人が楽しんでいることを、なんで楽しいのかも考えずに否定するのって頭がわるくね?ってお話。 いや、エロゲーの批評が楽しいの当たり前じゃんって話か。 論旨は以下 エロゲーは構造的にパラダイムシフトによる楽しさを提供しやすいものだということ。 パラダイムシフトってのは知性の働きで、構造の解体/解析とヒラメキによって成立していること。 構造の解体/解析は批評って行為をふくむこと。 よって、パラダイムシフトを楽しさとして提供するエロゲーは、批評によって楽しくなる。 もうQED、秋田で終わってもいいと思うんだけど、秋田で終わると評判が悪いので続きます。 ご存知のように、エロゲーというのは多く「マルチエンディング」です。いわゆる「○○ルート」という形式。 で、もっとも素朴な作品というのは同一世界観、同一キャラクターを使った短編集といえる形式。 一つのパッケージに複数の作品があるというのと同じ。 この一つ