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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ced (4)

  • 戦争論 - 雑記帳

    2002年当時に作成した読書メモ。 前半はこれまで様々な知識人が論じてきた戦争についての論議を総括している。ここに著者のオリジナリティはなく、読書感想文的な色合いが濃い。学術書というよりも戦争論を学ぶ人のための入門書といったところ。ただ、必要と思われる重要人物がほぼ網羅されているので、ここに出てくる人物のを読めば、戦争観に関する勉強はかなり楽になると思う。強調は引用者による。 興味深いのは後半。冷戦後の内戦と、20世紀末の戦争の議論は、他の論者と違った視点もあって面白い。全体的に、クラウセヴィッツとベネディクト・アンダーソンに対する言及が多いのが特徴。 「戦争政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない。」(p3) クラウセヴィッツの『戦争論』からの引用。このにはこういったかたちでの引用が数多くある。 戦争とは、政治、経済、文化等々がからみあっている歴史的な文明の構

    toff
    toff 2007/02/24
  • iモードという失敗 - 雑記帳

    AppleからiPhoneが発売された。iPodの機能を持つ携帯電話、というだけでも斬新だが、それに加えて驚いたのはSafariが搭載されており、スムーズなブラウジングが可能となっている、という点。実際にスティーブ・ジョブスがgoogle mapを使ってスターバックスを検索しているビデオがcnet.comで公開されている。 日で携帯電話が爆発的に普及し、iモードやEZwebなど利用が盛んになった。が、それらはあくまでインターネットとは切り離された、囲い込まれたコンテンツ群だった。 Web 2.0、という言葉が昨年流行したが、日においてそれは「インターネット」上での話であって、携帯電話はその範疇外だった。が、今日起きた出来事は、これまでの囲い込み戦略が果たして正しかったのかどうかが問われる契機となるかもしれない。

  • 日本型「教養」の運命―歴史社会学的考察 - 雑記帳

    教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』(→読後録)では教養主義がテーマとなっていたが、それと並行し存在していたのが修養主義だった。『日型「教養」の運命―歴史社会学的考察』では修養主義と教養主義の両方を分析しているので、『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』に欠けていた修養主義について知るのに丁度良い(一応p171-172で言及しているものの、修養主義に竹内洋は重きを置いていない)。教養主義と修養主義は同じ「哲学・歴史・人文学を中心にした人格の完成を目指す態度」(『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』 p40) であるが、広辞苑を引くと修養は「精神を練磨し、優れた人格を形成するようにつとめること」とあり、書物よりも精神の方を重視していたようである。実際、修養主義は得てして人格崇拝を伴っていた。だから半ば必然的に修養主義は宗教

    日本型「教養」の運命―歴史社会学的考察 - 雑記帳
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    toff 2007/01/02
  • コンピューターのきもち - 雑記帳

    このは、パソコンのことを何も知らない初心者向けのじゃない。このは一度は気でパソコンにチャレンジして、それなりに努力はしたけれども、敢え無くパソコンに敗北してしまった人達向けの、なのだろうな。どちらかというと、分かる人には分かる、という内容。 おたくどもには、特殊な能力があることがわかっている。連中は、記憶力はいい、特に、空間的な記憶力。(p18) 著者は、パソコンが依然使い難いのは、開発者が「パソコンの身になって」パソコンを作っているからだと主張する(p21)。そう、実際にそれを使う人間の身になって作られているわけではない。だから、いつまでたっても、パソコンはオタクオタクによるオタクのための道具にしかなれない。車は別に車の身になって運転しなくても、きちんと動いてくれる。それは使う人のことをきちんと考えて設計されているからだ。それに比べて、パソコン(Windows)の未熟さは一体

    コンピューターのきもち - 雑記帳
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    toff 2006/11/11
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