自分は自分である、これは間違いない。 だが、 社会における自分はどこにいるのか 、これはまた別の話なのかなと思う今日この頃である。 フラット 心の調律 社会的自我の喪失 環境が大きく変わる人へ フラット 進学や就職、異動や退職などで春から身辺の環境が激変する人は多かろうと思う。落ち着くまではそわそわするし、 思考が上手く働かずに気を揉む人 もおられようかと存ずる。 かくいう僕も春から環境が激変。長い休みが明けて職場へ復帰したわけであるが、落ち着かないわけではない。自分は自分であるし、それが揺らぐことはなかった。しかし、 以前よりも明らかに変化している内面を知る。 友人曰く 「炎が見えない」 という。燃え上がるような、活動的な力が僕には感じられないのだとか。去年の春と比較しての話だ。これは身に覚えがある、というか自分でも自覚しているところ。 フラットである、ただただフラット。 抑揚がない。何