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2010年1月4日のブックマーク (4件)

  • ネットで有名な日本人が、皇居の日の丸を燃やした - 登校拒否への道(とうこうきょひへの みち)

    きのうはねー、えどじだいに いってきたよー。 いまは 皇居になってて、天ちゃんいちぞくろうとうが おすまいです。 で、な、な、な、なんと! しってた、みんな? え? なにについてか ゆってくれないと わかんない? いや、じつはね、1月2日は とくべつなひで、しもじもの たみくさが 天ちゃんに あえるひ なんだ! たなばたてきに ろまんてぃっく! せれぶおーらで ふぁんたすてぃっく! というわけで、やねP(id:lever_building)との ほんねん 初デートの かいじょうとすることに なりました。 まちあわせは 1時 おきたら もう1時 やねPは いつも じかんどおり こうきょで さよく ひとりぼっち というわけで、メイクも せずに おおいそぎで かけつけましたが、もう 天ちゃんには 会えませんでした。 雅子さまに メンヘルとして れんたいの さいんを おくりたかったのですが、らいね

    ネットで有名な日本人が、皇居の日の丸を燃やした - 登校拒否への道(とうこうきょひへの みち)
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2010/01/04
    パフォーマンス・アートとしては、ジミヘンがギターを燃やすような感じでファイヤーしてほしかった。やねごんも一緒にいたのだから。それにしても僕は悪趣味が好きで困る。こういうの好きなんだよね。
  • 言論の自由を失った社会の恐ろしさ - inti-solのブログ:楽天ブログ

    2010.01.03 言論の自由を失った社会の恐ろしさ (2) テーマ:戦争反対(1188) カテゴリ:戦争と平和 特別高等警察(特高警察、あるいは特高)という組織をご存じでしょうか。戦前の日に猛威を振るっていた思想取り締まり警察です。1945年10月にGHQの指令によって解散させられています。その特高警察が、「特高外事月報」(特高月報)と呼ばれる報告書を毎月発行していました。当時は極秘資料でしたが、戦後内容が表沙汰になっています。 私自身は特高月報の現物を持っているわけではありませんが、いくつかの書籍に、その内容が紹介されています。それを読むと、思想取り締まり警察が私人間の会話にまで介入して、「犯人」を逮捕する社会の恐ろしさ、そしてそれにも関わらず「流言飛語」を根絶することなど不可能な現実がよく分かります。 そもそも、どのような法的根拠で、私人間の会話を特高警察が取り締まれるのかという

    言論の自由を失った社会の恐ろしさ - inti-solのブログ:楽天ブログ
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2010/01/04
    表現規制がまかりとおる社会では、正しいことをいうと捕まるのだとつくづく思う。
  • ネガブコメなどの応答で年明け - 地下生活者の手遊び

    前回エントリのブクマコメなどに応答。僕の感覚ではこれでようやっと年を明けられるって感じ。 前回エントリで述べたことを大ざっぱにまとめると 1)「○○しないのは××を庇っている」という筋悪の超無敵論法をid:NaokiTakahashiが使っていることの指摘 2)NaokiTakahashiの言動不一致の指摘 3)NaokiTakahashiの党派性に対する偏執の指摘 4)サザエさんと家父長制について乱暴に書いた 5)蛇足として、id:kanoseのブクマコメの認識に問題があると思われたのでその指摘とともに、そのブクマコメにスターをつけていた人たちへのIDコール 6)追記で、id:tari-G大先生に言及 といったところですにゃ。 で 前回エントリにブクマでつけられた疑義やネガコメをざっと見るに、(1)(2)(3)(4)へつけられたものではにゃーようだ。(4)はついでに書いただけのものだから

    ネガブコメなどの応答で年明け - 地下生活者の手遊び
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2010/01/04
    いくつかからかいたいブコメがあるが、三国無双5specialを同居人とやるのに忙しいのでスルー。貂蝉に感謝しろ!/ネガブコメへの反論とそれにスターをつけたものへのIDコールは以降も必要に応じてやっていきます
  • 性と愛に関する人間学と倫理の箇条書き (1:健全な性教育) - J.マシア神父のブログ「手作りの考え方」

    読者の質問に答えて「性と愛」について連載で取り上げることにしました。箇条書きにすぎないのですが、この箇条書きは、現在、出版準備中の拙著の一部です。ご参考になればさいわいです。 健全な性教育教育が必要だという声が多いのに、「性教育」という言葉を耳にするだけで神経質になる教育者がいるようです。そのように反応する教師は別な言い方で言われれば納得していただけるでしょうか。たとえば、健全な性教育を考えようではないかと言えばついていけるでしょうか。とにかく、このテーマについて普段、開けっぴろげに話すことがないのですが、大変重要に思われるので、これから遠慮なしに述べたいと思います。 夏休み中いろいろな研修会がおこなわれるのですが、ばあいによっては最近の話題をとりあげ、一時感心が湧くのに、後に日常の教育課程の中でそれを生かさず、一発花火に終わるのではないかという懸念があります。 私は数年前にあるカトリ

    性と愛に関する人間学と倫理の箇条書き (1:健全な性教育) - J.マシア神父のブログ「手作りの考え方」
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2010/01/04
    カトリックがここまで歩み寄ってくれれば議論になるんだよな。/本筋と関係ない部分だが「レープ」という記述がかわいい。