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人生に関するtakuwzのブックマーク (70)

  • 清楚な女の子がDQNと付き合って染められる話 ニコニコVIP2ch

    ニコニコVIPユーザー様、アケオメです! きましたね。新年が来てしまいました。 今年こそ、オシャレになりたい。今年は、 普通のオシャレからワンランクアップしたい。 自分に似合う格好を見つけたい。。 そんな色々なご要望に応えられるように。 もっともっと頑張らせてください!! ⇒セールをやっているとか?いないとか? 1 代行 投稿日:2011/01/09(日) 19:24:38.86 ID:6r2ugsqJO の反対の話なんだが、 こないだ同窓会で再会した奴から聞いた。 俺は結構面白いと思ったから、聞いてくれ。 8 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/01/09(日) 19:29:32.79 ID:Uo8scwceP どこのAVだよ 15 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/01/09(日) 20:45:24.54

  • 私が人生の進路変更をした本当の理由 - My Life After MIT Sloan

    遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。 昨年は、このブログを通じて当にたくさんの方と知り合い、色々と考えるきっかけを与えてもらえました。 またMITを卒業して、仕事にも復帰し、最近はようやく自分らしく仕事が出来るようになってきました。 有難うございます。 「書く」、そして発信するという行為は自分にとっては大切な時間。 留学中に自分のスタイルを確立し始めていたのに、昨年の後半は、ブログやTwitterがほとんど手につかずにいた。 これは仕事が忙しいというより、ある人生の決断が出来ずにずっと悩み続けていたからだった。 それは私にはとても大切な時間でしたが、記事を待って下さっていた方には申し訳なかったです。 12月に入ってようやく結論が出て、動き始めて、最近ようやく落ち着き始めたところ。 これからは前のように、ブログ記事も(土日中心に)頻繁に書いていこうと思う。 この決断について書

  • 似非原路上日記。

    似非原 @esehara 色々あって新宿中央公園でフラフラしてるんだけど、数日前の早朝くらいに、衣服が少々汚れたとある女性に話しかけられ「どうしたのかな」と思って聞いていたら、男性にからかわれていた、ということを拙い言葉で説明された。言葉足らずなので頭の中でかなり補完したが、たぶんそういうことだろうと。 似非原 @esehara 人に話して気持ちが軽くなるなら、それは悪いことじゃないなと思ったので暫く聞いてはいたんだけど、自身の不眠症の気もあって、身体がぐったりと睡眠を求め始めたので、ベンチに横になり始めた。ときどき身体を揺さぶられたりしたけれども、「ごめん、正直もう持たないや」と言い続ける。 似非原 @esehara そういうことがあってから数日後に、他のお兄さんから話しかけられる。「おい、兄ちゃん」「はぁ、なんでしょう」「あのさ、ちょっと小太りの女の子と仲良さげに話していたじゃない?」

    似非原路上日記。
  • 似非原施設日記

    似非原 @esehara 水際作戦(生活保護申請を受け付けないために役所がいろいろとすること)の厳しさを実感するために、新宿区福祉事務所に来ている。 似非原 @esehara 新宿区役所の喫煙スペースには、心無しかわかばフィルターが多く、「やっぱりみんな安いタバコを吸うよなー」と、遠い目をしながら、わかばの煙を揺らしたりした。

    似非原施設日記
  • 為末大「人を喜ばせる為に生きてやいないか」

    丹埜倫 @rontanno 「あれほど」が何を指すのか分かり兼ねますが、僕は小学校教育だと思いますね。イギリスの全寮制から小6で日の公立小学校に転校したときの衝撃は忘れません。同一性を重んずるという意味では、正直カルトに近いものを感じました。@daijapan なぜ日人は偏りをあれほど嫌うのか 2010-12-15 02:00:50 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan 偏ってないってことは誰かと替えがきく存在になるって事だと思うんですけどね RT @RonTanno: 「あれほど」が何を指すのか分かり兼ねますが、僕は小学校教育だと思いますね。イギリスの全寮制から小6で日の公立小学校に転校したときの衝撃は忘れません。同一性を重んずるという意味で 2010-12-15 02:12:24 丹埜倫 @rontanno 全くその通り。同一性が求められる単純作業は今

    為末大「人を喜ばせる為に生きてやいないか」
  • はやぶさ信じ逝った息子 遺影抱えた父、一番乗り 佐賀・宇宙科学館でカプセル公開 : 鹿児島 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    拓也さんの遺影を手にはやぶさのカプセルを見学する松迫淳一さん(右端)(27日、佐賀県武雄市の県立宇宙科学館で) 7年にわたる約60億キロの宇宙の旅を終え地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。九州初の一般公開が始まった27日、会場の佐賀県立宇宙科学館(佐賀県武雄市)に一番乗りしたのは、はやぶさの帰りを心待ちにしながら16歳で早世した曽於市の少年の父だった。はやぶさとの対面に、「息子が連れて帰ってきてくれたような気がする」と声を詰まらせた。(浜村勇) 世界で初めて月より遠い小惑星「イトカワ」の微粒子を持ち帰ったことが判明して間もないこともあり、同宇宙科学館には開館前から500人以上が長い列を作った。 「どうしても息子に一番最初に見せてやりたかった」 先頭にいたのが長男拓也さんの遺影を携えた曽於市の松迫淳一さん(55)だった。 内之浦宇宙空間観測所(肝付町)でたびたびロケットが打ち上げられてい

  • 躁うつ病患者の生存手引き

    http://anond.hatelabo.jp/20101016012817気持ちはよーくわかる。何故なら俺も躁うつ病だからだ。とゆーわけで誰かの役に立てばということでこんなことかいてみる。ちなみに、当方現在リーマン。躁うつ病患者にありがちなことに、高校大学ともに一回中退してる。レベルは大したことないが、躁レベルはそこそこ高くふと思い立って借金して海外生活を始めるレベル。①日記をつけよう躁というのは躁とを行ったり来たりする病気である。「躁の時はマジ俺ドラゴンボール集めて世界の覇者になれるんじゃねーの?カンボジア辺りにあるんじゃねーの?」とか思ってリアルにカンボジアに行ってしまうし、ひとたびに入ると「生きる価値もないゴミムシです、俺を殺して5匹のワラジムシを代わりに生かすべき」とか真剣に考える病気です。しかし、近年はを抑える薬も躁を抑える薬も出ているので、躁の時には下げる薬を

    takuwz
    takuwz 2010/10/16
    >「買い物フィーバーを起こす、免許もないのにハーレー買った」とか「危うく都内に家を立てるところだった」とか「オーストラリアの炭鉱で露天掘りをしてきた」とか、すげーな
  • Twitterで会社をクビになったら、BLゲーム会社の社長になったよ! - さまざまなめりっと

    なんで国会議員は議会中にケータイいじってもクビにならないんだ!(ドンッ!)って議員さんアカウントに無差別陳情@を送ってみたい。あと、なんで神奈川県警は青少年とみだらな行為しても懲戒免職になりませんか。僕は警察への就職を目指すべきでしょうか(真剣)

    takuwz
    takuwz 2010/09/26
    ええーwゲームに期待しておく。
  • 午後七時、僕の部屋に明かりが灯る - Everything You’ve Ever Dreamed

    漁師だった母方の祖父は小柄なくせにとにかく腕っぷしが強くて中学を卒業するまで僕は腕相撲でまったく敵わなかった。もっとも、漁師だったのは僕が産まれるずっと前のことで、陸にあがったあとは普通に会社勤めをしていたし、人もあまり思い出したくないのか、漁師時代のことにはほとんど触れようとしないので、ときどき母親と叔父の会話から垣間見える程度で、祖父の漁師時代のことを僕はよく知らない。小学生のころ、夕暮れどきに一緒に海岸を散歩していた祖父が灯台をみつめて、ただひとこと、「あの灯りを頼りに」とぼそっと呟いたのを聞いたことがある。そのときの祖父の眼は、夜の海と同じ色をしていた。中学、高校と進んでいくにつれ、腕っぷし自慢の祖父が僕や弟に腕相撲を仕掛けてくることはなくなっていった。 腕っ節が強いイメージが刷り込みのように焼きついてしまっているので、祖父が最近ちょっとおかしい、忘れっぽくなったと親戚から聞かさ

    午後七時、僕の部屋に明かりが灯る - Everything You’ve Ever Dreamed
    takuwz
    takuwz 2010/06/24
    血縁。血の繋がりのもつ力っていうのはあるだろうけれど、それに甘えていては駄目なんじゃないか?血はきっかけにすぎない。血は助走にすぎない。もちろん長いようで短いレースのような人生で、その助走は大きなア~
  • どうすれば良かったんだろう

    夫が亡くなったときの対応について わがままを聞いてはいけなかったろうか? 1年前、夫は肺ガンで亡くなった。健康診断を受診したときは、もう手遅れで「あと半年の命」と宣言された。夫自身には期限は知らせず、末期ガンなので苦しい治療になるとだけ伝えた。 個室に入れてもらったこともあって、家族の面会は自由に近かった。私は昼前に病院に行き、事を共にし体を拭き洗濯ものを回収し、日常の買い物などをした。 抗ガン剤の投与で病状が回復すれば、1週間くらい帰宅し、また具合が悪くなって再入院。それを4回繰り返したころ、とうとう抗ガン剤投与で体調が悪化した。もう抗ガン剤は使えない。死を待つばかりの状態になった。主治医の先生が「残念ですが、もう手がありません」と夫に告げた。 そのときから、夫のわがままがひどくなった。 まず、私に帰るなと言い出した。一人で夜を過ごすのが寂しいのだと言う。家には高1と高3の子供がいる。

    どうすれば良かったんだろう