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表現に関するtadashi_shimizuのブックマーク (2)

  • 講談社現代新書の装丁が変わったのは、新書の役割が変化してきたことの現れ

    新古書店に立ち寄った際に、新書コーナーのの並びに違和感を感じ、講談社現代新書の装丁が変わっていたことを認識した。まったく違う装丁の新書がごちゃごちゃに並んでいるので、驚いて目を凝らしてみたら、どちらも「講談社現代新書」であったのだ。いや、もう何年も経つのだから、それくらい把握しておいてしかるべきではないかという気もしないではないが、ここまで装丁が違うとまるで別の系列の新書のようである。 実際、私は古い講談社現代新書も新装丁の講談社現代新書も購入していた。ただ、この2つのラインナップが同じ新書レーベルであるということに気がつかずにいただけである。(ピラミッドの謎やシャーロッキアンに関するは旧装丁で持っているし、「生物と無生物のあいだに」や「戦略思考のすすめ」等は新装丁で持っている)並べてみるとわかるが、この二つのラインナップが同じ新書シリーズであるとは俄には判別できない。 改めて装丁の影

    講談社現代新書の装丁が変わったのは、新書の役割が変化してきたことの現れ
    tadashi_shimizu
    tadashi_shimizu 2013/08/17
    昔に書いた記事だけれども、実際の装丁の変化が分かるような画像を付けてみました。
  • 映画が抱えるお約束事 - 映画の見方

    映画とは、カメラが撮影している過程で結果として被写体が画面上を左右に動くというものではありません。 その点では素人のホーム・ムービーとは違います。 映画は、あらかじめ画面の右なり左の先に、ゴールがあると設定して、そこに到達するまでの葛藤を被写体の左右への動きで表現するというものです。 『月世界旅行』"Le Voyage dans la Lune / A Trip to the Moon/Viaje a la Luna"(1902) 映画ができたばかりの頃のこの短編映画は、画面向かって⇨右側に月世界があると設定されています。 そして、そこまでの行程は⇨向きの移動で表されており、月からの帰還は逆の⇦向きの移動で表されています。 つまり画面の動きのイニシアチブを握っているのは、被写体ではなくカメラであり、画面に映るものは基的に撮影する側によって管理されたもの、もしくは編集の過程で管理されたもの

    映画が抱えるお約束事 - 映画の見方
    tadashi_shimizu
    tadashi_shimizu 2013/02/10
    引用「ミレニアムファルコンに乗り込んで共に戦うメンバーは、別々に画面に登場してきますが、彼らが皆のちに共同して戦うことの画面的伏線として、彼らの初登場画面では、皆例外なく->方向です。」
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