ただタブーも突然壊れることがあります。かつては北朝鮮や朝鮮総連への批判もタブーでした。私は1994年「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」設立の際、朝鮮総連の妨害で集会が流れたことを記事にしたら。上司の社会部長から「おまえは朝鮮総連とケンカする気か!」と怒鳴られたことがあります。— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) October 3, 2019 北朝鮮を記事で書くときはいちいち「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」と表記してたのも自主規制のひとつ。でもそんなタブーも突然壊れる時がある。北朝鮮のタブーは2002年の小泉首相訪朝と拉致被害者帰国で終わりました。— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) October 3, 2019 佐々木俊尚氏は1994年、社会部長から「お前は朝鮮総連と喧嘩する気か!」と怒鳴られた それに、こうブクマをつけたら、それが呼び水だったのか、氏