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ブックマーク / sk-44.hatenadiary.org (48)

  • 姿勢としての倫理 - 地を這う難破船

    ⇒鉄管ビール - 玄倉川の岸辺 玄倉川さん、こんにちは。 殊更には「読ませたくなかった」のはその通りです。批判的言及や悪口や誹謗中傷ならともかく、そうではないものを御人には直接に読ませたくはないものです。いや、批判的言及の際もはてな外のblogに対して手動トラックバックを送らないことはあって、それは私の判断ですが。 「…誰のことだろうこれは、と思いました。」すみません。もっと普通に書きます。私は、玄倉川さんのことを、感情的な馴致を嫌い、他者に対する感情的な馴致やそれに阿った自己都合の言動を一貫して批判している人、と認識しています。感情的な馴致とは、物事を「なぁなぁ」にしてしまうことです。私は「なぁなぁ」にしてしまうことに対して、玄倉川さんのような批判的な視座を了解しつつも、肯定的なので、その点で「立場が違う」と書きました。 玄倉川さんが言われる「良心」とは「理性」とは、ひいては「人間」と

    姿勢としての倫理 - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/05/08
    政治的アリーナは僕も好きじゃないけど、アリーナは当然に政治的であることは受容する、というかそういう前提で遊ぶ
  • 人工という本来 - 地を這う難破船

    昨日(前項「不能をめぐる性の戦争」)の続き、というか補足。 (後記。……のはずがまたもや暴走。シメはいずれ) 宮台真司と仲正昌樹の対談集「日常・共同体・アイロニー」を読んでたのだが、思った。 あろう限り誤解は排除され、問題は整理され止揚されねばならない。 私はモダニストなのだ。 クィアをめぐる議論を眺めて気にかかるのは、要するに、当該対談で仲正が言うような、一種の疎外論図式である。 「健全な」市民社会から排除され抑圧された存在にこそ、正統の外部にこそ、強度の楽園があり、そしてそんな異端のカオスとパッション(=情熱or受難)こそが、私達「正常な」市民社会を=正統を、オルタナティブとして外部から照射し撃つ。そのとき正負は相対化され、あるいは負の側にこそ正が宿りうる…… そう、ポスコロにしてカルスタの論理である。当該対談でもクソミソに言われている。 まあレヴィ=ストロースだって、無茶苦茶に曲解す

    人工という本来 - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/05/07
    本来性=真正性=おーせんてぃしてぃ
  • 我ら永遠の課題(mojimojiさんへの応答.その1) - 地を這う難破船

    流石に長くなったので応答を三分割しました。 ⇒共同性ということ - モジモジ君のブログ。みたいな。 共同性は、民族性に基づいた共同性に限定してさえ、民族主義の専売特許ではありません。民族主義は多様な共同性の基盤を破壊するのと同時に、民族性に基づいた共同性さえ危機に晒します。 同意します。それは、民族主義が原理主義だからですが。発端となった「在日」の方のエントリが内容において原理主義的であったか、ということです。 民族主義を否定することは、民族性に基づく共同性を否定しているのだし、ひいては民族性を否定している。──sk-44さんはそのように考えておられるようですが、僕は民族性に基づく共同性を否定していません。否定することになってもいません。 民族主義を退けることには同意します。で、共同性を擁護することと、共同性の政治化を批判することは違うと書きました。しかし政治は共同性を要求する。これこそ、

    我ら永遠の課題(mojimojiさんへの応答.その1) - 地を這う難破船
  • ある自由主義者の肖像 - 地を這う難破船

    文字数制限に引っかかったので、過去の日付で掲示。 ⇒他者の差別を罵倒する人が、別の差別的発言を繰り返すってどういうこと? - 想像力はベッドルームと路上から ⇒http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20090414/1239716730 以下、特に断りなき場合引用はinumashさんのエントリから。ここのところはそうでもないといえ(交際相手に感謝)、私もかつて長らく不能だった。それはさておき。 「男は男らしくあらねばならない」という観念を持っている人――と私はbuyobuyoさんのことを見てきた。要点は、言うなればこの場合の「男」がsexでなくあくまでgenderを指すこと。「男」であることとは、たとえば集団の暴力に加担しないこと、不正と不義に個として憤ること。そして「インポ野郎」という言葉はそのことに対応している。「男」なら、集団の暴力に加担してはならないし、不正と不義

    ある自由主義者の肖像 - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/04/16
    自由主義=マッチョはよいが、人権=チンコには承服できない。そのあたりはbuyobuyoに文句あり/罵倒というのは基本的に差別主義からくるともいえる。馬鹿や卑劣を罵倒するのは馬鹿差別や卑劣差別。何が悪いんだ?
  • だいたいで、いいじゃない。 - 地を這う難破船

    ⇒胎児はいつからニンゲンとなるのか? - 地下生活者の手遊び ⇒2009-04-03 吉隆明と大塚英志の対談集に『だいたいで、いいじゃない。』というのがある。 だいたいで、いいじゃない。 (文春文庫) 作者: 吉隆明,大塚英志出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2003/09メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 26回この商品を含むブログ (33件) を見る 「だいたいで、いいじゃない。」とは現在生きている人間を見なさい、ということで、生きている人間の原器は「だいたい」なのだから、と。人間存在とはルーズなもので、そのルーズが生きるということなのだから、未知生焉知死でなく今そこにある人間のルーズな生を見て、生きなさい――というのが吉隆明の説いた「大衆の原像」の意味だった。それは、単なる日共批判でも前衛批判でも知識人批判でもない。 何の話かというと――私たちの生は無数の恣意的な決定

    だいたいで、いいじゃない。 - 地を這う難破船
  • 長距離走者の誤読 - 地を這う難破船

    ⇒妊婦さんが東京マラソンに出場して完走した話。 - コミュニケーションする福が内 アスリートとシロートは違う。それと、松村邦洋もそもそも24時間テレビもそうだが「困難に挑戦」という文脈からシロートのマラソンが礼賛されるけど、その「困難」は生死を含む。そして、他人の生死に責任を負う職掌がある。他人の生死に責任を負うがゆえに「万難を排する」職掌にとっては、「万難を排して」の指示を「いかなる障害も乗り越えて」と誤読する個人の意志は管轄外だろう。――「管轄外」で済むのなら。 マンナンライフ訴訟にせよ、あるいは割り箸事故の訴訟にせよ思うのは、日は中絶が比較的問題視されない社会であるにもかかわらず、1歳児の死の責任は「遺族」において誰かに対して問われる。それは、端的に言って両親の意向の問題でしかないし、両親の納得の問題でしかない。むろん、それで構わないのだが、法的責任を問うならハッキリさせたほうがい

    長距離走者の誤読 - 地を這う難破船
  • 「羊」をめぐる冒険 - 地を這う難破船

    ⇒negative_dialektik はてな村出張所 ⇒negative_dialektik はてな村出張所 最近、千数百年の長きにわたって、日史の記述の中で、悪者扱い逆臣扱いされてきた、蘇我氏の名誉回復につながる様な研究が進んでいます。 進歩的な外交をしようとした蘇我入鹿らに反対する、中大兄皇子と中臣鎌足らが共謀して、クーデターによって入鹿らを殺害して、それを正当化するために、『日書紀』の記述を改竄し、名前までも蝦夷のような印象の悪い名に変えて、蘇我氏は逆臣だった、という「正史」を残した、という学説が出てきています。 私はこれを大変興味深い学問的研究だと思いますが、これをしも、「おぞましい歴史修正主義」と人は呼ぶのでしょうか。 この事例からも想像できるように、「正史」というものは、強者・権力者が書き残すものです。しばしば自分の都合のいいように歪曲しながら。そこに書き記されている歪み

    「羊」をめぐる冒険 - 地を這う難破船
  • 否定神学と左翼 - 地を這う難破船

    承前⇒誰が為に鐘は鳴る? - 地を這う難破船 id:CrowClawさん、お返事ありがとうございます。 以下、引用が順不同になってしまいますが。 申し訳ありません。私の議論は私の問題意識に基づいたものだったのですが、確かにwiseler氏の元々の主張とは事実かけ離れていたし、それが「為にする議論」に見えたのも仕方が無かったと思います。自分自身では正直なところあまり自覚が無かったのですけども。 壁を「正義」でなく「体制」の隠喩としてCrowClawさんは論じておられた、ということですか。 そうです。 マジコンもガザもそもそも関係なかった、ということですね――CrowClawさんの問題意識においては。pbhさんのことに言及しておられたことの理由がわかりかねたのですが、某所でpbhさんについて「追放された」と書いておられたのを拝見して、合点が行きました。「その発想はなかったわ」というのが私の感想

    否定神学と左翼 - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/03/16
    Midas陛下がまるで字を読めないことについては、僕がすでに明らかにしている。批判もできないようなので確定。彼が何かを読んだつもりになっているらしいのはわかるが、批判に応えられない虫がどう鳴こうが無意味
  • 誰が為に鐘は鳴る? - 地を這う難破船

    承前。⇒卵の側に立つということ - 地を這う難破船 id:CrowClawさん、お返事ありがとうございます。レスのスピードについてはお気になさらないでください。私も、まとまった時間が取れたときに書いているだけです。早速。 (前略)私は例のエントリーにおいて「代紋商売の解体を「新しい秩序=法」において主張」したつもりはありません。そう読める要素が十二分にあったことは認めますが、ここにおいても私の立場は「シニカル」で中途半端なものだった、と考えるのが前段と照らし合わせて妥当ではないでしょうか。というか、自分ではそう思っていたのですけれども。 例えばソフト販売の携帯が徐々にオンラインに移行するだけでも、ゲーム業界的には相当大きな「革新」が齎されるはずだと思うのですが(それが上手く行ったらの話です、念のため)、それは何も「代紋商売の解体」を意味するものではないでしょう。むしろ、場合によってはそれら

    誰が為に鐘は鳴る? - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/03/09
    他者を「エセインテリ」と言えるのは、はたして自らをどのような存在とみなしているのか?/"唯物論は倫理を排除"ってのは違和感があるなー。いつか応答するかも
  • 卵の側に立つということ - 地を這う難破船

    承前。⇒代紋と泥棒(廃人の歌について) - 地を這う難破船 id:CrowClawさん、大変丁寧なお返事、ありがとうございます。再応答として。 「認識が両義的でありアイロニカルであることはわかっているつもりです」の段について、私は文字通り「両義的」で「アイロニカル」なつもりで書いていたのです。つまり、ご指摘のように「代紋商売の限界」について指摘して「代紋商売は糞」と言いたい訳ではなくて、どちらともつかない極めて中途半端な立場を(意識的に)取っていたという事です。それがsk-44さんのような読まれ方になるのは不自然なことでも何でもありませんし(むしろ真っ当とさえ思う)、無意識下のことまでは私自身にもよくわからないのですが、件について「代紋商売は糞」「社会契約は永遠の嘘」という主張は、私が意識的に提示したかったものではありません。 そうではなくて、また立場の中途半端を批判したいのでもなくて、

    卵の側に立つということ - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/03/05
    エクスキューズしづらくなってしまいますた
  • 代紋と泥棒(廃人の歌について) - 地を這う難破船

    承前。ブックマークコメントにレス。 ⇒マジでコンする5秒前 - 地を這う難破船 id:CrowClaw  言いたい事はわかるが反対。何故なら質的にヤクザ商売に近いのは「ライセンスビジネス」の方だから(ex.金融屋の質はウシジマ君)。この場合マジコンと対比すべきは「テキヤ」。似てるけど別物と考えるべき はてなブックマーク - マジでコンする5秒前 - 地を這う難破船 「代紋商売の限界」という話ですか。それとも「代紋商売は糞」という話ですか。wiselerさんの議論もそうですが、エントリを拝見しても、CrowClawさんがどちらの話をしておられるのかわからない。 CrowClaw  で?そうやって「強盗」(笑)からおらが村を守ってどうするの?もうその村自体が夕張のごとく財政破綻してるんじゃないかって批判されてるんだけど。将来のビジョンが無いのはどっち? はてなブックマーク - 一度「ファミ

    代紋と泥棒(廃人の歌について) - 地を這う難破船
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    tikani_nemuru_M 2009/03/04
    反論がいっさいできずに、ブクマで石を投げるだけのMidas陛下にエサをやってほしくない/だから証明しろといってる>陛下。チミが僕に手も足も出ずに敗け続けて僕のご威光が高まるばかりはいいが、もういい加減うざい
  • 江東区女性殺害事件地裁判決、雑感 - 地を這う難破船

    ⇒http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090218/trl0902181002005-n1.htm 上級審の判断を待つべきことではあるが、妥当な量刑と思う。判決の認定では、また検察の立証においても、殺害と死体損壊は性的な意図に基づくものではなかった。強姦を目的とした略取ならびに発覚を恐れての殺害。証拠隠滅のための死体損壊。報道を意図した検察の立証方法が妥当だったとは思えない。しかし判決は、裁判員制度の格好のPRにはなっただろう。一貫して言っているが、私は裁判員制度には賛成。だから、このような検察の立証には反対する。 強姦事件においてこのような報道を意図した立証を検察は行わない。強姦目的の略取の挙句の殺人事件だから、つまり被害者は亡くなっているから、そして遺族の了解があるから、報道を意図した立証を行う。もちろん遺族は被害者人ではない。「死者の尊厳」

    江東区女性殺害事件地裁判決、雑感 - 地を這う難破船
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    tikani_nemuru_M 2009/02/20
    壁がタマゴを護るためにある、という真っ当な逆説について
  • 敵がいなけりゃはじまらない - 地を這う難破船

    タイトルはB'zの名曲から。 ⇒はてなブックマーク - はてな 議論をすることと喧嘩を売ることは違います。そして両方を要する問題意識が存在する。「喧嘩を売る」は私的行為なので、つまりコミュニケーションorディスコミュニケーションなので、ディスコミュニケーションとして帰結することは致し方ないとして、その私的行為が「ブックマーク」というインターフェイスを介することの意味を知らないはずもなし。擬似的な抗争の様相を呈することの意味についても。問題は、知的な対立と同時に擬似的な抗争が要請されること。存在する「政治」を敵対性において可視化させるために。 今回削除要請された人たちが議論をしていたことは疑いえない。議論が相互的な対話として成立しなかったのは「喧嘩を売ってきた」ことが理由ではない。「喧嘩を売ってきたから議論を断念した」と削除申立の当事者が説明していることは、主観の問題であって経緯の説明として

    敵がいなけりゃはじまらない - 地を這う難破船
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    tikani_nemuru_M 2009/02/09
    ケンカを売るのはいいけど、ダンピングはいかんよね。あるいは、ケンカは買うもの、と専念できたらカコイイけど。
  • エルサレムと表現 - 地を這う難破船

    ⇒立命館大学におけるセクハラ写真の撤去を支持する - あままこのブログ ⇒性は「社会的」なもの。だからこそそれは「社会的」に表現されなければならない - あままこのブログ 思ったのだが。私は現物を現場で直接目にしたわけではない。とはいえ筋論として「写真の展示」は「主張」ではなく「表現」ではないのか。表現に主張が付随することと表現それ自体は別です。そして「表現」が「撤去」されることは問題です。「主張」と別の問題ならなおのこと。「自由な社会」において「不快感」が「猥褻」概念を構成するか、ということに議論が存在するとき、「不快感」において「表現」の「撤去」を支持することは、筋としても悪い。 性はもちろん個人的であって、個人的なものが公共に提示され問われるから「表現」なんです。個人的なものを公共に提示することが問いを意味する社会である限り。表現としての出来不出来や巧拙はあるしまた表現として問われる

    エルサレムと表現 - 地を這う難破船
  • 論題の意図と改変の意味 - 地を這う難破船

    承前。 ⇒悪いのは誰? - ある無人島漂流の物語 - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所 ⇒そんなことよりラブシャッフルしようぜ! - 地を這う難破船 takerunba @y_arim 答えを出して、正しいかどうかを検討する場ではないからセクハラではないよ。絶対的に正しい正答はないという状況下でないとGDは成立しない。価値観が問われるのは確かだが、ビジネスではもっと厳しい選択を迫られるのが常なので、これでハラスメントなら働けないよ。 http://cento.sakura.ne.jp/sb/log/eid313.html ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。 Lord TAKERUNBA on Twitter: "ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。

    論題の意図と改変の意味 - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/01/20
    「私は卿の味方。批判してる連中は全員バカやブス」by id:Midas/なるほど、バカだとは分かっていたが、陛下は性差別主義者でもあらせられる。id:CrowClawもお仲間か(げらげら
  • 「私は、貴方に、用がある」 - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/napsucks/20090112/1231746630 派遣村にはハートマン村長が必要だった。全員整列させて「その日まではウジ虫だ!地球上で最下等の生命体だ!」「両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない!」「じっくりかわいがってやる!泣いたり笑ったり出来なくしてやる!」「スキンのまま生まれたクソバカか、デブ?それとも努力してこうなったのか?」「起きろ!起きろ!起きろ!マスかきやめ!パンツ上げ!」的なプレゼンテーションをTVカメラの放列の前で連日。訓練キャンプ化する派遣村、でだいたいあってるのだから正月真冬の日比谷公園で『シルミド』のごとく上半身裸で丸太渡ったり丸太担いだり丸太ボコッたり脱走者を丸太に縛り付けてボコッたりしているところを報道陣に示すべきだった。意味?「大道芸人と困窮者は汗をかかねばならない」。 それが無理なら、イニシエーションの

    「私は、貴方に、用がある」 - 地を這う難破船
  • 歯車と自尊心 - 地を這う難破船

    ⇒404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい? ⇒http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1 ⇒404 Blog Not Found:それって勉強じゃないよ ⇒http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081225/1230194369 言葉の厳密な定義は措くとして、ただ、一般に「私は勉強が好きだ」という言い回しはアイロニーを含意するとは思う。「諸君、私は戦争が好きだ」のように。そして、言い回しが有するアイロニーと一連の議論は別の問題です。言い換えるなら、言葉の定義に限定して議論されるべきではないし、そうあってはならない。 orderを自ら設定することと、他人が設定したorderに従うことは違う。後者を「頭がいい」と呼ぶわけがない、というのが小飼弾さんの最初のエントリの趣旨、というか弾さんが一貫して表明

    歯車と自尊心 - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2008/12/27
    orderをめぐっての再整理ですっきりした。たぶんあとで書く。
  • 「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船

    迷ったし柄でもないけれど、書くことにします。ひとつの、むろんきわめて主観的な「証言」として。お断りしておくと、長いです。 ⇒次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 ⇒hirokiazuma.com 私も足を運んでいました。 話には前段があって、私の事情の経緯説明から。 私は東浩紀の10年来の読者で、東工大の授業の速記録についても前年度のそれから、速記者に黙して感謝しつつ目を通していた。とりわけ年度のそれは速記録の時点で滅法面白く、南京大虐殺をめぐる発言が波紋を呼ぶ以前から私はずっと読んでおり、授業に足を運んで直接それを聞きたいと思いつつも、場所時間の都合で多く物理的な事情から無理であったし、もうそういう柄でもないかと勝手に自分を納得させていた。昔は関心ある著述家の大学での授業は、モグリに寛大なこ

    「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船
  • 「人間は嘘をつくが、大地は水は嘘をつかない」 - 地を這う難破船

    改めて、擬似科学をめぐる周辺について。お断りしておくと、長くなりました。申し訳ありません。 ⇒ソーシャルキャピタルを構築する経済的営みとしての擬似科学批判 - よそ行きの妄想 ⇒脱魔術化の無限後退を体感してみました - よそ行きの妄想 ここで望まれるのが、模倣品の販売事業者に対する道徳的規制や、模倣品に対する真贋を可能にするノウハウの共有といった、模倣品を排除するための社会的な仕組みである*1。そしてこの仕組みをソーシャル・キャピタルと呼ぶことにしよう。*2 ソーシャル・キャピタルは道徳や倫理といった、原始的な規範として人間の行動に組み込まれたときに最も機能する。例えば盗みはダメ、詐欺はダメ、お客様は神様だからタメ口を使ってはダメ、路地裏をクルマで走り回って写真を撮り漁ってはダメという具合だ。 これら規範の違反者は、批判され、糾弾され、ソーシャル・キャピタルの枠組みから排除される。村八分と

    「人間は嘘をつくが、大地は水は嘘をつかない」 - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2008/11/24
    自然にウソはつけない、が、自然はウソをつかない、に反転するとき呪術が生まれる
  • 合理ゆえに我信ず - 地を這う難破船

    ⇒科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? - よそ行きの妄想 (前略)要は人間が信じるか信じないかというだけでしょという点において。宗教も科学も、人間にあたかも世の中に客観的な真理があるかのように思わせる手段に過ぎない。 (前略)下に書いてある通り、科学は科学的ではない。私の認識では巷に溢れかえる擬似科学批判は単なる科学信仰に過ぎない。疑似科学批判に余念がない人は、世の中の人が全員科学を信仰しているとでも思ってやしないだろうか。その<普遍性>も「わからん」。と言っておく。 詐欺とかと関連づけて考えちゃう人の気持ちはわからんでもないけど、詐欺は疑似科学の結果じゃないでしょ。逆。詐欺ありき。疑似科学に罪はないだろ別に。 詐欺の方法論としての疑似科学が「罪深い」のは。――以下数百年を十数行で犯罪的なまでに単純化した記述なのでその点は諸賢の御了承と突っ込みを。 chnpkさんが参照しておられる2

    合理ゆえに我信ず - 地を這う難破船
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2008/11/16
    小林秀雄と疑似科学については僕も書こうと思ってた。いつか書く。