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2016年4月3日のブックマーク (4件)

  • 金なし、開発たった7人…期待ゼロだった「モンスト」、なぜ驚異的ヒット? | ビジネスジャーナル

    コナミ(現・コナミホールディングス)、カプコンと渡り歩き、ゲームソフト開発会社のゲームリパブリックを設立した、ゲームプロデューサーの岡吉起氏。4月2日付当サイト記事『大ヒット「モンスト」生みの親、借金2ケタ億円でゲーム業界から消えていた過去とドン底人生』では、会社が破綻し、数十億の負債を抱えて心身ともにドン底に落ちたところまでをお伝えした。 しかし、岡氏はその“潜伏期間中”にミクシィと手を組んで「モンスターストライク」を開発、世界的にもトップクラスの売り上げを叩き出す。「モンスト」のコンセプトや運営ノウハウ、そして現在のソーシャルゲーム業界に至るまで、岡氏の話は続く。 まったく違うソシャゲの世界、理解するのに3年 –会社が破綻し、一時は「行方不明」とまで言われていました。 岡吉起氏(以下、岡) ある会社に所属はしていたのですが、気力もなく、仕事はほとんどしていませんでした。「39

    金なし、開発たった7人…期待ゼロだった「モンスト」、なぜ驚異的ヒット? | ビジネスジャーナル
    tohima
    tohima 2016/04/03
    確かにソシャゲとパチンコは近いものを感じる
  • 「チャレンジ作家さんってほんと凄いんですよ。涙が出るくらい感動できます。みんな、すごい一生懸命なんだもん」―― comicoの中の人インタビュー

    縦スクロールのオリジナル漫画が無料で読み放題のサービス「comico」の運営元であるNHN PlayArt株式会社comico事業部マネージャーの春木博史氏に、投稿作品が掲載される「チャレンジ作品」「ベストチャレンジ作品」と、「公式作品」へのステップアップなどについて詳しく話を伺ってきました。 なお、取材は2015年1月22日に行っており、数字関係はその当時のものとなります。冒頭に「800万ダウンロード」と言っていますが、2カ月後の3月10日には900万ダウンロードを突破しています。凄い! めざせ! 公式作品・連載作家 ―― 800万ダウンロード、おめでとうございます。 春木博史氏(以下、春木) ありがとうございます。 ―― まず、comicoの仕組みについて確認させてください。comicoの掲載作品は、ウェブだけで公開される「チャレンジ作品」、一定条件を満たしアプリでも公開される「ベスト

    「チャレンジ作家さんってほんと凄いんですよ。涙が出るくらい感動できます。みんな、すごい一生懸命なんだもん」―― comicoの中の人インタビュー
    tohima
    tohima 2016/04/03
    どうやって収益をあげているんだろう、ハンゲーム関連でなんとかしてるのかなあ
  • DIY葬儀は無理、と言うあなたに、お寺に相談や、行政の規格葬儀の勧め

    http://anond.hatelabo.jp/20160331150720 お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話 人によっては非常に役立つ、と言う話の一方で、批判もあるこの記事。 人の生き死にについては宗教観が付いてくるのでそれをどうこう言うつもりはないけれど、ブコメには「すごいけど、できそうにない」という声が多いみたい。 そこで、おじさんを2人看取ることになった田舎の貧乏農家の長男の俺がどうやって費用を抑えたか書こうと思う。 こちらの方が、比較的やりやすいのではないかなと思う。 具体的に書かないと意味が無いので具体的に書く。表ブログの読者の方は誰だかわかるかもしれないけど、できたら黙っていてくれるとうれしい。 前提条件親父は8人兄弟で、そのうち3人は田舎にいるが、残りは都会に出て行った。 そのうち1人は早々になくなり、もう一人は癌で死亡、

    DIY葬儀は無理、と言うあなたに、お寺に相談や、行政の規格葬儀の勧め
    tohima
    tohima 2016/04/03
    勉強になる、いつになるかはわからないけど、必ず来るんだよなあ
  • 「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ

    すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日人なら「日死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日人なら「日死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日人なら「日死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう? 

    「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ
    tohima
    tohima 2016/04/03
    「死ね」という言葉に反応している人は保育園事情にばかり目がいってて、書いてる人の現状にあまり関心がなさそうな気がする。