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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (11)

  • 覚え書き - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子育てに唯一の正解はない。同じ誰かにとって、AでもBでもZでも、αでも1でもおおむねうまくいくだろう、ということはしばしばある。 明らかな間違いというものはありそうには思うが、ある誰かにとっては「明らかな間違い」であることが別の誰かにとっては「全然間違ってない」場合もある。 頭で考えて子育てするのは大事なことだが、頭で子育てして行き詰まったら、頭を使わないところに立ち戻ることも大事。 なにしろ相手は人間なので、他人が自分の思うようにならないと同様、まるっきり思うようになどならない。子どもがどういう人間になるかは複合要因なので、結果だけを見て子育てがうまくいったかいかないかを気にしてもあまり意味はない。 よそはよそ。うちはうち。あのひとはあのひと。わたしはわたし。 自分の感覚を育てよう。自分の感覚も信じるに足る支えとできるように。

    覚え書き - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私はを読むのが大好きだったし、父はよくを読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理レシピくらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、

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    takanofumio
    takanofumio 2008/11/18
    うわーなんかもう痛いほどいろいろ同意。ついでに、自分がコドモを叱る口調が自分のとーちゃんそっくりなのに気づいたときしみじみ考え込んでしまいましたわたし。
  • ある日、ゲーム店でもらったもの - 深く考えないで捨てるように書く、また

    今日はポケットモンスター・プラチナの発売日ですね。この時間ですのでまだ我が家は入手しておりません。予約してあるので品切れの心配はないですが。 というのはマクラで。 この夏のこと。 夏休みにあわせて多数のゲームソフトが発売になり、私もある日、そのうちの1を買いに行ったわけです。近場のゲーム店に。 そこは、PCショップとゲーム売り場が併設になっており、こんな田舎には珍しく、PCパーツやちょっと変な周辺機器類などが充実していて、そういう意味でもありがたい、行きつけの店です。まあ、そういう店なので、ゲームを買いに来る人ばかりではなく、PC関係で来る人も多く、客層はやや高齢のおじさん層から若年層、子連れファミリーに至るまで、多岐にわたっています。 その日のお客さんもそんな感じでした。特にソフトの発売曜日というわけでもなく、時間的にも中途半端な平日の昼間だったのですが、ちょこちょこお客はいました。

    ある日、ゲーム店でもらったもの - 深く考えないで捨てるように書く、また
    takanofumio
    takanofumio 2008/09/13
    文章うまいなあ
  • クレしんはドラえもんになるのか - 深く考えないで捨てるように書く、また

    婚活大学|タイプ別お見合いパーティー&婚活サービスを探そう! 「のはらしんのすけ儀塾大学」なるサイトが突如オープン。 もしも娘ではなく息子が生まれたら「しんのすけ」と名付ける予定だった私が見逃すはずもない。 まあ、ざっと見ると「なんぞやこれwwwネタwwww」と思うんだけど、微妙に単なるネタで終わってないところもある。 例えば、この学部/学科紹介のページで、汐見稔幸先生の名前が監修として出ていること。この方は育児関係のをたくさん書いている有名な先生でもあり、わざわざこういう人を引っ張ってくるあたり、ただの一時的なネタサイトのつもりではないような気がするが…… と思ったらですね、こんなが既に出版されていたりするんですね。 子育てにとても大切な27のヒント―クレヨンしんちゃん親子学 作者: 汐見稔幸,野原しんのすけ一家出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2006/04/01メディア: 単行

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  • 新1年生ランドセル色分布(狭い観測) - 深く考えないで捨てるように書く、また

    以前、こんな記事を書いた。 みずいろとおんなのこ - 深く考えないで捨てるように書く 上の娘はその後、無事に入学した。そこで新1年生たちの集団(100名越え)を眺めて、どんな色のランドセルが見られるか、ざっと眺めてみた。一つ一つ数えているわけではないので、正確な分布はわからないが、おおまかな印象で。 【男子】 ほとんど黒、またはぱっと見黒に見えるような濃青、濃紺。濃いめの水色の子が一人いた。 【女子】 ほとんど赤(明るい色調のものも含む)。しかし、ピンク系もけっこういる。ざっと見たところ10人弱はピンク系、ただし皆比較的濃いピンク。明るいピンク(色鉛筆のももいろのような色)の子は見かけない。 他に一大勢力はやはり水色。自分の娘含め5〜6人以上確実にいる。女子のうちではピンクとほぼ拮抗する勢力。人気は娘と同じ薄めの水色。濃い水色の子も一人いた。 他、オレンジの子が1人、ライトブラウンの子が1

    新1年生ランドセル色分布(狭い観測) - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 娘にある言葉を教えた話 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    先日、衝撃的なことが判明した。 6歳の娘は、「きんたま」という言葉を知らなかった。 気がついたきっかけは、ポケモンだ。ゲームポケモンには「きんのたま」というアイテムが出てくる。言葉通りのもので、店に売ると高く売れるよ、というただそれだけのアイテムだ。 私はスレた大人なので、別に金の円盤とか宝石とかでもなんでもいいのに、なんでよりによってきんのたまなんだろう、と思ってしまうわけだが、娘はいっかな気にすることもなく、きんのたま、きんのたまと口にする。女の子がそんな言葉を大声で連呼するもんじゃないよ、とこれまたスレたお母さんは思うのだが、はっ、もしかして娘はそれは女の子が大声で連呼すべきではないニュアンスの言葉だ、ということに気がついてないのではないか、と、これは私のほうが気がついたのだった。 そこで私は機会をみつけて「ねーねー、娘、あんた『きんたま』ってなんだか知ってる?」と聞いてみた。案の

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    takanofumio
    takanofumio 2008/03/04
    天人唐草!
  • 悪意について。悪意とは。 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    誰かに殴られたから、殴り返した。この殴り返したくなる感情は、悪意ではない。殴られれば怒ってやり返したくなるのは当然。 別に何も相手から危害を加えられてもいず、相手に対して怒りも感じていないのに、その相手を積極的に傷害してやりたい、と感じるのは、悪意だろう。 悪意が生ずる、悪意が成立するのは、相手あってのことだ。自分ひとりの中でどろどろとした感情を練り上げても、それが別の誰か(単独の人物とは限らない)に向かうベクトルを持たない限り、悪意という形はとらない。 一方、それゆえに悪意は表現形で判断されるものであり、ある行為について悪意の有無が取り沙汰されることがある。もともと悪意があったかなかったか、ではなく、表現形が悪意的であったかなかったか、のほうが重要である、という観点が存在するわけだ。 なにより、なぜ悪意は存在するのだろう。 幼い子どもに悪意は存在しない。子どもは無垢だ、という意味では全く

    悪意について。悪意とは。 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    takanofumio
    takanofumio 2007/10/22
    おもしろいなあ。僕にとっては、あらかじめそれ(悪意)があるというより、受け取るほうがそのように感じることではじめて悪意が見出される、という図式がしっくりくる。
  • 異論とストレス - 深く考えないで捨てるように書く、また

    ネットに限らずの話ではあるが、ネットだとどうしてもよく見かけることになるので。 人間にとって、自分の意見と異なる意見を見聞きすることは、実はけっこうなストレスなんじゃないだろうか。直接自分に向けられた意見でなくて、どこかで全く無関係にふっと書かれていたりするのをたまたま読んだというだけでも。 自己承認云々とはまた別のからくりのような気がする。多様性の存在とはそうあるべきで、従って自分と異なる意見が世の中にはたくさんあって、中には真反対の、互いに完全に相容れない意見も存在する、ということは理解かつ承認している。 ただ、なにか、不安なのだ。均質なものだとなんとなく安心できて、雑多であるとそれだけでなんとなく不安になる、というような。怒りやむかつきまでもいかない、なんとなくざわざわと落ち着かないような、決して気持ちよくはない、妙な胸の感覚。 議論の有意義さ、異論の重要さは承知している。それに、す

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  • 「過」を判断するには - 深く考えないで捨てるように書く、また

    ここ数日、親の過保護過干渉に関する記事が人気を集めていたもよう。 このあたり(ブックマークコメントなどが主)をつらつら読みながら、思った。 過干渉、過保護の「過」はどのへんが基準になるのだろう。 当然のことながら、親は子どもにある程度は干渉するし、保護する。全くこれらをしないのはネグレクトで、これはこれで問題。とはいえ、「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉もあるわけで、過保護、過干渉が子どもの成長や精神のバランスを著しく崩すことがあるのも事実。 じゃあ、どのへんまでが「過」保護で、「過」干渉なのよ、という話。 自分も人の子で、また人の親であるわけだが、このへんの判断はどうにもつけられない。自分でつけられるとは思えない。少なくとも、当事者(親人と子人)には正しくはつけられないんじゃないだろうかなあ。第三者としてある親子の話を聞いて「そりゃ過保護(過干渉)だね」とは思うかもしれないが、

    「過」を判断するには - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 幼児の「女の子らしくしたい」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    最近つらつらと考えているのは、人はいつから男/女になって、いつから男/女でなくなるのか、ということ。 もちろん、基的には受精した瞬間からオスかメスのどちらかに決まっていて、この世に生まれた瞬間からオス=男、メス=女ということになって、生きていく。ヒトは性染色体の異常がない限り(表現形と一致しない場合はあるが)オスかメスのどちらかで、性染色体の異常がある場合でも、表現形としてはオスかメスかどちらかになる。 一方では、心理的に男でも女でもない時期というのもある。小さな赤ん坊は、自分が男であるか女であるか分からない(それ以前に人であることもまだ分からないのだが)。自分の経験や観察からは、だいたい3歳くらいで男と女には違いがあることに気づき、自分はそのどちらであるか自分なりに規定する、という感じのようだ。2歳ではまだそのあたりの区別はあまりついていない。しかし、この3歳の時点ではまだ単なる区別で

    幼児の「女の子らしくしたい」 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    takanofumio
    takanofumio 2007/06/05
    うちのムスメはスカートやヒラヒラを毛嫌いしてます。
  • 人間を直接的に相手にする職業は、基本的に余裕がなければ問題が生ずる - 深く考えないで捨てるように書く、また

    休日午前、夫とタイトルみたいな話をぽそっとした。 まずぱっと思い出すのは、教育現場の崩壊や医療崩壊なんだが、それに限らず、接客業などでも同じ。すごく混雑しているレストランで、注文を間違えられたり、注文したのを忘れられて後の人のメニューが先に出てきたりする(出来上がりの順で前後するのではなく、最初から忘れられている)経験はときにある話で、そういう時フロアを観察していると、大抵、余裕がない。働いている人がいっぱいいっぱいで、単に忙しいというだけでなく、一つ間違えるとそのフォローでさらにかつかつになり、結果また次の間違いを起こす、なんていう悪循環に陥っている。こういう時に、一人でも少し余裕をもって全体を眺められる人がいると、段違いにミスが減る。レストランの場合は通常フロアマネージャーなどがその役をするが、完全に余裕がないと、フロアマネージャーまで給仕に駆り出されていて、他を見ていられないから、こ

    人間を直接的に相手にする職業は、基本的に余裕がなければ問題が生ずる - 深く考えないで捨てるように書く、また
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