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人生と研究に関するtimetrainのブックマーク (7)

  • せっかくの博士課程が無駄になった気がする|塩

    僕は4月の今、博士課程の最終学年にいる。入学当初は漠然と研究を続けようと思ってたのだが、心変わりして、研究はやめて企業に就職することにした。幸い、ここなら快適に働けそうと思っていた企業に、博士卒として内々定をいただけている。あとは博論を書き上げて、卒業するだけだ。来年の4月からはサラリーマンとしてよろしくやってると思う。 研究をやめることにした理由は、能力と自信がなかったからである。 もともと僕には、何かをするときに深く考えたり、ちゃんと調べるという習慣がなく、そのことに危機感を抱いていなかった。博士課程に入学してからもその点は相変わらずで、思い付きでいろいろな実験をしている『つもり』、論文をつまみ読みして分野を理解した『つもり』で、なんとなく頑張った気になっていた。そして、そんな状態が2年以上続いた。 加えて、僕は誰も競争相手がいないテーマを研究していたので、まあ、ゆーて余裕っしょ、とい

    せっかくの博士課程が無駄になった気がする|塩
    timetrain
    timetrain 2023/04/17
    勉強は少し出来ても研究が出来なくて博士を諦めた自分は、一応選択は正しかったのかもしれないと思った
  • 生き別れた一卵性双生児が40年後に再会——2人のIQや性格を調べてわかったこと | 米国と韓国に別れて育った2人の類似性は?

    一卵性の双子がよく似ているのは周知の事実だが、たいていは同じ環境を共有しているため、遺伝の影響だけを切り離して分析することが難しい。だが、韓国で起きたある悲劇が画期的な研究に繋がったと、英紙「テレグラフ」が報じている。 40年前に起きた悪夢 親なら誰でも共感できるゾッとするようなシナリオの一つが、幼児が混雑した市場で迷子になるというものだ。1976年、この悪夢は韓国のある家族にとって現実のものとなった。そして40年後、この事件はある画期的な研究報告の核となる。 1976年、一卵性双生児の2歳の女の子のうちの一人が、祖母と一緒にソウル郊外の市場へ出かけたきり二度と戻ってこなかった。 行方不明になってからの数週間、両親はチラシを配ったり、行方不明者の情報を募る地元のテレビ局の番組に出演したりと、必死で娘を探そうとした。だが身元不明のまま施設に保護された女の子は、その時すでに別の家庭に引き取られ

    生き別れた一卵性双生児が40年後に再会——2人のIQや性格を調べてわかったこと | 米国と韓国に別れて育った2人の類似性は?
  • 【小泉悠】「いいところなし」の少年に、「細部から全体像を描く」を教えてくれた人:朝日新聞GLOBE+

    手元に置いた携帯電話がひっきりなしに鳴っている。ほとんどが取材依頼だという。2月24日のロシアによるウクライナ侵攻後、時の人になった。 引っ張りだこになるのには訳がある。相手に目線を合わせつつ、複雑な事象をわかりやすく説明する力。ロシアにもウクライナにもくみせず、膨大な軍事情報をつないで全体像を描き出す分析力。 「彼は言葉の力で一種の社会現象を起こしている」。そう話すのは、2019年、小泉さんを東大先端科学技術研究センター(先端研)に誘った先端研教授の池内恵さんだ。 「彼が話すと議論が整理されていくんです。いろんな人が投げた球を一つずつ拾い、それに答えつつまとめるという、非常に高度なことをやっている」。だが、人気の理由は、明晰さだけではなさそうだ。ときおり垣間見せるユーモアや、硬軟とりまぜた引き出しの多さ。自ら「軍事オタク」ぶりを見せて、楽しんでいるふしもある。 東京大学先端科学技術研究セ

    【小泉悠】「いいところなし」の少年に、「細部から全体像を描く」を教えてくれた人:朝日新聞GLOBE+
  • 研究の話 | 医療法人豊隆会 ちくさ病院

    私はもともと腎臓内科医でしたが名古屋大学大学院に入学したころ、 大学院生の規則で最低1年は基礎の研究室で研究しなければならないという規則ができました。 適当に籍だけおいてお茶を濁す医局もあったとは思うのですが、 私は実際に基礎の医局(微生物学教室)に派遣され研究に専念することになりました。 1年が経ちましたが天邪鬼な性格のせいでそのまま放置され、大学院修了後に至っては帰局しろとも言われなかったので、 そのまま基礎の教室の助手として居座ってしまいました。 就職して2年たったころ、教授から呼ばれ「米国の研究室に留学するように」命令を受けました。 「どこに留学するのですか?」と聞いたのですが、「どこでもよい」とのことで、とりあえず気候のよいカリフォルニアで研究室を探していただくことにしました。もちろん私のような実績もない研究者に給料をだして雇ってくれる研究室などあるわけもなく、サンディエゴの某研

  • 博士課程の失敗体験談 - わかばめにっき

    はじめに あまり格好のよいことではないのだけど、内省のために書いた文章がそこそこの分量に達したし、誰かにとって有益になるかもしれないと思ったので自分語りをしてみます。軽い話ではないので、そういうのが好みではない人は読み飛ばしてください。 元々は自分向けの文章なので、表現が雑な箇所もあります。また、敬体は文中では用いません。ご了承ください。 研究職を目指したがそれに資する能力と業績が得られなかった 成功・失敗の2つに物事を分けるのは難しいことだが、私の大学院生は総じて見ると失敗だったと思う。研究者として生きていこうとするキャリアの見直し・変更を余儀なくされているのだから、そう判断するのが妥当だろう。それはいくつかの理由に分けられる。正確には、いくつかの要素が影響を及ぼしあう悪循環に陥ってしまっていた。まずはそれらを大雑把にまとめてみる。 失敗要素 1. 業績がない 博士学生に限らず、研究者

    博士課程の失敗体験談 - わかばめにっき
    timetrain
    timetrain 2018/11/05
    自分はDを諦めたので、行って就職までしているのだからこの人は有能なんだろうと思った。とにかく日本の大学院生には金が無さ過ぎる(奨学金まだ返済中)
  • 研究者を志して、諦めた俺と諦めなかった人の10年後の現在

    俺、地帝→東大院(生物学専攻) 10年前、研究者を志し研究に励んでいた。しかし当時たまたま知り合った先輩(玉木浩貴、自称:国立印刷局の研究職候補)が「博士課程にメリットはなく、正規の研究者(アカポス)になれない」などと博士課程を卑下した発言を何度も繰り返しており、だんだんと感化されるようになった。結局それなりの研究実績はあったものの、大学院を去り、就職した。 一方で、研究が楽しいとそのまま大学院で研究を続けた周囲の学生・ポスドクの人達がいた。 当時は自分の選択は最良と思っていた。周りのように、今が楽しいからと厳しい現実を逃避し、なれもしないアカポスに憧れるのは哀れだと思っていた。 そしてそれから10年が経過。現在の状況は次の通り。 <大学院で研究を続けた周囲の学生・ポスドクの今(大学・大学院の所属研究室で自分より±3学年)> ・東北大学 教授 ・東北大学 准教授 ・東北大学 講師 ・東北大

    研究者を志して、諦めた俺と諦めなかった人の10年後の現在
    timetrain
    timetrain 2016/02/08
    周りがたまたま当たりを引いただけだろう。うちの同僚なんか酷いもんだ。研究者になりたかったのは自分も同じだが
  • 33歳、無収入、職場はアフリカ

    バッタ博士、前野ウルド浩太郎。サハラ砂漠の国・モーリタニアで働く33歳。カネはない。安定した将来の約束はない。だが、研究への情熱がある。バッタへの愛がある。ピンチはアイデアで乗り越える。厳しい環境下で働くすべての戦士たちに捧げる「サバイバルのためのひと工夫」、連載開始。 取り返しのつかない生活を送っています 私は雪国・秋田育ちにも関わらず、灼熱のサハラ砂漠でバッタを執拗に追いかけ回すことを生業にしている男です。一般に博士号を取得した研究者は、就職が決まるまでポスドク(ポスト・ドクター)と呼ばれる1、2年程度の任期付の職を転々としながらいつなぎます。私もポスドクです。政府が2年間の任期で若手研究者を外国に派遣する制度を利用し、このアフリカ滞在中の成果を引っさげて、安定した給料が得られる常勤の昆虫学者になる可能性に賭けました。モーリタニアの国土は日の3倍で日人の民間人が私一人だけという孤

    33歳、無収入、職場はアフリカ
    timetrain
    timetrain 2013/06/22
    バッタ博士が人類をという単語からもうこの人が、作戦目的が「正義」の人にしか見えなくなってきた。
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