1910年、東京市浅草区に旧杵築藩主能見松平家の子爵・松平親信の三男として生まれる[2]。 学習院高等科を経て、東京帝国大学(現:東京大学)工学部船舶工学科に進学[1][2]。造船所の実習では肉体労働が多く、知識を使うところが少なく感じたが、三菱航空機の工場を見学すると学問的であるため、航空機の道を選択する[1]。 1934年に大学卒業後、同年設立された海軍航空技術廠へ「有識工員」として入る[1][3]。飛行機部研究科に配属されたが、1年間の現場実習の後、陸軍飛行連隊で1年間の兵役に就いた[2][3]。 本格的な研究生活が始まったのは1936年のことで、当時海軍では1人も専門家がいなかった飛行機の振動問題を手掛けるよう命じられた。機械振動学を一から勉強して第一人者となり、九六式艦上攻撃機を皮切りに、飛行機の高速化とともに発生するフラッター(風速により旗めく現象)への対策に追われる日々を第二