ブックマーク / klov.hateblo.jp (2)

  • 情報の複雑化と望まれる「マスメディア」 - 絶倫ファクトリー

    シロクマ日報 > ニュースは現実ではない : ITmedia オルタナティブ・ブログ via kwout 仰るとおりで。……といいたいけれど、事態はそれほど容易なレベルではなくなっている。「それはどのような経路で伝えられてきたのか」「なぜ伝えられてきたのか」といったメタ情報が必要になるということ、それはマスメディアによって伝えられる情報の一意性が疑義にかけられ、その正当性を担保する審級が既に失われていることを意味する。そしてオブジェクトレベルの情報の真偽を決定する審級が喪失している以上、メタレベルの情報の真偽を決定する審級ももはや一つには定められない。地球温暖化に関する論争などその典型例である。温暖化の証拠とその反証といわれる有象無象の「一次情報」が飛び交い、それを取り扱う「専門家」「識者」の言説がまた飛び交い、その言説についての言説もまた世に溢れている。 そしてあまりにメタレベルの情報の

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  • 我々は何を隠してきたのか、あるいは「不可能性」の変遷 - 絶倫ファクトリー

    不可能性の時代 (岩波新書) 作者: 大澤真幸出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/04/22メディア: 新書購入: 14人 クリック: 179回この商品を含むブログ (162件) を見る 大澤真幸『不可能性の時代』を読み返していた。つらつらとメモ程度に。 不可能性―現実と反現実の乖離 東浩紀や木原善彦が、大澤の(元は見田宗介の)命名法を援用して「理想の時代」「虚構の時代」に続く現代を「動物の時代」「現実の時代」と名づけていた。だがそもそもこの見田―大澤の「〜の時代」という命名法は「現実」の対義語としてどのような言葉が参照されているか、という考察に基づいているものであり、その考察を省略した命名法はオリジナルの意図には反するものである。(東については大澤との対談で直接指摘されていたようだ。) 大澤は、隠された「現実」を捜し求める「現実への逃避」と、ジジェクのいう「カフェイン抜きのコ

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