中川村公式ホームページは、多くの方に読みやすく、安全性の高いホームページを目指して、令和2年4月1日に大幅にリニューアルいたしました。 それに伴いトップページ以外の各ページのURL(アドレス)が変わりました。 お手数おかけいたしますが、以下よりお探しいただきますようお願いします。
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中川村役場 〒 399-3892 長野県上伊那郡中川村大草4045-1 TEL 0265-88-3001(代) FAX 0265-88-3890 e-mailはこちらから
今日NASAから、二人のお客様が市役所を訪ねて来てくれました。 来てくださったのは、シニア・アドバイザーで民間クルー輸送機プログラム担当のスティーブン・ケインさんと、広報スペシャリストのバーバラ・ロックリーさんの二人。 二人はこの日、釧路工業高等専門学校で宇宙開発技術について学生のために講演をしてくださり、その後の表敬訪問として訪ねて来てくださったのでした。 NASAではこうした講演をすることで、理数系の学生に技術のすばらしさや魅力を伝えることで優秀で将来宇宙開発技術を担う研究者を育成する活動を行っているのです。 人材確保や宇宙技術に対する世間の興味を引こうとするその戦略性は実にすばらしいですね。 本来釧路は講演の対象地になっていなかったのですが、釧路高専におられる小松教授がかつてJAXAにいたときのネットワークを活かして直談判してきてくださることになったのだとか。 ちなみに釧路高専の小松
ちょっと前、「子どもに「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と言われた時、「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」と返すのが最強」とかいうコピペをみて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が本気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す。 「お前は何の役に立つの?」という言葉には、勿論「お前も今は役に立たないけれど、将来は役に立つだろう?それと同じだ」という含意があると思われる。子どもはこの含意を理解しない。「お前は役に立たない」と受け取る。これは、言ってはいけない言葉だ。こういう言葉が、子どもから学習自体を奪う。 子どもはどんな時に「こんなこと勉強して何の役に立つの?」というかというと、要はその分野が面白くない時、意味が分からない時、とにかくその勉強をしたくない時に言うのであって、つまり「どんな役に立つのか」→「役に立たないでしょ?」というのは勉強しないことの理由づけないし
大学に関する良書は少なく、伝えられるのは「増えすぎた大学」「5割以上になった進学率」「学力の低下」など、否定的で紋切り型の情報が多い。しかしなぜ大学が増えたのか、なぜ学力が低下したのか、なぜ大学が破綻するのかなどについて、包括的にわかりやすく書かれた本がなかった。本書がはじめての本ではないかと思う。 タイトルは「文学部がなくなる日」だが、内容は、サブタイトルの「誰も書かなかった大学の「いま」」だ。読んで興味深く感じたことを列挙してみる。 第一章「大学がつぶれる」では、大学の状況が俯瞰されている。18歳人口が、90年代初頭の200万人から120万人に減少。大学数は92年の523校から2010年の778校へ増大。定員割れの現状と経営破綻した大学。夜間部と短大が消失。 部外者にはこういう大学のあり方が不可思議だった。進学率が上がったとはいえ、18歳人口が減少しているのに、大学が新設され続け
ネットで学費援助を募集するというような話題がこのところネットにあって、公的なセクターが関わる話でもなさそうなので、私にはあまり関心が向かない。なので、そうだったら、関連した話なんかも書かなくてもいいじゃないかとも思うのだけど、まあ、雑談くらいにちょっとだけ。 以前、米国の職業別組合みたいなのものに所属していて、それなりに面白い体験でもあった。団体のプレジデントとか選ぶときも、米国の大統領選挙みたいな仕組みだったりした。規約の改定の手続きともかも、宗教的な大義みたいなものを打ち出したりして、米人は奇妙な考え方をするもんだなとか思った。そんななかで、組合のミッションとして、「今年の奨学生」というのもあった。組合で奨学生を選出して支援しているようだった。 他の組合というかユニオンがどうなっているのか知らないし、ざっとネットで調べた感じだとよくわからないのだが、そこのユニオンだと、将来学生がその職
ポイントは加算式で様々な細かい設定がなされているが、その計算方法は例えば自宅から学校までの距離が30?~249?までだと2ポイント、それ以上遠い場合は3ポイントが加算され、身体に障害がある場合に2ポイントが加算される、というようになっている。給付額は最高が37万9000円で、年収が最も低いグループに属し、ポイントが最も高い場合に給付され、最低額は同様に13万8000円である。フランスにおいては国立大学の学費が原則無料であるために、この給付額は生活費などに当てられ、必要な費用の大半をカバーしている。 フランスにおいては上記のようなマトリクス方式を採用しているため、奨学金を給付する基準に家庭の所得水準に加えて、その他の家庭内事情が加味されることとなる。そのためその家庭ごとのニーズに応えたピンポイントな対応を行うことができ、より国民本位な奨学金を給付することが可能となる。今の日本の行政に必要なも
『恋人の有無が中学生の意識に与える影響』まとめ (東京大学大学院教育学研究科紀要, 2012) By ぱろすけ on 5月 2nd, 2012 『恋人の有無が中学生の意識に与える影響 : 「恋人のできやすさ」に着目して』と題する論文が東京大学大学院教育学研究科紀要において発表され、僕の周りではそのタイトルのインパクトから大変話題になりました。しかし、タイトルの誇る印象に比べ、中身はそれほど読まれていないように思います。特に、タイトルだけ眺めて「これで論文になるんだから教育学部はクソ」という声が多く飛んでいます。それはよくない、きちんと中身を把握してから物を言うべきです。ゆえに、本エントリではこの論文の内容を簡単にまとめます。 論文自体は東京大学学術機関リポジトリから誰でも手に入れることができます。 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspac
4月から中学で武道が必修化されることに伴い、県教育委員会は重篤な事故が起きている柔道について、「大外刈り」を禁止し、投げ技を使った試合は行わない、などとする安全指導指針をまとめ、各市町の教委に通知した。県内では平成22年、中学の柔道部で大外刈りを受けた部員が死亡する事故が起きたこともあり、技の種類を制限する全国的にも厳格な内容の安全指針となった。 県教委の指針は頭部外傷などの事故が予想される大外刈りは行わない▽投げ技を使う試合は行わない▽体格や技能の異なる生徒同士を組ませない−などとなっている。投げ技を使わなければ、試合は座った状態で行うのみとなり、立った状態での試合はできないことになる。 1、2年生については「投げ技は互いに約束した動きの中で行うだけで、乱取りなどは行わない」と、より厳しい条件を課した。 名古屋大学大学院の内田良准教授のまとめでは、22年度までの28年間に柔道中の事
Tweet 皆さん、こんにちは。科学コミュニケーターの早川です。3月20日は春分の日。未来館へのお客さまの数も今年に入ってからの最高記録を更新しました。そんな大忙しの中、ある来館者から次のような質問をうけました。「春分の日は本当に昼と夜の長さが同じなんですか?」 皆さんなら、どう答えますか。 正確には昼と夜の長さは違います。 原因のひとつは大気を通る光の屈折。地平線の下にある太陽が、地球をつつむ大気のいたずらで地平線の上にあるように見えるのです。詳しくは国立天文台のコチラのページをご覧ください。 しかしこのときはそうした説明はせず、こう答えました。 「その通り。今日は昼と夜の長さが同じ特別な日だよ」 ちなみに質問をしてくれたのは小学校低学年の男の子です。 なぜ上のように答えたのか。 それは10歳にも満たない彼にとっては光の屈折の話よりも、その日が365日中たった2度しかないスペシャルデーで
書かなくてはならないという強い脅迫感でこれを書いています.いや,書き貯めています.皆さんは,大学教員というものがどのような職業であり,日々何をしているのか,よく解っていないと思います.ややもすると,知りたくもないかもしれません.そこで,私が見聞きした,大学教員の実態を赤裸々に暴露したいと思います.ただし,全てフィクションであり空想であり妄想です.所属機関とは一切関係ありませんし,特定の人物とは一切関係ありません.信じるかどうかは,あなた次第であると言えましょう.事実は小説よりも奇なり. 大学教員は寂しい 大学教員は特殊で,同期が数十名から数百名もいる新卒一括採用の企業とは違い,同期は少ないです.しかも,同僚も少なく,企業でいうところのBU程度の人数しかいません.さらに,その数少ない同僚とも,話す機会はほとんどなく,運が悪ければ,1週間誰とも会わないなんてことは珍しくありません.つまり,職場
いろいろありまして、久々のブログ更新です。 現在、サイコムで、大学院ガイドを編集作業中であったりする。大学院進学を考えている人必読の書にしたいと思っているわけである。で、そこで一章、日本の大学院が置かれている歴史的な状況を解説する章をつけたいと思っていた。というのも、博士の失業率が高く、「余剰博士」という言葉まで登場する昨今、大学院に進学することが自分にとってどういう意味を持つかの検討なしに進学することはお勧めできないからである。といって、大学教授たちも先輩院生もあまりそのあたりのことを把握しているとは言い難いし、政府が十分な説明責任を果たしているというわけでもない。そこで、世界的に、あるいは日本において科学技術や大学院教育の持つ意味を若干なりと検討してみたいと思った次第である。 しかしながら、残念なことにさまざまな制約から人様にお金をいただけるようなレベルのレポートは作成できないと思われ
Nature, (2011年) | doi:10.1038/472276a Published online 21 April 2011 世界では、これまでにないハイペースで博士号(PhD)が生み出されている。この勢いに歯止めをかけるべきなのだろうか。 David Cyranoski, Natasha Gilbert, Heidi Ledford 図1:博士号の増産傾向 | 拡大する 多くの国々では、高等教育の大幅な拡大によって、博士号の授与数が増加した。1998 年から2006 年までの全研究分野の博士号授与数の年平均伸び率を以下に示した。 SOURCE: OECD/CHINESE MINISTRY OF EDUCATION 博士号を手にした科学者が誇りに思うのは当然だ。今もそれは学界エリートへの立派な入場券であるが、かつてほどの輝きはない。経済協力開発機構(OECD)加盟国では、科学
5号館のつぶやき:大学院生は利用され使い捨てられているのか 私は前から不思議なのですが、こうした研究室の先輩の進路状況や、研究室で上に書かれているような理不尽が行われているということが、ほとんど後輩に語りつがれていかないという現実があります。その結果、数年前に起こったアカハラ事件とほとんど同じことが数年後の同じ研究室で再現されているなどという信じられないことがいまだに続いているところもあるようです。 というわけで、教員を糾弾して改善を迫ることも大切だと思いますが、学生側の情報流通をなんとかする策も講じる必要を強く感じているところです。 博士進学問題:学生は就活同様の研究室選びをすべき:生命の理解、そして「理解」の理解 「学生による研究室選びは、最初から学生側の責任」と言いたいわけですが。 教育の質に差があったとしても、それは研究室を責めてよい理由になると思えません。 なぜなら、「大学院の役
あたしが小学5〜6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。 このルール下だと、「今度クラスのレクリエーション時間でどんなスポーツをやるか」なんて議題で話し合うとき、ただ各自で 「バスケがいいでーす」 「ソフトボールがいいでーす」 「ドッジボールがしたいでーす」みたいに提案だけしていきなり採決ってのはダメなわけ。提案するには、絶対に「なぜ自分はクラスでこのスポーツをやるのがいいと思うのか」を言わなきゃいけないんです。 そうなってくると、「自分がバスケが好きだから」クラス全体でバスケをするべきだなんて言えないわけですよ。いくら小
子どものためのネット護身術「ペアレンタル・コントロール」を始めよう! セコムの舟生です。 先日、NPO青少年メディア研究協会の下田博次氏に子どもの携帯電話・インターネット利用問題について、最新事情を伺い、記事をアップしました。たくさんの方々にアクセスいただきまして、どうもありがとうございます。多くの親御さんが、携帯電話やインターネットに不安を抱き、子どもを守るために何ができるかを模索していらっしゃることを、改めて実感しました。 その中で、「ペアレンタル・コントロール」という言葉がキーワードになっていましたが、この言葉を初めて耳にした方も多いのではないかと思います。 そこで今回は、欧米では子を持つ親の常識となりつつある「ペアレンタル・コントロール」についてまとめました。具体的な方法について触れてみたいと思います。 * * * * * * ▼ 「ペアレンタル・コントロール」って、なに? 「ペア
はてな匿名ダイアリーで以下のようなエントリーを見ると、自分の研究室でうつ病になった子を思い出して心配になる。 自殺すると研究室にお金が入る仕組みってないのかなぁ 気持ちの整理になるかもしれないので書いてみる 私は、卒業研究や修士研究で得た経験が今後の人生においていくばくかの役に立つと信じているので、卒業研究や修士研究を真剣にかつ楽しく行って欲しいと思っている。でも、一方で、卒業研究や修士研究は長い人生において、何回か登場するちょっとした進級試験でしかないことも理解している。だから、はっきりいって卒業研究や修士研究で自分の心や体を壊すなんていうのはあまりにももったいないと思う。 博士研究は別として、卒業研究と修士研究は成果ではなく努力を評価の対象としている。「でも、中間試問や最終試問とかでは成果について問いただすじゃないか?」という疑問もあろうかと思うけれども、それは、努力の度合いを成果を用
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