私が住む東京都町田市の小田急町田駅の東口の広場には「絹の道」という石碑がある。それをゼミ生に見せてからJR横浜線の下り線に乗り、八王子に向かう。その車中で、なぜ八王子と町田を結ぶこの街道が絹の道と呼ばれるか、学生たちに説明する。 このあたりの多摩丘陵の地形地質が桑畑に向いていて、それが地域の養蚕業を盛んにしたこと。そうして絹製品の産業基盤がこのあたりにあったところに、幕末期に盛んになった生糸輸出で、山梨や長野、群馬の生糸がいったん八王子に集まり、そこから輸出港横浜まで運搬されるルートができたこと。その流通加工拠点であった八王子には富が蓄積されたし、横浜までは生糸を馬の背に乗せて運ぶにも一日では歩ききれないので、行商人たちがその中間地点の町田で一泊してお金を落としたこと。横浜で生糸を売り捌いて懐が暖まった行商人たちが、おそらく帰路についた一泊目の町田で羽根を伸ばしたので町田には町の規模の割り
R774@まとめ屋 @kendou774 スレッドにします。 『物部の山奥にある小さな集落』40年ほど前の航空写真では、数軒の家屋と耕作地が見える。そして現在の航空写真。集落まで車道が延びているが、既に住む人はいないという。山奥にある小さな集落には何が残されているのか。集落の今を記録するために、『堂平集落』へと向かった。 pic.twitter.com/pHhMM9Z589 2020-10-17 21:08:26
東京大学は10月14日、47都道府県に居住する日本人約1万1000名の全ゲノムSNP遺伝子型データを用いて、都道府県レベルで日本人の遺伝的集団構造の調査を実施した結果を発表した。そしてクラスター分析により、47都道府県は沖縄県とそれ以外の都道府県に分かれ、沖縄県以外は九州・中国地方、東北・北海道地方、近畿・四国地方の3つのクラスターに大別され、関東地方や中部地方の各県はひとつのクラスター内に収まらなかったとした。また同時に、主成分分析の結果、第1主成分は沖縄県との遺伝的距離と関連しており、第2主成分は緯度・経度と関連していたことも判明した。 同成果は、同大学大学院理学系研究科の渡部裕介 大学院生、一色真理子 大学院生(ふたりとも研究当時)、大橋順 准教授らの研究チームによるもの。詳細は、ヒトの遺伝子を扱った学術誌「Journal of Human Genetics」に掲載された。 現代の日
清須市西枇杷島町にある日本で最初につくられたとされる「西枇杷島歩道橋」が4月、県道の拡張工事で取り壊されることになった。小中学校の通学路として50年間、子どもたちの安全を支えてきた感謝を込めて、地元住民らが4日、横断幕を設置した。 歩道橋は鉄筋コンクリート製で、全長48メートル、幅2・5メートル、高さ5メートル。1959年6月に完成した。歩道橋がかかる県道67号は当時、国道22号として名古屋と岐阜を結ぶ幹線道路だった。交通量が多い割に横断歩道や信号がなく、横断しようとした子どもが重傷を負う事故が発生したのを受けて、旧西枇杷島町が建設。まだ「歩道橋」という名がなく、「学童専用陸橋」と名付けた。その後、歩道橋が全国に広まったとされている。 横断幕は、地元住民有志でつくる「西枇杷島夢のかけ橋実行委員会」が立案。この日、同委員会メンバーや通学路として歩道橋を利用する西枇杷島小児童ら約15人が「日本
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