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歴史と平安に関するtimetrainのブックマーク (3)

  • 平安時代の「幻の物語」一部見つかる NHKニュース

    平安時代後期に物語が作られ、その後、中盤や末尾の大部分が失われたことから、「幻の物語」とも呼ばれる作品、「夜の寝覚」の失われた部分の一部が見つかり、平安時代の傑作の全容を知る手がかりになるとして研究者が期待を寄せています。 「夜の寝覚」は、女性の主人公「寝覚の上」がさまざまな男性に愛される波乱の生涯を描いた物語で、11世紀後半に「更級日記」の作者としても知られる菅原孝標女が書いたとする説が有力です。 原はなく、その写が残されているものの、時代を経るうちに、物語の中盤と末尾が大きく失われ、詳しい内容や結末が分からなくなり、「幻の物語」とも呼ばれていました。 こうしたなか、このほど、京都の古書店が持っていた古い掛け軸の書1枚について、平安時代の文学に詳しい実践女子大学の横井孝教授が鑑定したところ、「夜の寝覚」の中で詠まれていたとされる和歌だったということです。 「夜の寝覚」を巡っては、今回

    平安時代の「幻の物語」一部見つかる NHKニュース
    timetrain
    timetrain 2014/05/29
    千年乙女ゲーすごい。そして京都の古書店怖い。
  • 阿比留氏 - Wikipedia

    阿比留氏(あびるし)はかつて対馬国を支配した氏族である。その後対馬国の支配は宗氏が掌握したが、現在でも対馬においては阿比留姓は最多姓のひとつである。 阿比留氏発祥の地は上総国畔蒜郡(現在の千葉県袖ケ浦市付近)であるといわれる。『津島記事』などによれば、蘇我満智の末裔である比伊別当国津には比伊太郎行冬、比伊次郎行兼、比伊三郎行時の3子がおり、2男の行兼あるいは3男の行時が、813年(弘仁4年)に対馬国司となり対馬国に渡ったという。その末裔は阿比留氏を名乗り、対馬国の在庁官人となり、対馬における最大勢力となり、阿比留氏やその居館は「在庁」と呼ばれた。ただし、津島県直(史料によって祖神は変わり、候補としては建比良鳥命、天児屋根命、雷大臣命、建弥己己命、押瞻命がいる[1])の末裔ともされる[2]。 豆酘観音堂の鐘によれば、正六位上権掾阿比留宿禰良家が、寛弘5年(1008年)8月28日に鐘を鋳たとい

    阿比留氏 - Wikipedia
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    timetrain 2011/08/22
    「1019年に発生した刀伊の入寇の際には刀伊の将龍羽を討ち果たした」これのソースが知りたい。
  • 朝野群載 - Wikipedia

    朝野群載(ちょうやぐんさい)は平安時代の詩文・宣旨・官符・書札等各種文書を分類して算博士・三善為康が編纂したもの。1116年(永久4)成立。しかしその後の増補があり、最終的には保延年間(1135~41)の成立と推定される。元は30巻であったが、10、14、18、19、23、24、25、29、30の9巻は現存しない。 分類は、文筆・朝儀・神祇官・太政官・摂籙家・公卿家・別奏・功労・廷尉・内記・紀伝・陰陽道・暦道・天文道・医道・仏事・太宰府・異国・雑文・凶事・諸国雑事・諸国公文・諸国功過の各項目であるが、これは現存する部分についてであり、失われた9巻にどのような分類が含まれていたのかは不明である。 上記の内容からも判るとおり、書は詩文集としてより、諸司の事務に関わるものを多く含み、文書集としての性格が強い。また編者三善為康が身近な「反故」を集めたと自ら述べているように、編者が生きた平安時代末

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    timetrain 2011/08/22
    刀伊の入寇についての記載があるとのこと。メモ。
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