目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(771) 雑文(512) 書籍・漫画関連(56) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(336) 始めたばっか(13) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(61) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(40) FF3(6) Civ4(18)
色々とどうかと思ったので。 目上の人に「了解」は失礼? そもそもなんでこんな記事が、仮にもNHKのニュース一覧にクレジットされているのかさっぱり分からないのですが。 上の記事には、大きく分けて三点の突っ込みどころがあります。 1.内容が完全に個人ブログの引用に立脚しているのに、引用元の詳細どころかリンクすら貼っていない 2.かつ、個人ブログに触れていながら、その個人ブログでの結論は一顧だにせず、都合のいい議論のトリガーとしてのみ利用している 3.内容自体が無根拠な覚醒作りを助長する内容になっており、生産性のかけらもない 仮にも公共放送の組織がやっている記事でこれは、全体的にアホですかと思うわけです。 まず第一に、突っ込むのもアホらしい基本的な部分なんですが、 ネットで話題になっているのは「『了解』は失礼か?」というタイトルのブログ記事で、この記事に反応して「「目上には『了解』ではなく『承知
子どもにゲームを買ってあげると何がまずいかなー、と考えるわけです。 で、例えば 「ゲームに夢中になって、お友達や親とのコミュニケーション不全になる」とか、 「ゲームをやり過ぎて目が悪くなる」とか、 「ゲームをやり過ぎて勉強時間や運動の時間が足りなくなる」とか、 そういう話がよく出るわけですよね。 その度に思うのが、いや、そこは叱れよと。やり過ぎだったら止めろよ、と。 確かにいますよね。ファミレスでとか、食事中とか、本来なら家族でコミュニケーションをとるべきタイミングで、ずーっとゲームしてる子とか。私自身も、そりゃないんじゃないの、と思うことはあります。 別にゲームに限った話じゃないんですが、子どもは楽しいことだったら当然夢中になりますよね。ちょっと夢中になると、自分では歯止めなんてききゃあしないわけです。 けど、同じくゲームに限らず、「今はそれをやるべきタイミングじゃない」というのは当然あ
「そうだったのか!」「今まで俺が信じていたことは間違いだったのか!」という感覚は、それが自分の根幹を揺るがすようなものでない限り、実はとっても気持ちいい。 固定観念に触れない程度の気付き、というものは快感だ。覚醒欲求、とでもいうのか。それとも真実欲求、とでもいうのか。どんなジャンルでもそうだが、大体の人は「勘違いしていた自分からの脱却」「正しい知識を得たことによるレベルアップ」という感覚にわりと弱い。 という話を、以下のようなリンクを読んで考えた。 「間髪をいれず」が殺された日 そうなんですよね。 上記の記事を乱暴に要約してしまうと、「本来言葉は変化するものであって、「正しくはこう!」などということを希求することに意味などないのに、知ったかぶって「正しい日本語」などというものを主張する輩によって言葉狩りが発生してしまう」という問題提起になる、と思う。 この問題提起については、私は全面的に賛
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く