株式会社はてなを「THEはてなバンド」として擬人化表現。 まだ売れていないころ(ベータ版)からのファンがいる その頃はバンドリーダーのid:jkondoと「はてなへの要望」キーワードで直接交流が出来た 1stシングル「アンテナ」、2ndシングル「ダイアリー」と次々とヒット曲を出してファンを増やす「THEはてなバンド」 THEはてなバンドのライフワークはデビュー曲「人力」。ボーカルとギターが掛け合いのときに必ずURLを付けないといけないという独特のスタイルが特徴。サビの「URLはダミーです」がリフレインする名曲 2ndシングル「ダイアリー」はtDiaryからのインスパイア曲 「ニフティバンド」でシングル「ココログ」を作曲したリードボーカルのid:naoyaを引き抜く。この頃からバンドの方向性が変わる シングル「アイデア」がリリース。その頃からファンレターを直接出しても受け取ってくれなくなり、
世の中が便利になると、いろんなものに関するアクセスが楽になって、いつでもどこでもそれに手が届くようになる。で、10年ぐらい前から思ってんのは、衣類とか、住居とか、具体的に体が触れ続けてないと意味を成さないもの以外の物欲がどうなるかすごい興味がある。 例えば今、音楽はiPodで聞く。そのためにCDというパッケージはジャケットデザインと歌詞カードと音データに分解されて、ディスクそのものにはほとんど価値がない。僕は押入れに1000枚ぐらいのCDがあるけど、愛着はあれど、物体としては邪魔。 で、その先の話(2008年ぐらい?)をすれば、ハードディスクに母艦として録ってある30GBも、そのコピーであるiPod内の30GBも物体としてはコンパクトだけど、実はすごい邪魔に感じている、現実には耳に欲しい音が欲しいときに届くためにその音(今はCD)にお金を払ったわけで、コピーなんて工程は必要じゃない。携帯電
『INVISIBLE PARTY』 超名曲「There He Goes」から、こちらも名曲「Open Your Eyes」まで、にやけっぱなしになってしまう、ガレージ、パンク、パワーポップ、バブルガムポップ、全てを飲み込んだ、珠玉のロックンロールチューン全10曲。 現在のメンバーになって、全ての曲をゼロから作った今作は、ミドルテンポの曲を増やしながらも、前回までの勢いはそのままに、バンドの音としてのまとまりが感じられる。 トラディッショナルでロックンロール特有の土っぽい臭いを感じさせる「R&R Is Here」は、QUIET RIOTもカバーして大ヒットさせた、SLADEの「cum on feel the noize」や、TOMOKOと、THE TWEEZERSも組んでいた、FIFI率いる、日本が世界に誇るFIRESTARTERが、1stアルバムでカバーしている、EDDIE AND THE
という遊び。 試験的に動かしてるだけなので(このままだと多分怒られる)、使い続けたい人は自分とこに設置してください → 合法化できそうな見込みになった。 とりあえずはてなexist APIを使ってみた。5倍くらい速くなった気がする。malaさんありがとう! Ruby/Googleはエラーを吐くなぁ : No Deserializer found to deserialize a ':key' using encoding style 'http://sch emas.xmlsoap.org/soap/encoding/'. (SOAP::FaultError) んー? つかSOAPって仕様がでかすぎませんか。Google REST APIとかないのかしら。 Greasemonkeyな実装が出たよ!
この記事は更新が必要とされています。 この記事には古い情報が掲載されています。編集の際に新しい情報を記事に反映させてください。反映後、このタグは除去してください。(2022年2月) QuarkXPress (クォーク・エクスプレス)は、Quark社の販売しているDTPソフトウェアで、同社の代表的製品。かつてMac OS 9の時代、MacintoshによるDTPのデファクトスタンダードであった。ティム・ギルおよびそのチームによって開発され、Quark社の黄金時代を築いた。 (特に日本では)「クォーク(クオーク)」といえばこのソフトのことを指し、会社名だという認識は薄い。綴りが「XPress」であるのは、「Press=印刷」という単語を踏まえているとされる。 DTP業界において圧倒的な支持を得ていたが、Mac OS Xへの対応が遅れ、2009年の時点で、先に完全対応を果たしたAdobe InD
株式会社写研(しゃけん)は、東京都豊島区南大塚に本社を置く、写真植字機・専用組版システムの製造・開発、書体の制作およびその文字盤・専用フォント製品を販売する企業である。 概要[編集] 星製薬を退職して写真植字機の実用化を目指していた石井茂吉と森澤信夫が2台目の試作機を完成させた1926年11月3日、石井の自宅を所在地に設立した写真植字機研究所を由来とする。1929年には最初の実用機の販売を開始。戦後1948年に一時的に復帰していた森澤が写研を再度離れ、新たに「写真植字機製作株式会社」(現・モリサワ)を設立したのち[4]も、高度成長期の印刷需要急伸に伴う写真植字の急速な普及の波に乗り、先進的な写真植字機と高品位の書体が評価されて写真植字のトップメーカーに成長した。 1963年の石井茂吉没後、半世紀以上にわたって社長として君臨した三女の石井裕子(ひろこ)(1926年9月28日 - 2018年9
プロの編集者の方でもなかなかわからないといわれる、写研のプリプレスネットワーク、いわば「写研DTPシステム」についてここでは解説していきます。 「写研」とは写植(※1)を、電算組版用に特化させたハードやソフトを含めたシステムとして開発・生産・販売している印刷業界では知らない人はいない企業です。 ※写植(しゃしょく):写植とは写真植字のことで、写真的な方法で文字を組みあげる方法のことです。「活字」は鉛合金を母型に流し込んで鋳造されたもので、原稿に合わせて活字を拾って指定どおりに植字していく方法のことです。 Machintosh DTPの世界では、Adobe社が開発した「PostScript」という、文字と画像を統合的に印刷するためのページ記述言語によって、4色カラー分版出力まで対応し、出版・印刷の現場で徐々に浸透してきていることはみなさんもご存じかと思います。 写研によるプリプレスシステムは
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く