能面の種類は、現在では250以上あると言われているが、能面に関する最古の史料である『申楽談儀』(1430年)に記されている面の名称はわずか14種ほどにすぎず、その中に「般若」の名は見られない[7][8]。ただし『申楽談儀』には、能『葵上』の上演について記録されており、般若のような蛇系の鬼女面が使用されていた可能性もある[9] 。 面の種類の分化が進んだのは16世紀に入ってからとみられ、1580年代から1610年代頃に能役者として活動した下間仲孝の著作には「般若」の名が登場する[10] [11]。 般若面の由来にまつわる代表的な説は「般若坊という僧侶が創作したため」というものであるが、能楽研究者の野上豊一郎はこの説を否定している[12] 。野上によれば、般若坊は概ね文明年間(1469年-1487年)頃の人物と思われるが、現代に伝わる般若面の中には、般若坊より前の時代の面打ち師(赤鶴、龍右衛門