播磨灘を臨み古来より陸海交通の要衝「明石」。 その町並みが整えられたのは大阪の陣のあと、徳川幕府の命で明石城が築かれた頃にまで遡る。以来四百年、築城の活気は脈々と受け継がれ「明石藩の城下町」「海峡の町」「魚の町」そして「ときのまち」として栄えてきた。そんな明石の町の見どころと魅力を紹介しよう。 JR明石駅のホームに立つと、明石城の二基の櫓(やぐら)とそれを結ぶ城壁が目に飛び込んでくる。三重櫓は漆喰総塗籠の端正な姿で、まさに城下町明石の象徴である。 明石城は1617年(元和3年)信濃松本藩から明石藩へ移封された小笠原忠真が二代将軍徳川秀忠の命を受け築城、1619年に完成させた。 元和の一国一城令で廃城となった付近の城の部材を用い短期間に完成させたという。 向かって右手の巽櫓(たつみやぐら)は以前の居城船山城から、左手の坤櫓(ひつじさるやぐら)は伏見城から移築されたものだ。 築城の目的は徳川幕