1週間連続で食べちゃった😖
・ステージは無人の渋谷街 ・参加者は10人ほどで相手の面識はない 初期位置はバラバラ ・参加者は一人になるまで殺し合うor相手を戦闘不能にしなければならない ・参加者は参加前にジャンプの打ち切り漫画を一つ指定することができる ・参加者にはその打ち切り漫画に登場する能力のうち一つが与えられる ・柔道漫画など能力が登場しない漫画であった場合は身体能力や技術が能力として付与される ・優勝者は好きな漫画一つを円満に終了した状態で手に入れることができる (打ち切り漫画なら打ち切られなかった状態で得られる。 ハンターハンターなどの休載作品、バチバチなどの未完作品、読み切り作品についても指定可能) この条件でバトロワする場合どの打ち切り作品を選ぶ? ・追記、補足 1. レギュレーションを求める声があったため、今回は条件を『五巻打切未満の漫画』とします。 アグラを使いたかった皆さん、ごめんなさい。 2.
味も栄養も良い、肉の代替品が工場で生産されるようになる。 実際アメリカではそのような商品は食肉を嫌がる人達に浸透してきている。 実物と遜色ないのであれば、肉を食べる必然性が無くなる。 今は大義名分があるものの、肉を食べなくても良いならば、動物の命を奪う意味がない。 原料となる動物を飼育するなど、一定の畜産は行われるかも知れないが、規模は大幅に縮小するのではないだろうか。 食は文化だから、技術が発達してもすぐに切り替わることはない。自分が生きているうちにはそんな事にはならないだろうが、数百年もしないうちにそういう時代が来るだろう。 いつの日か、「昔の人は動物を殺して食べていた」ことが驚きをもって知られることになる。 獣がスマートフォンを扱うような風刺画でも描かれるのではないか。
うん、音楽の時間でやったでしょ? 「うん、」は四分休符のことだよ。 ウンタン♪ウンタン♪ってことだよ。 言わせんな恥ずかしい。 この「うん、」は勘違いされがちだが、 同意の感動詞じゃないので注意してね。 相手の会話を強制休符するための記号で しかないよ。むしろ、否定に近いかも。 なんで、そんなのが文化になるかって? 理由はベートーベンの「運命」にある。 いや、うん命って言葉自体は関係ない。 その出だしの部分が重要なのだ。 「ジャジャジャジャーン」ってことね、 と思った奴はニトグリの如く甘いな。 それは正しくないぞ。正確には、 「うん、ジャジャジャジャーン」だ。 もうお分かりだろう。 会話の始めに「うん、」と付けるのは、 休符で始まるあの印象的な出だしと 同じ効果を期待してのことなのだ。 すなわち、「うん、」は運命と同じく、 会話を2拍目からスタートするための 記号であるわけだ。そういう会話
www.youtube.com これを観て思った事。 この動画のように、統計的仮説検定をおこなう際に、帰無仮説を、知りたい現象や理論そのものに基づいて立てるのって、見かける場合がありますね。動画のように、感じる・感じないとか、薬が効く・効かないといったものです(それぞれ、後者を帰無仮説として、その否定の前者を対立仮説とする)。 けれど、ほんとうを言えば、あまりこういう仮説の立てかたは、するべきではありません。と言うのは、統計的仮説検定における仮説はあくまで、文字通りに統計(学)的な仮説であって、これは、実証したい理論的仮説から導かれる作業仮説として扱うべきものであるからです。 たとえば、ある病気を治す事を期待して薬が開発されたとします。ここで確かめたいのは当然、この薬は病気に効くというものです。で、この確かめたい理論に基づいて、 対立仮説 薬が効く 帰無仮説 薬は効かない と立てたくなる…
面白くない小説、というわけじゃなくて、続きが気になるわけではないけどなんとなく読んでしまう、みたいな。 最近、というか大衆小説はみんなそうだと思うが、続きが気になって寝食忘れて読んでしまう小説が良い小説だとされがちだけど、 ゆるい生活がゆるく続いていて、それが読んでる人の心を動かす、みたいな。 ただきれいな文章を読むために読む小説を探している。 いいなと思ったのは、 ヘミングウェイ フィッツジェラルド ミシェル・ウェルベック ジャン=フィリップ・トゥーサン デビュー作しか読んだことないけど村上春樹もこの枠に入るのかな。 見たら分かる通りトゥーサン以外は有名どころばかりだし海外作家に偏ってるのでほかにおすすめの作家がいたら教えてほしい。 数年前に貴志祐介の『新世界より』を文字通り寝食忘れて読んだけどあんな体験はもうしたくないんだ。 ドキドキハラハラも感動の涙もいらないんだ。 ひたすら人間の生
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恐ろしい答えならいくらでもあるけどほんわかできる答えってあるのかにゃ?大昔の曲で林檎殺人事件てあるけど椎名林檎がいる今となってはほんわかできないにゃ。
ここ5年くらいまったくない。 『風をあつめて』や『LOVEずっきゅん』をラジオで始めてきいたときや、ニコニコで電波ソングを知ったときの衝撃が最近ない。近くでは5年ほど前の『インドア系ならトラックメイカー』で音楽とのであいが終わっている。
はてブで話題 togetter.com anond.hatelabo.jp 同作品は、自分は「勉強ができる主人公」分析のときにちょっとかかわったぐらいで、まーそもそもジャンル的に「not for me」です。 m-dojo.hatenadiary.com ただアニメ化だかドラマ化もされたはずだし、少年ジャンプでかなり人気だったそうだから、クオリティも高かったのだろう。無事に結末を迎えてお疲れさまでした――である。 しかし、まあ上の話を聞いて、「物語」論としてはうーむというか、みんながある意味わかってたけど、避けていたことに正面から突っ込んだのだなあ、と感心させられる。 ひとことでいえば「物語は誰のもの?」ということである。 過去に関係記事を何度か書いているけど、やはりそこでも紹介した…当時話題になった井伏鱒二「山椒魚」の話を例にとろう。 wikipedia:山椒魚 (小説) 「山椒魚」(さ
筆者のTLには、数年前から「強い女性キャラクターは利己的なものとして描かれる、一方強い男性キャラクターは利他的なものとして描かれる。これは特にアメリカ産のコンテンツで強い傾向である」という言説が流れていた。 筆者としては「さすがに偏見では?」と思いながらこの意見を見ており、反例を挙げようとしていたのだが(私自身があまりドラマや漫画を見ないので基本的に他者の評論を聞くしかないのだが)、この傾向の反例が上手く出せないという引っ掛かりがあった。実際、その主張に沿う例のほうが先に思いついてしまうのである。 例えば、ごく最近「アメリカ発コンテンツは女性キャラを強いものとして描けている」と称賛されていた典型に「アナ雪」のエルサがいるが、彼女は強さの表現として孤独になる過程が描かれる。「キャプテン・マーベル」なども自己形成が主題でリーダー的姿の評論は少ない。他には「プラダを着た悪魔」のミランダなどがこの
アドバイスおじさん現る 世の中には「アドバイスおじさん」という人がいて、若手の画家などが個展を開いたりするとやってきて、あなたこうしたほうがいい、ああしたほうがいいとアドバイスをしてくる迷惑な人種を指す*1。GoogleでもTwitterでも「アドバイスおじさん」で検索をすると被害報告が山のように出てきて、クリエイターを苦しめているのが分かる。 アドバイスおじさんに1回絡まれて「ここまでやるとやりすぎ!」「紙っぽくなくて紙の良さ全然出てない」「切り絵らしさ全く無いね」って言われたことあってめちゃくちゃ悔しくて堪らなくて更に切り絵らしさ無くなりました 切り絵で如何にリアルさを表現できるかを突き詰めているのが斉藤の世界だ!!! pic.twitter.com/6uByaogHnS — 切り絵作家斉藤洋樹 個展【足跡】2.28-3.1 (@kiriehiro) 2019年11月22日 白状します
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