COPYRIGHT © Kodansha Ltd. All rights reserved.
沖縄の下層の若者たちは、剥き出しの暴力に支配された地元や職場からなぜ抜け出せないのか? それは生活様式や「文化」の問題ではなく、産業構造や経済の問題だと語る打越正行氏に話を伺った。(聞き手・構成/芹沢一也) ――打越さんの研究について教えてください。 私は、若者文化、なかでも暴走族、ヤンキーの若者の文化について研究しています。そうした若者たちと活動をともにし参与観察をしたり、彼らに生活史インタビューを行ってきました。 暴走族のバイク倉庫に通い、建築現場で一緒に汗を流しながら、彼らの生活と仕事について調べるんですね。そのなかで、彼らが建築業や風俗経営業、違法な就労などといった、厳しい生活や仕事になぜ就くようになるのか、つまり沖縄の下層若者の就労をめぐる再生産過程に関心を持ちました。 沖縄には「ゆいまーる」という、相互に友好的に助け合う「つながり」があるといわれます。ところが、調査を進めていく
コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕
先日私は映画館でマレフィセントを見に行ってきました。原題はペロー童話の眠りの森の美女です。バレエではカラボスにあたる役がこの映画ではマレフィセントになっています。(もちろんどちらの名前も間違いではありません) 映画を見た人はわかっていただけると思いますが、本来主人公なはずのオーロラ姫の存在は二の次、話のついでという扱い。デジレ王子はそれ以下の扱いでした。王子が魔法で永遠の眠りについたオーロラ姫を目覚めさせるための愛のキスをしても、目覚めさせることができず役立たず扱いで部屋の外にぽいっと捨てられる始末。かわいそうでした。オーロラ姫に真実の愛のキスをするのはマレフィセントです。この映画は題名からしてやはりマレフィセントメインでした。 原作に出てくる登場人物を主人公にせず、脇役や悪役視点からストーリーを語る手法はすでにおなじみのものです。脚本、演じる役者さん、美術背景などで全く違うストーリーにな
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く