思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
目次 2008年4月30日 - 今日も第9章 / 2008年4月29日 - 第9章を書いています / 2008年4月28日 - 第8章を送付 / 2008年4月27日 - 原稿送付 / 2008年4月24日 - 月末繁忙期 / 2008年4月21日 - 神を信じる / 2008年4月20日 - 日曜日 / 韓国版『数学ガール』からの抜粋 / 2008年4月19日 - 數學少女、順延至五月出版 / 2008年4月17日 - 中国語版の『数学ガール』翻訳のオファー / 何とか第7章 / 2008年4月13日 - 日曜日 / 2008年4月12日 - 土曜日 / 2008年4月8日 - 著者息切れ中 / 2008年4月7日 - 月曜日 / 春の祈り / 2008年4月6日 - 日曜日 / 2008年4月4日 - 新学期Lingrチャット: Free Talk on Writing 2008→終了
教育の荒廃が叫ばれている。 学校、保護者、子ども自身、そしてそれらを取り巻く環境――官僚、政治家、教育委員会、地域社会が制度疲労に陥っている。教育亡国論が喧しくとも思考停止と非難合戦、手をこまねいているばかり。教育現場は完全に活力を失っており、責任転嫁の応酬に明け暮れている。 ■ 教育改革の担当者は誰か? 象徴的な例を、いくつか挙げよう。ひとつめは、NHK世論調査(※1)だ。「教育改革の担当者は誰か?」という問いかけに対し、こんな結果が得られた。 注目すべきは、教育のまさに現場にいるはずの「教師」と答えたのが、たった8%ということ。あまつさえ、「父母」と答えたのがわずか2%は情けない。いわゆる「お上」任せである。「教育」は政争の具に貶められ、人質化している。そして、いまどきの教師、両親は、当事者意識を完全に欠如しており、犠牲になるのは子どもたちだ。 ■ 4本脚のニワトリ、絵の具でできる「き
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く