15日午前、首相執務室に菅首相、仙谷官房長官、鹿野農相が顔をそろえた。 「明日、農相が現地に入るので、今日決めないといけない」と最終判断を促す仙谷氏に、首相は「政治決断で俺に任せてほしい。これは上告してはいけない」と語気を強めた。首相の強い決意表明に、仙谷氏も「そこまで言われるなら」と折れ、上告断念が決まった。 諫早干拓は、無駄な公共事業の見直しを訴え続けてきた菅首相にとって、政治の「原点」とも言える存在だ。事業反対派の急先鋒(せんぽう)として、潮受け堤防が閉め切られた1997年以降、首相は繰り返し長崎県を訪れ「(事業費)2500億円を無駄にしてもやり直しを」と主張してきたからだ。 仙谷官房長官や農水省も開門調査は必要と考えたが、「常時5年の開門を求めた高裁判決は乱暴だ」として、上告に前向きだった。にもかかわらず首相が押し切った背景には、「上告すれば『変節』と批判される」(政府筋)と