沖縄戦の時に沖縄島を守っていた海軍司令官の大田実中将は、司令部壕で自決する前に「沖縄県民、かく戦えり」とする訣別電報を海軍次官宛に打った。そこには“軍は戦いに専念し県民のことを顧みる余裕がなかったのに、県民は軍の召集に進んで応募し戦ってくれた”と沖縄県民への感謝の言葉がある。そして、“沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして、草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている”と絶望的状況を報告し、訣別電報の一番最後で「沖縄県民はよく戦った。沖縄県民に対し、後世に特別の配慮を願う」と締めくくっている。それから64年。沖縄には75%の米軍基地が集中し、米軍機の墜落や騒音、米兵の暴行事件に悩まされ続けている。大田中将の遺言となった“県民には後世に特別の配慮を”という願いは実現しただろうか? 米軍が沖縄戦で使用した銃弾は約300万発というとんでもないもの。沖縄は地形が変わるほどの激しい艦砲射撃(鉄の