2006年5月10日のブックマーク (8件)

  • こんなことが少子化対策だなんて!

    t_kei
    t_kei 2006/05/10
    少子化の原因として「過度に経済的な豊かさを求め、個人を優先する風潮がある」って。。唖然。
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    絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

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    t_kei
    t_kei 2006/05/10
    取り調べの「可視化」についての報道リンク集。「防禦が必要な状態に置く一方で、密室で「プライバシー」を「保護」してあげる、というのは詭弁」
  • ページが見つかりません

    t_kei
    t_kei 2006/05/10
    これは、、ほんとうであれば酷い話だ。こんなことは今に始まった話ではないとはいえ。
  • 平澤・とりあえずの感想 - Arisanのノート

    毎日平澤のことを書いているが、正直言うと、一番感じていることは、たしかにひどいことが起こったと思うのだが、恐怖や怒りのようなはっきりした感情が自分のなかに湧いてこないということである。 これは、原因がなんなのかは分からない。ともかく、おそらくこれはひどいことが起きた、それも自分に身近な場所で現実にいま起こっている、とは思う。そして、おそらくこの出来事が、今後韓国にも日にもなにかの形で波及していくと思う。いや、ひどいことはすでにどこでも起こっているのだが、今回のことはそのなかの非常に見やすい実例である。そしてたしかに、象徴的であるだけでなく、具体的にも節目になるような出来事であるはずだ。 漠然とそう感じ、思っているのだが、現場を映した数多くの生々しい写真を見ても、自分のなかにはっきりした具体的な感情や判断は、生じてこないのである。 そのことを確認して、ともかくいま知っていることや考えられる

    平澤・とりあえずの感想 - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2006/05/10
    「ここでは明らかに、ここにいたるまでの間に何重にも折り重ねられた暴力性が棚上げにされ、不問に付され、ひじょうに表面的なところでの真偽をめぐる応酬に議論がすりかえられている」
  • 多原香里『先住民族アイヌ』 - heuristic ways

    多原香里さんは、昨年秋の衆議院議員選挙で鈴木宗男氏擁する「新党大地」から比例区候補として出馬した人である。当時はよく知らなかったのだが、後で先住民族の問題に詳しい方から、月刊『現代』11月号掲載の魚住昭「ムネオの野望、新党大地の可能性」という記事をメールで教えていただき、そのとき多原香里さんがアイヌ民族出身で、フランスの大学院で先住民族の研究をしてきたという異色の経歴をもつことを知り、この人は一体どういう人なんだろうと関心を刺激させられたのだった。新党大地のことはいまだによく知らないが、党首の鈴木宗男氏が歌手の松山千春氏(「新党大地」は彼の命名)や元外務省の佐藤優氏らとコネクションをもっていることは興味深いと思っている。新党大地の比例区候補のもう一人、田中いづみさんも「札幌国際大学地域社会研究科の大学院生」とのことで、(当時無名の)多原さんや田中さんに注目するあたり、鈴木氏は只者ではないの

    t_kei
    t_kei 2006/05/10
  • 戦争プロパガンダから学ぶ - 報道写真家から

    アンヌ・モレリ(ブッリュッセル自由大学教授)は、戦争があるたびに、まったく同じプロパガンダが繰り返され、世論が操作されてきたと述べている。戦争が終わると、世論は騙されていたことに気付く。しかし、次の戦争がはじまると、また同じプロパガンダに騙されてしまう。今度こそ、プロパガンダは物だと信じてしまうからだ。 ひとたび戦争が始まると、メディアは、批判能力を失う。たとえ、「民主主義国家」でも、情報および映像の製作、放送に関しては画一化が著しく、政府の意図に反する映像、反対する意見はマスコミにもとりあげられない。 (中略) 現代の「洗脳」技術は、かつてゲッペルスが実現できなかった集団幻想よりもさらに遠くへわれわれを導こうとしている。あるユーモア作家がこう言っている。 「現代人は、かつてのように何でもかんでも信じてしまうわけではない。彼らは、テレビで見たことしか信じないのだ」 アンヌ・モレリ著『戦争

    戦争プロパガンダから学ぶ - 報道写真家から
    t_kei
    t_kei 2006/05/10
    アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ 10の法則』から。「疑うのがわれわれの役目だ。武力戦の時も、冷戦の時も、あいまいな対立が続くときも。」「僕は、最後の言葉に、”平時も”と付け加えたい」
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    絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

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    t_kei
    t_kei 2006/05/10
    慧眼。「これらの法は、次のような前提に基づいていることがわかる。すなわち、法の執行者(政府)には性善説を、法の被適用者(市民)には性悪説を、である」
  • 暴力の区別について - モジモジ君のブログ。みたいな。

    物理的暴力も精神的暴力も、破壊的な暴力も抑圧的な暴力も、行使による暴力も不行使による暴力も、とにかくありとあらゆる様々な違いを排除して、それらを「暴力」と一まとめに表象する必要は、少なくとも一度は、ある。しかし、一まとめにした一切の暴力を、一度に、廃棄してしまう、などということは、まったく不可能なことであり、そのように述べる人は、アホであるか嘘をついているかのどちらかだ。以下は、id:x0000000000さんに教えてもらったデリダの発言。 私たちは夢想家ではありません。この観点からすれば、どんな政府や国民国家も、その境界を完全に開くつもりがないことは承知していますし、正直なところ、私たち自身もそうしていないことも承知しています。家を、扉もなく、鍵もかけず、等々の状態に放っておきはしないでしょう。自分の身は自分で守る、そうですよね? 正直なところ、これを否定できる人がいるでしょうか? しか

    暴力の区別について - モジモジ君のブログ。みたいな。
    t_kei
    t_kei 2006/05/10
    暴力について考え始めると、どこかで引っ掛かってしまって、立ち止まっている自分を感じる。難しいよなぁ。。