日米戦争に突入した真珠湾攻撃から70年たった。先の戦争で日本は310万人の尊い命を失い、敗れた。日本はなぜ、戦争の道を選んだのか。回避する道はなかったのか。当時の国民が総力を挙げて戦ったあの戦争の意味を改めて問い、考える日としたい。 真珠湾攻撃は日本時間の昭和16(1941)年12月8日未明、日本の海軍機動部隊がハワイの真珠湾に停泊中の米太平洋艦隊を急襲し、日米戦争の火蓋を切った戦いである。米国では「だまし討ち」とされ、「真珠湾を忘れるな」という言葉が今も残る。 ≪力を失う日本断罪史観≫ 戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)で、日本は満州事変(昭和6年)以降、中国などへの侵略を企図したとして、一方的に裁かれた。近年、そうした“日本断罪史観”はしだいに力を失い、あの戦争を日本人自らの目で冷静に見つめ直そうという研究が盛んになっている。歓迎すべき傾向だ。 どの時点で日米戦争が不可避になったのかに