日本史の教科書では反乱を起こしました、と一文だけ書かれている「藤原純友の乱」。 同時期に発生した「平将門の乱」と合せて「承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)」とも呼ばれています。 書かれているのも名前だけで詳細を学ぶことが無いことから、この反乱は小規模な事件と思われることもあります・・・が、実はこの「藤原純友の乱」、日本史史上でも屈指のヤバい反乱だったのです! 実はヤバい「藤原純友の乱」 「藤原純友の乱」が発生したのは939(天慶2)年、平安時代の中期にあたります。 首謀者の「藤原純友(ふじわらのすみとも)」は伊予国(現在の愛媛県)を拠点とした海賊です。 これはヤバい、反乱の首謀者が日本屈指の名家出身 親族は歴史的人物 反乱を起こす「藤原純友」は名門貴族として名高い藤原氏、その一族内でも最も繁栄した藤原北家の出身です。 大叔父は日本初の関白となった「藤原基経(ふじわらのもとつね)」。