栗山 利安(くりやま としやす)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。 黒田氏の筆頭家老で、黒田二十四騎、黒田八虎の1人である。黒田孝高の股肱の家臣として厚い信任を受ける。家臣の中では序列第1位であって一老と称された[4]。子に黒田騒動を起こした事で有名な利章がいる。通称は善助(ぜんすけ)。 天文19年(1550年)、播磨国姫路栗山(現在の姫路市栗山町付近)にて生まれる[1][注釈 2]。 永禄8年(1565年)夏から黒田孝高に側近として仕えた[4]。永禄9年(1566年)に初陣[3]。永禄12年(1569年)の青山・土器山の戦いで、首級を2つ挙げ、83石相当の家禄を与えられる。天正6年(1578年)に孝高は織田信長に反逆した荒木村重を説得するために有岡城に向かってそのまま捕らえられたが、利安は翌天正7年(1579年)にこれを救出している[1](有岡城の戦い)。 天正8年(1580年

