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ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (31)

  • 市民と傭兵など - Living, Loving, Thinking, Again

    「市民権と武装権」http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20110719/p1 ちょうど鈴木透『性と暴力のアメリカ』を読んでいるところなので、重なるトピック、噛み合う話、違っている話等が出てきて、面白かった。米国における「武装権」の思想的な背景はともかくとして、重要な現実的背景として、西部開拓(Go West!)*1の進捗と制度的インフラ整備のギャップがある(鈴木、pp.72-73)。広大な領土内に散在する開拓地にいちいち役人を派遣して治安維持のための警察制度や司法制度を構築するのは実際に不可能だったわけだ。 性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶 (中公新書) 作者: 鈴木透出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2006/09メディア: 新書 クリック: 19回この商品を含むブログ (52件) を見るまた、米国独立戦争のイデオロギー的な側面について、

  • 福島原発、水俣、そして知識の問題(原田正純) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7b77b2902dc2815aeee3e70aa25d933c 『朝日新聞』に掲載された野上隆生、安田朋起「インタビュー 3・11 水俣から」という原田正純 氏へのインタヴュー記事が全文引用されている。 水俣病問題*2に一貫して取り組んできた原田氏は先ず今回の福島原発事故と水俣病とのパラレル性を「懲りてないねえ」という一言で指摘している; ――懲りてない、とは。 「水俣病では、政府も産業界も学者も、安全性の考え方を誤ったんです。その後のいろいろな薬害でも、カネミ油症でも、危険が起きる前に危険を予測し、対策を立てられるはずだった。50年たっても教訓は生かされていない」 さて、「専門家」について; ――原田さんが考える専門家とは誰を指すのですか。 「当に原発の専門家であれば、当然、今回の事態を予測しなきゃ

    福島原発、水俣、そして知識の問題(原田正純) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 人種リミックス(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    SUSAN SAULNY “Black? White? Asian? More Young Americans Choose All of the Above” http://www.nytimes.com/2011/01/30/us/30mixed.html 米国において複数の人種的或いはエスニックなアイデンティティを持つ人が増えていること。 One in seven new marriages is between spouses of different races or ethnicities, according to data from 2008 and 2009 that was analyzed by the Pew Research Center*1 . Multiracial and multiethnic Americans (usually grouped toge

    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2011/02/04
    メリケンで「「人が同時に複数の国民・民族・人種であることができないような自己規定」としての「種的同一性」が「近代の特徴」だったが「種的同一性」の束縛が緩み始めている」との指摘。興味深い。
  • 金子洋一問題(取り敢えずメモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://blog.guts-kaneko.com/2007/06/post_298.php(Cited in http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100820/p3) 「米国下院で可決された従軍慰安婦決議」*1について曰く、「日にいわれのない謝罪を求めるこの従軍慰安婦決議は、米国民主主義の歴史に汚名を残したものです」と。金子洋一が歴史修正主義者の一味であることはクリアになった。さて、私は一度だけ金子洋一について肯定的に言及している*2。伊藤隆敏氏の日銀副総裁選出を民主党が拒絶したということがあって、金子洋一が経済学的にはまっとうな根拠で自らの党の方針に逆らって伊藤氏を擁護したということがあったからだ。その時点で、金子の「従軍慰安婦」を巡る発言はチェックしていなかった。知っていたら、何らかの但し書きを付していただろう。勿論、金子の日銀副総裁問題についての発言

    金子洋一問題(取り敢えずメモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「ユンケル」を40本 - Living, Loving, Thinking, Again

    『読売』の記事; 酒気帯び逮捕の教授「ユンケル40飲んだだけ」 兵庫県警西宮署は14日、武庫川女子大教授・相沢徹容疑者(46)(兵庫県西宮市)を道交法違反(酒気帯び運転)容疑で現行犯逮捕した。 相沢容疑者は、全日女子バレーボールチームのチームドクターも務める整形外科医。「院長を務める診療所で栄養ドリンク『ユンケル』を40飲んだ。酒は飲んでいない」と容疑を否認しているという。 発表によると、相沢容疑者は13日午後11時10分頃、西宮市今津二葉町の国道43号で、酒気を帯びた状態で乗用車を運転した疑い。追突事故を起こしたために同署員が駆けつけ、基準値を上回る呼気1リットル中0・4ミリ・グラムのアルコール分を検出したという。 ユンケルを製造、販売する佐藤製薬(東京)によると、ユンケルに含まれるアルコール分は多いもので3%以下。30ミリ・リットル入り40で、500ミリ・リットル入りビール1缶

    「ユンケル」を40本 - Living, Loving, Thinking, Again
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2010/07/14
    公開実験でユンケル40本イッキ飲みして潔白を証明してほしいな。脳の血管がぶち切れそうな気もするが。
  • 日本経済問題としての相撲スキャンダル(NYT) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 MARTIN FACKLER “Sumo’s Ties to Japan Underworld Go Beyond Limits” http://www.nytimes.com/2010/07/06/world/asia/06sumo.html 大相撲スキャンダルについて。 NYTのアプローチは、相撲はバブル崩壊以降の経済環境の変化に適応しそこなった日的組織の一例であるというもの。 Sumo experts and former wrestlers say the sport was driven into the arms of organized crime by cash problems caused by a decline in attendance and corporate sponsorship. In short, critics say, sumo has

    日本経済問題としての相撲スキャンダル(NYT) - Living, Loving, Thinking, Again
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2010/07/07
    経済的な締め付けで、ヤクザの職業倫理が決壊したということか。ヤクザが職業倫理を失ったらオシマイですね。
  • 「啓蒙とは何か」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20100617/1276804067 カント「啓蒙とは何か」の読解。 この中で興味深かった論点は、「個人の啓蒙」と「民衆の啓蒙」の或る種相克的な関係。「啓蒙専制君主」の両義性。また、「公民的自由」と「啓蒙の成熟」との或る種矛盾した関係。「未成年状態」にある人民に「公民的自由」が与えられた場合、人民は「エリート」の操作の対象となってしまい、「啓蒙の成熟」は却って妨げられてしまう。「このような一種の寡頭制は、啓蒙専制君主の支配、あるいはもっと言えば公職者の管理となんら変わらない」。今風の言葉で言えば、悪しきエリートに所謂〈B層〉が操作されるポピュリズム*1の危険? カントの理路では、 (前略)啓蒙途上にあり、精神の自由を持たない民衆に、形式上の公民的自由を与えただけでは、啓蒙は完成しないばかりか、単に絶対王政という統治原則に、人民

    「啓蒙とは何か」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2010/07/04
    カントにおける公共性について
  • 笹川良一とその後 - Living, Loving, Thinking, Again

    Karoline Postel-Vinay & Mark Selden “History on Trial: French Nippon Foundation Sues Scholar for Libel to Protect the Honor of Sasakawa Ryōichi” Asia-Pacific Journal: Japan Focus 17-4-10, April 26 2010 http://www.japanfocus.org/-Karoline-Postel_Vinay/3349 このテクストが書かれた背景を説明すると、2009年3月に日財団系のFondation Franco-Japonaise, dite Sasakawa (FFJDS)が上のテクストの著者のひとりであるCentre d’Etudes et de Recherches Internation

    笹川良一とその後 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「共振する世界の対象化に向けて」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 土曜日、成城大学で開かれたシンポジウム「共振する世界の対象化に向けて−グローカル研究の理論と実践−」*2を聴きにいく。とはいっても、午前中に行われた川田順造先生の基調講演は聴くことができず。以下若干のメモ。 大谷裕文氏の報告。glocalization研究の系譜。先ず、グローカリゼーションの核心として、「資」の問題を外すことはできないという。起点としてのスチュアート・ホールのglobal/local概念。CSの社会人類学に対するインパクト。トンガの人類学者Epeli Hau'ofaの研究/実践。「海の彼方からの資作用」による「互酬性」の崩壊。グローバル化への対抗としての「海洋文化論」−−「リージョナルな海洋政治イデオロギー/アイデンティティ」の提唱。ニュージーランドの経済学者、Geoffrey Bertramの「MIRAB経済論」。MIRABとはmigration(移民)+

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  • 塩川伸明『民族とネイション』など - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書) 作者: 塩川伸明出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/11/20メディア: 新書購入: 15人 クリック: 94回この商品を含むブログ (60件) を見る先日、塩川伸明『民族とネイション』を読了。少しメモをしておく。 はじめに 第I章 概念と用語法――一つの整理の試み 1 エスニシティ・民族・国民 2 さまざまな「ネイション」観――「民族」と「国民」 3 ナショナリズム 4 「民族問題」の捉え方 第II章 「国民国家」の登場 1 ヨーロッパ――原型の誕生 2 帝国の再編と諸民族 3 新大陸――新しいネイションの形 4 東アジア――西洋の衝撃の中で 第III章 民族自決論とその帰結――世界戦争の衝撃の中で 1 ナショナリズムの世界的広がり 2 戦間期の中東欧 3 実験国家ソ連 4 植民地の独立――第二次世界大戦後(

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  • 経済が政治を - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20100412/1271074489 広坂さん曰く、 ところで、新自由主義と新保守主義の相性がいいのは、新自由主義というものがその名前通りのリベラリズムではなく、優生主義に近いものだからなのではないかという気がしている。新自由主義を名前通りに、政治思想・経済思想の自由主義のニューバージョンとすると全体主義化する理由がわからなくなるが、優生主義の一種だとすれば社会有機体説を採るのだろうから、筋の通らないことではなくなる。新自由主義的政策に賛同する自称国家主義者に露悪的なまでの差別的言動や排外主義がまま見られるのも、原因はそんなところにあるのではないかなどと思う。卓見だと思う。 ただ、さらに根深い問題として、現代社会において〈政治〉が〈経済〉に乗っ取られてしまっているのではないかということを指摘しておきたい。よく言われる新自由

    経済が政治を - Living, Loving, Thinking, Again
  • みんなナイーヴ! - Living, Loving, Thinking, Again

    金明秀「差別する傾向のある人は差別の存在を認めない傾向がある」http://han.org/blog/2010/02/post-119.html 曰く、 「朝鮮学校がサッカーの地域代表になったとき、それを応援しなかったのは差別だという話がある。でも、朝鮮学校に知り合いはいないし、別に応援したいと思わなかったから応援しなかっただけ。それを差別だといわれるのはおかしい。最近、差別差別だといいすぎじゃないか。」 なるほど、一理あるように聞こえます。「コーラは好きだけどオレンジジュースは好きじゃない。おなじリクツで、東海大仰星なら応援し、大阪朝鮮高なら応援しない。それは単なる好みの問題であって、差別じゃない。それを差別というなら、ご飯よりパンがすきだというのも差別になるじゃないか」というところでしょうか? 一般に、或る特定の変数が或る特定の結果に対して決定的な影響力を持っていると判断するためには、

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  • ケッショクジドー - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 『東京新聞』の記事。文中に「県内」とあるのは埼玉県内ということ; 給ない夏休み怖い 保健室で衣服洗濯も 養護教諭の見た子の貧困 2009年12月22日 シャンプーやリンスを用意し、風呂に入れない生徒を学校の保健室で洗髪−。学用品費などの就学援助を受給する小中学生が昨年度は県内で六万人を突破したが、学校現場では「衣」や「」にも事欠く事例が増えているという。県内の中学校に勤める養護教諭金子由美子さん(53)は、九月に出版された「子どもの貧困白書」(明石書店)で「保健室から見る子どもの貧困」と題し執筆。「清潔な服を着せて事をさせ、学校に送り出すという親の能力が欠けた家庭は珍しくない」と訴えている。 金子さんには、各地の小中高校の養護教諭から、さまざまな事例が寄せられている。 「夏休みが恐怖、と話す小中学生がいる。給が主な栄養源で、夏休み後には十キロも体重が落ち、皮膚疾患も悪化し

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  • ニコラス・クザーヌスとパースペクティヴ性(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 池田信夫のテクスト*2にいちゃんもんをつけながら、新田義弘先生が「パースペクティヴ性」の問題をニコラス・クザーヌスまで遡りながら、論じていらしたよなということを思い出した。但し、その書誌学的情報までは思い出せない。新田先生の『哲学の歴史』を捲っていたら、ニコラス・クザーヌスと「パースペクティヴ性」についての言及が見つかったので、以下にメモ。 話の前提として、ニコラス・クザーヌスにおいて「神」は「真の無限」であり、「不可視」であり、人間の知性によって理解することはできない。「世界」は「神の像(写し)」、「可視的になった神(Deus sensibilis)」であり、「縮減された無限性」を持ち、知性による理解の対象となる。また、「有限的にして無限的」(pp.59-61)。 しかし人間の認識が有限的無限性としての世界の認識のなかにとどまるかぎりは、この認識は漸進的であり、未完結的なプロセ

    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/12/18
    「縮減された無限性」か・・・
  • ニーチェとかマッハとかフッサールとか - Living, Loving, Thinking, Again

    池田信夫「マッハとニーチェ」http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51329795.html 木田元先生の『マッハとニーチェ』という書評。私はこのは持っていないが、その内容は『大航海』連載時に粗方読んではいる。 (木田先生ではなくて池田信夫の)内容は問題だらけ。 いま私の書いているイノベーションについてのの出発点は、マッハである。彼の名前は、世間ではジェット機の速度の単位でしか知られていないだろうが、書も指摘するように彼は20世紀の思想の源流ともいうべき存在で、ニーチェもフッサールも彼の影響を受けた。 フッサールがマッハの影響を受けたことは事実だが、ニーチェがマッハの影響を受けたというのは、PledgeCrewさんがコメントしているように、「ニーチェがマッハの影響を受けたというのは時系列的にもありえんだろう」*1。木田元先生曰く、 ニーチ

    ニーチェとかマッハとかフッサールとか - Living, Loving, Thinking, Again
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/12/18
    「ニーチェを元祖陰謀論にしちゃったら、多分ニーチェも吃驚して、狂気の底から正気を恢復しちゃんじゃないか」ワラタ
  • 小山栄三――「人種」の「社会学」化(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 阿部純一郎「20世紀前半日の人種・民族研究における「異種混交」現象への応答――自然/文化科学の境界線をめぐる論争――」『名古屋大学社会学論集』29*2、2009、pp.21-46 第4節「混血問題の社会学化――小山栄三*3の場合」。 小山(旧姓:久保)栄三は、岡[正雄]と同じ1924年に東京帝大文学部社会学科を卒業した。卒論「領内南洋の社会学的研究」ではミクロネシア等に視察旅行に向かい、翌年にはマリノフスキーの議論を社会学界にいち早く紹介するなど(久保, 1925*4)、当初から民族学への関心が伺われる。また『民族』休刊後に開始された『民俗学』(岡書院、1929.7-1935.12)では編集人を兼ね、ミクロネシア関係の論考を寄稿した。戦前小山は、東京帝大文学部新聞研究室研究員の他、厚生省人口問題研究所(1939)や民族研究所などの重要な国家機関の研究員を勤めている(sic.)。

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  • 「女神には血が必要だ」 - Living, Loving, Thinking, Again

    Olivia Lang “Hindu sacrifice of 250,000 animals begins” http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/24/hindu-sacrifice-gadhimai-festival-nepal このところ『ガーディアン』の記事をチェックするのを怠っていたのだが。11月24日付けの記事。 印度国境に近いネパールのBariyapurにおけるGadhimai祭り。5年毎に開かれるこの祭りは、一挙に25万頭の水牛(buffalo)を初めとする動物を、女神Gadhimaiに献げるために屠る「世界最大の動物供犠」として知られている。今年の祭りでは、動物供犠は残酷だとする反対派が寺の近くで、ココナッツを「象徴的供犠」として割る抗議活動を行った。仏蘭西の女優ブリジット・バルドーはネパール政府に対して、動物供犠の禁止を要請

    「女神には血が必要だ」 - Living, Loving, Thinking, Again
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/12/01
    これは興味深い。調べよう。
  • 「アメリカ例外主義」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    過渡期の世界―近代社会成立の諸相 作者: 鈴木信雄,池田宏樹,川名登出版社/メーカー: 日経済評論社発売日: 1997/01/01メディア: ハードカバー クリック: 6回この商品を含むブログ (5件) を見る http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080125/1201204697への補足説明という感じで。 高哲男「ビッグ・ビジネス社会の形成とアメリカ経済思想の展開−−一九世紀末から一九二〇年代までの概観−−」in 鈴木信雄、川名登、池田宏樹編『過渡期の世界』、pp.345-365 アメリカ合州国は歴史的な連続性をもつ民族国家ではない。同一民族という血の「連帯感」ではなく、ヨーロッパ諸国と明確に異なる「自由と平等の共和国」を地上に実現するという理想をかかげて、建国されたものである。国(連邦)としての統合は、共同利益の促進と連邦の外からの防衛と、内部(地域社会

    「アメリカ例外主義」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/11/19
    "個人の利益と地域社会の利益はつねに一致しているはずだという信念が、アメリカの持続的で急速な経済発展の精神的基盤" なるほど。表現の自由についての考え方にも通底していそうだ
  • Mitweltは遠くなり/フォイエルバッハの脱構築的継承(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 共同存在の現象学 (岩波文庫) 作者: レーヴィット,熊野純彦出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/10/16メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 26回この商品を含むブログ (33件) を見る カール・レーヴィット『共同存在の現象学』「序論」からのメモ。 哲学が共同世界といったことばを口にするのは、たいていは、カントの意図に反して二次的なものとなった哲学の分科、すなわち「倫理学」においてなのである。かりに哲学が共同世界について哲学的・原則的に問いかけようとするものであるならば、哲学にとって根的な分科となつ部門で、つまり形而上学あるいは論理学において、共同世界が語りだされなければならない。しかし、形而上学や論理学にとって、共同世界はまさにいかなる問題ともなっていないのだ。共同世界への問いは、人格主義的な哲学、性格学、人間学等々における部分問題として、倫理学において

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  • 役割と「共同世界」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    共同存在の現象学 (岩波文庫) 作者: レーヴィット,熊野純彦出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/10/16メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 26回この商品を含むブログ (33件) を見る カール・レーヴィット『共同存在の現象学』*1「序言」から少し抜き書き。 分析のとりあえずの成果として示すことができるのは、人間的な固体が「ペルソナ」という存在のしかたを共有する個体であり、質的に、共に在る世界に由来する一定の「役割」をおびて現実存在していることである(たとえば息子つまり両親の息子として、夫つまりの夫として、父つまり子どもたちの父として、ということである。さらにまた学生つまり教師の学生として、講師つまりありうべき聴講生にとっての講師として、著者つまりありうべき読者に対する著者として、といったことでもある)。いいかえれば、総じて根的には、対応する他者たちによってじぶ

    役割と「共同世界」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again