ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (18)

  • みなさん、生涯現役のお知らせです!おめでとうございます! - シロクマの屑籠

    www.nikkei.com 内閣府さん、力強いご提言ですね。 最近は経済事情が苦しくなり、若者のモラトリアム期間も短くなって、「35歳まで思春期」などという言葉は完全に時代遅れになりました。それと同じように、高齢者と呼ばれる期間も先送りされて、現役世代が5年ぶん増えることになります。 モラトリアムな若者も減って、ご隠居生活な高齢者も減って……「生産人口」が増えるってことですね! おめでとうございます! 六十代や七十代の皆さんががんばって若さを追いかけて、健康を維持して、平均寿命が伸びまくった結果として、「あなた達はまだまだお若い!現役選手としてがんばってください!」という熱いエールが内閣府から届けられたのです。「高齢者」「老人」といった言葉に抵抗感のある、若さを追いかけてやまない人達には、これは福音でしょう。 よかったですね! 若さを長く保てるようになったら、若さを長く保たなければならな

    みなさん、生涯現役のお知らせです!おめでとうございます! - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/12/22
    働く高齢者増えると認知症は減りそう
  • 「よく発達した発達障害」の話 - シロクマの屑籠

    ここ十年ぐらいで「発達障害」という言葉はすっかり普及し、そのせいもあってか、外来で「自分が発達障害かどうか調べて欲しい」という相談を受けることも増えた。 精神医療のフォーマルな窓口で発達障害と診断される人の大多数は、社会で生きていくことに困難を感じているか、周囲との摩擦を感じている。そりゃそうだろう、なんらかの事情がない限り、人はわざわざ病院を受診したりはしない。 社会に溶け込んでいる「発達障害と診断され得る」人々 発達障害という名称が世間に広まると同時に、精神科医が発達障害と診断する頻度もだいぶ増えた。過去に他の病名をつけられていた人に正しい病名をつけられるようになったわけだから、これは「進歩」と言って良いのだろう。 そうやって、ちょっと前なら異なる病名をつけられていたであろう人々を発達障害と診断する状況になって、気づいたことがある。それは、「病院で発達障害と診断する基準に当てはまるよう

    「よく発達した発達障害」の話 - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/10/18
    発達障害って現代をいきぬくために人類が進化しようとしてる側面もあるんじゃないか?って職場のスーパーマンたちみてて思う。
  • でも「東京を知らない」地方民は、東京の価値観や競争に巻き込まれずに済むんですよ? - シロクマの屑籠

    www.sugatareiji.com リンク先には、「地方と東京では基礎的な生活コストはあまり変わらない。自動車の費用や収入差も考えれば、地方有利と言えない」的なことが書かれている。流通の発達したこのご時世、地方だからといって農産物が安く買えるわけでもないから、基礎的な生活コストはあまり変わらないという認識自体、そんなに間違ってはいないと思う。こちらが示しているように、首都圏は全体として物価が高めだとしても。 それでも、基礎的な生活コスト以外のところでは、地方で生まれ育つ人と東京で暮らす人では必要なコストはだいぶ違うのではないだろうか。たとえば自意識を充たすために必要なコスト、社会のなかで競争し勝ち残るためのコストは、東京のほうが高コスト体質ではないだろうか。 題に入る前に あらかじめ断っておく。 東京と地方どちらが暮らしやすいか、あるいは大都市圏~郊外~過疎地のグラデーションのなかで

    でも「東京を知らない」地方民は、東京の価値観や競争に巻き込まれずに済むんですよ? - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/07/20
    東京に打ちのめされて東京の倒し方地方で考えるの楽しい。
  • 都合の良い男性ホモソーシャルアニメ『ガールズアンドパンツァー』 - シロクマの屑籠

    ガールズ&パンツァー 劇場版 (特装限定版) [Blu-ray] 出版社/メーカー: バンダイビジュアル発売日: 2016/05/27メディア: Blu-rayこの商品を含むブログ (25件) を見る 我が家も劇場版を購入して、みんなで視聴している。 最高だ! でも音はやっぱり寂しい。腹に響くような重低音はいかんともしがたく、また劇場に行きたくなるのもわかる。 それはともかく、タイトルどおり『ガールズアンドパンツァー』という作品は、男性ホモソーシャル集団の理想郷のような作品でもある*1。 この作品は、色んな角度から褒め称えられて然るべきだが、男性ばかり集まった青少年集団を徹底的に美化して描いてみせた構図も長所のひとつだったように思えるので、そこを言語化してみる。 男性ホモソーシャル集団の「臭み」「嫌らしさ」を徹底的に脱臭 『ガールズアンドパンツァー』には、表向きとしては女性キャラクターばか

    都合の良い男性ホモソーシャルアニメ『ガールズアンドパンツァー』 - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/06/26
  • 誰が・どこまで「個性」を求めているのか - シロクマの屑籠

    世間では、いまだに「個性」という言葉が肯定的に語られている。これについて、ちょっと頭のなかを整理したくなったので、以下にメモってみる。 1.ほんらい「個性」と呼べるものは、あっちこっちに見つかるものでも、あっちこっちで適応できているものでもないと思う。個性の強い人間は個性が強いぶん、特別な環境や特別な状況で領を発揮するのであって、どこに行っても適応できるような人間は個性的ではないはずだ。たとえば ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法を出版したid:phaさんはとんでもなく個性的だと思うが、彼が適応できる環境はおのずと限られると思う。 個性的な人間が、その個性を生かし、個性を伸ばしているとしたら、そいつがいる環境や境遇自体も個性的であるはずだ。ありがちな環境・ありがちな状況にノウノウと適応している人間が個性的である確率はあまり高くない。珍しい環境、ユニー

    誰が・どこまで「個性」を求めているのか - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/06/13
    個性
  • インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠

    これに類することは沢山の人が書いているし、私だって書いていそうだけれども、反復的になったって構わないから書いておく。 たぶん、昔インターネットをはじめた人が考えていた自由とは、「自分の表現したい事を、誰にも文句を言われることなく表現できる」自由だったのだと思う。少なくとも私がネットサーフィンしていて感じたのは、それだった。あとは「表現されているものを誰にも文句を言われることなく閲覧する自由」。世間に対する呪詛も、いかがわしいエロも、書いたって構わないし眺めたって構わない――「インターネットは自由だ」と言った時に多くのユーザーが無意識のうちに含意していたのは、表現するにせよ、閲覧するにせよ、そういった「誰にも文句を言われることがない」という修飾語のついた自由だった。イコールではないけれども「無責任」というレトリックにも近かったかもしれない。 現在もインターネットには表現の自由がある、と思う。

    インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/03/29
    祇園四条だ!(京阪民
  • ブログ労働者と「ブログでお金を稼ぐこと」 - シロクマの屑籠

    はじめ、ブログには議論があり、情報交換があった。 簡単に文章をアップロードできること。トラックバックを介して議論や情報交換できること。それそのものがブロガーにとってご褒美であり、そうしたご褒美を嗅ぎ付けた人々がブログに集まってきた。だが、それらをご褒美とは感じなかった大半の人々は、書き続けるモチベーションを獲得するには至らなかった。 続いて、ブログには承認欲求が与えられた。 はてなブックマーク、拍手ボタン、「ポチッと応援よろしくお願いします!」。それらはブロガーにとって新しいご褒美となり、そうしたご褒美を嗅ぎ付けた人々がブログに集まってきた。議論や情報交換よりも承認欲求はわかりやすい魅力だったので、今までよりもたくさんの人々がブログを書くようになった。それでも承認欲求ではメシの種にはならないため、無視する人も多かった。 最後に、ブログに金銭が与えられた。 アフィリエイト。アドセンス。金儲け

    ブログ労働者と「ブログでお金を稼ぐこと」 - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/03/24
    個人的にはブログ書くことは実験感覚。
  • 「つながり」「しがらみ」を厭わない若者達 - シロクマの屑籠

    タイトルのとおり、最近、「しがらみ」を厭わない若者達についてあれこれ考える。 俗に“マイルドヤンキー”として括られる若者はもちろん、そうでもない若者も「つながり」を大切にしていて、そのためなら「しがらみ」をも厭っていないと感じる機会が増えた。 1990年代~2000年代の若者は、もっとしがらみを厭い、自分が一人でいる時間や空間を求めていたはずだ。もちろん当時も、ヤンキーっぽい若者はコンビニの駐車場やショッピングモールにたむろしていたし、体育会系の一群も「つながり」に積極的だった。だが、そうではない若者は自分が一人でいる時間や空間を求め、それに即したライフスタイルを構築していた。趣味生活やファッションでも、ヤンキー的な同質性には距離を置いて「私が私であること」「私が他の人とは違っていること」を重視するような志向が流行っていた。 他方、2010年代も半ばを過ぎて、そうしたスタンドアロン志向な若

    「つながり」「しがらみ」を厭わない若者達 - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/03/08
  • シューティングゲームは親から子へ受け継がれた - シロクマの屑籠

    私はもう三十歳なのでシューターとしては既に老兵。もう上達する余地はあまり無いし、仕事や家庭に押されていつかプレイ出来なくなってしまうかもしれない。だけど、今こんなにシューティングを楽しめていること、良い作品と出会える事を心から嬉しく思う。これからも良い作品はまだ出てくる筈――そのときまで私よ、どうかシューターであり続けてくれますように。 http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20060107/1136638356 2006年1月、私は、こんな事を書いていた。 それから十年以上が経ち、仕事に追われるにつれてゲーセンから足が遠のいていった。「これからも良い作品は出てくる!」という希望を2010年頃までは持っていたし、シューターとしての修練も重ねていたつもりだったが、『ダライアスバーストAC』『怒首領蜂最大往生』を最後に、私の琴線に触れるシューティング

    シューティングゲームは親から子へ受け継がれた - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/02/21
  • 気軽に言及したらブロガーの精神をぱっくり割ってしまいそうで - シロクマの屑籠

    はてな村とか、ブログとかの話雑感。インターネット大好きの話。 - orangestarの雑記 リンク先と関係あるようなないような話をズラズラと書きます。 まず、こうやって「読んで思ったインターネットの話をズラズラ書く」行為が素晴らしいですね。執筆義務に縛られず、カネにもならず、ブログのロイヤリティにも寄与しない、駄目な話を自分のブログにアップロードする。ヒャハ!嬉しいですね! 「何物にも縛られずにブログを書く」とは、こういう感じではないでしょうか。「ブログを書く時はね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ」 ってやつです。 誰の記事に反応してもいい。 自分の書きたいことを書いてもいい。 それがほんらいのブログじゃないですか。 儲けやロイヤリティのためにブログをやる人がいるのは理解できるけれども、それだけじゃあ私は寂しい。この『シロクマの屑籠』を、そうした「見世物・

    気軽に言及したらブロガーの精神をぱっくり割ってしまいそうで - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/02/16
  • もって生まれた星回りや天運を受け入れる手段の寂れた社会で - シロクマの屑籠

    一時期に比べると、たんなる自助努力が良いものとして語られなくなり、生まれ・育ち・文化といった、努力や自己選択のバックグラウンドが意識されるようになった。 数十年前の人達は、「努力さえすれば立身出世できる」「自分の運命は自分で切り開く」的な物語を信じたがっていた。いや、そうした信念に見合った社会を建設するために、実際たくさんの人が頑張ってきた。「自分の運命は自分で決めろ」。そのようなピュアな気持ちが溢れていた時代がこの国にもあったと思う。 だが、そのような自助努力を信奉していた世代が一巡した現在では、「努力」や「運命」を自助努力だけで切り開けると思う人は減った。もちろん、恵まれた教育環境や情緒環境で育ってきた人達のなかには、それを「持って生まれた幸運な星回りの結果」とは考えず、呑気にも、皆に与えられた平等な前提条件だと思い込んでいる人もいる。だが、そのような呑気さをネット上でひけらかせば

    もって生まれた星回りや天運を受け入れる手段の寂れた社会で - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/01/25
    このゲームのこの側面に気づく頃には人生は取り返しがつかなくなることにだいたいなってるよね。
  • 「俺は2010年代のブロガーになれない」 - シロクマの屑籠

    僕はブロガーになれない - orangestarの雑記 新年早々、「僕はブロガーになれない」と来ましたか。 ブログを更新する人をブロガーと定義するなら、私もid:orangestarさんもブロガーの端くれですが、そういう事を仰りたいわけじゃないですよね。 世間でブロガーとして認知、人気がある人の素質というものが、リアルで必要とされる能力と、とても似てきていると思う。 それは共感能力であったり、空気を読む能力であったり、コミュニケーション能力であったり、人を不快にさせない能力であったり、政治力であったり、人を元気にさせたり元気づけたり、ポジティブにさせる能力であったり、器用さであったり、要領のよさであったり、物事を始める時の勘の良さであったり、何か、面白いものを見つける嗅覚であったり、行動力であったり、新しいものに対する好奇心であったり、視野の広さであったり。などなど。 僕はブロガーになれな

    「俺は2010年代のブロガーになれない」 - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/01/08
  • これからの凡人道 - シロクマの屑籠

    新年あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 抱負がわりに、今、意識してまとめていることを書きます。 これまで私は、凡人道に興味を持ってきました。範疇的に生きていくための方法論や処世術や仕草、そういったものです。 自己実現が叫ばれていた時代からこのかた、生きていくための方法論や処世術はあまた語られてきました。しかしそうした人生の青写真の多くは――実現可能性はさておき――煌びやかなものであったり、特殊な刻印を背負った人を対象にしたものだったりしました。 しかし、世間に存在する人生の大半は、メディア上で語られてきたような煌びやかな人生とも、特殊な刻印を背負った人生とも違っています。「普通の人生」などというと空集合のように響きますし、「構成要素のすべてが平均からなる人生はものすごく珍しい」のも事実ですが、ひとつふたつみっつ程度の目立つ要素をのぞけば、あとは範疇的なワークスタ

    これからの凡人道 - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2016/01/06
  • 「がんばる」しかないんだよね、惣流アスカラングレーさん - シロクマの屑籠

    orangestar.hatenadiary.jp リンク先を眺めていると、つい、現実との戦いを強いられる人達、とりわけ“不遇”と言われそうな人達に思いを馳せたくなります。 でも、これって小島アジコさんの卓抜した表現力がそう感じさせるのであって、嘆いている暇があったら戦うしかないと思うんですよ、現実と。いや、現実と戦わないように回避行動をとっている最中ですら、人間は、「がんばっている」じゃないかと思うのです。 筋肉少女帯『戦え!何を!?人生を!』で絶唱されているように、人生とは、悲しいぐらいに戦いであると私は思います。実際、選べるコマンドは、「がんばる」「がんばる」「がんばる」「がんばる」しか無いのではないでしょうか。逆説的に、だから「うつ病の患者さんは励ましてはいけない」という言説が信憑されているのではないかと。 つねづね臨床場面を眺めていて思うんですが、うつ病の患者さんなどは、たとえ励

    「がんばる」しかないんだよね、惣流アスカラングレーさん - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2015/12/04
  • 「ゲーム“なんか”やってる場合じゃない」 - シロクマの屑籠

    私は面白そうなブログを見つけたら過去ログを追いかける。そのブロガーがどういう人物なのか、手触りを確認するのが好きだからだ。「個々の記事より、個々のブロガーを読んだほうが面白い」。 で、こちらのブログは年に何度かまとめ読みしていて、その世代感覚・娑婆感覚がチクチクしてしようがないんだけど、今回は、以下のフレーズに引っかかった。 もうゲームの気力もないのか俺。と言うか残り少ない人生ゲームに費やしてホントにイイのかとマジで考えてしまうところに年を感じるなぁ。 (今更ながら世界樹の迷宮Ⅲやってます より抜粋) まるで自分の内心を覗かれたみたいだ。私も最近、ゲーム*1を遊びながら自問自答してしまう。「今、ゲームをやっていて構わないのか?これじゃあまずいんじゃないか?」と。 三十歳になるかならないかの頃の私は、ゲームにのめり込むことに疑問を感じていなかった。小学生時代以来、連綿と続いてきたゲーム趣味

    「ゲーム“なんか”やってる場合じゃない」 - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2015/10/25
    仕事"なんか"やってる場合じゃない
  • 道化師ブロガー・tm2501さんにご忠告申し上げる - シロクマの屑籠

    【おことわり】この文章は、ハイコンテキストな“はてな村”的な何かです。この言葉にピンと来ない人にはなんら意味を持ちません。スルーしてやってください。 今日、漫画家の小島アジコさんが、『2015年10月22日』というイラストをアップロードしました。 シロクマが魔理沙をじっと見つめています。魔理沙は手鏡でシロクマの動きを見計らっているようにもみえますね。 シロクマは私のアイコンですし、魔理沙はtm2501さんのアイコンです。背景の、塔にのぼった人々は、物見高いはてなブックマーカー達と思われます。 このイラストは、以下の文脈を踏まえたものでしょう。 p-shirokuma.hatenablog.com togetter.com 今日、2015年10月22日は「シロクマはtm2501さんに言及しない」と宣言して三年目にあたります。ですから、今日から私は彼に言及しても構わないわけです。 しかし、今、

    道化師ブロガー・tm2501さんにご忠告申し上げる - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2015/10/23
    はてな病棟に呼び方をかえよう!
  • はてなで有名になりたい?だったら“パンツを脱げ”よ! - シロクマの屑籠

    はてなで有名になりたい 匿名ダイアリーを書くような人間が「はてなで有名になりたい」とは、とんだお笑い草ですね。それとも、アカウント名を名乗るのも恥ずかしいのでしょうか? そんな恥ずかしがりが有名を夢見るなんてとんでもない!有名とは、来、恥ずかしいものです。恥の感覚を強く伴うものです。恥ずかしがりな人にとって、有名とは、ただそれだけで息苦しい状態です。 あなたのような、匿名ダイアリーに「はてなで有名になりたい」と書く人は、有名である事に耐えられないタイプに違いありません。ちょっと注目が集まっただけで承認欲求の快楽と渇望がドロドロになった、おそろしい感覚に囚われるでしょう。で、炎上未満のボヤ騒ぎで恥の感覚に耐えきれなくなってアカウントを非公開にするのが関の山ではないでしょうか。 もちろん、すべてのネットユーザーが恥の感覚に直面するわけではありません。心臓がビス止めの人達・恥知らずな人達・感性

    はてなで有名になりたい?だったら“パンツを脱げ”よ! - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2015/10/16
    パンツ脱ぐだけじゃだめだ。うんこ漏らさないと。
  • ネットは深夜番組じゃなくなった。アングラでもなくなった。 - シロクマの屑籠

    ここ最近、なんとなくネット炎上の質感が変わったような気がしていてモヤモヤしていた。けれども今日、twitterでやりとりしているうちに、やっとモヤモヤ(の一部)を言語化できたような気がしたので、書いておく。 昔のネットは深夜番組、今のネットはゴールデンタイム 昔のインターネットは、いわば深夜番組だった。 観る人が限られ、視聴者の総人口は大きくない。オタクとギークと研究者、一部の好事家がインターネットの主要メンバーだった。広大といえば広大な、狭小といえば狭小な世界では、現在同様、善い出来事も悪い出来事もあったし、誹謗中傷や“荒し”もあった。2ちゃんねるでは“祭り”が繰り広げられていて、ギコやモナーが祭りだワショーイと集まっていた。オンラインの揉め事がオフ会に持ち越されてトラブルになる、という話も耳にしていたから、当時のインターネットが安全だった、とは言い難い。 それでもインターネットは深夜

    ネットは深夜番組じゃなくなった。アングラでもなくなった。 - シロクマの屑籠
    tmura3
    tmura3 2014/01/17
    深夜放送がゴールデンになるとつまらなくなる感じが、ネットにも言えそう
  • 1