います。 公営駐輪場の例
労働という分野ならどこでも、医療であれ、製造であれ、情報産業であれ、中枢にあたる「将軍」や「参謀」にあたるポジションというのは限られているし、全ての人を「将軍」や「参謀」にしていては船頭だらけの難破船になってしまう。実際に現場が必要としているのは沢山の「兵士」だ。中枢の手足となって働く「兵士」が欲しい。下士官ぐらいは幾らか必要かもしれないが、それだって兵士よりは数が少なくてもいい。労働という分野でたくさん必要とされているのは、何も考えない、「個性の違い」に拘泥しない、えらい人の言うことは何でも聞いて、共通規格の部品で動く歯車だ。望むらくは、消費者としての多様性すらみられない、没個性的な金太郎飴のような労働者がいい−−不満を抱いた時に、何か共通の娯楽でも与えてやれば黙ってくれるような労働者がいい。それでも人間は幸せになれないことはない*1。 にもかかわらず、そこここの教育分野では、こうした「
物理的暴力も精神的暴力も、破壊的な暴力も抑圧的な暴力も、行使による暴力も不行使による暴力も、とにかくありとあらゆる様々な違いを排除して、それらを「暴力」と一まとめに表象する必要は、少なくとも一度は、ある。しかし、一まとめにした一切の暴力を、一度に、廃棄してしまう、などということは、まったく不可能なことであり、そのように述べる人は、アホであるか嘘をついているかのどちらかだ。以下は、id:x0000000000さんに教えてもらったデリダの発言。 私たちは夢想家ではありません。この観点からすれば、どんな政府や国民国家も、その境界を完全に開くつもりがないことは承知していますし、正直なところ、私たち自身もそうしていないことも承知しています。家を、扉もなく、鍵もかけず、等々の状態に放っておきはしないでしょう。自分の身は自分で守る、そうですよね? 正直なところ、これを否定できる人がいるでしょうか? しか
本日発売の雑誌『AERA』に「グーグルが支配するIT民主主義」という特集が組まれており(参照)、そこにchikiの短いコメントが掲載されています。コメントは、4月の中旬に受けた取材が元になったもの。いちネチズンとして、google政治やサイバーカスケードについてどんなことを考えながらまとめサイトを作ったのかとか、大体そんなことを話しました。取材場所は新宿の喫茶店にて。取材はだいたい1時間ほどで終わりました。 コメントは短いですが、せっかくなので当日の取材でお話しさせていただいたことを一部を除いて掲載します。誤解を招きそうな言い回しを一部変更したり、参照リンクをつけたりはしましたが、会話はほとんどそのまま。話した順番なんかも全然直してないので、議論がいったり来たりして分かりづらいところもあるかと思いますがお許しを。「記者ってこういう質問をするんだなぁ」とか「この取材がこういう記事になるのね」
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