「私がどこまで語っていいのだろうか」。 岩手県沿岸の街の中で最も南に位置している、陸前高田市。震災直後から通い続けることになったこの街には当時、夫の両親が暮らしていた。私は後から加わった家族であり、当時あの街にいなかった――つまり津波をこの目で見ていない――被災をしていない自分に、果たしてどこまで言葉を紡ぐ資格があるのだろうか。この4年間、常にそんな“後ろめたさ”を抱いてきた。 それでも大切なのは、その“後ろめたさ”から逃げないことだと、この街で、東北で教えられてきたように思う。ここから綴るのは、温かく迎えてくれた家族たちのこの4年間の軌跡を私の視点から見つめたものだ。 「どうやら東北で地震があったらしい」。 そんな情報を私と夫はそれぞれ、フィリピン、ザンビアという海の向こう側で受け取った。陸前高田は普段から揺れの多い地域だ。きっと大したことはないのだろう、と当初は思っていた。真っ黒な壁の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く