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ブックマーク / number.bunshun.jp (15)

  • 〈秀岳館だけではない高校サッカー強豪校と抑圧問題〉“監督の独裁”から選手主体になったチームは何をどう変革したのか(加部究)

    秀岳館高校の件で再び暗い影を落とす「部活における暴力・抑圧」問題。これについて長年現場を取材しているサッカーライターが、高校サッカー取材を通して得た知見を配信します(#1、#2も)。 中学生の進路選択のために、高校サッカー部OBから情報を集めて公開している「Foot luck」というWEBサイトがある。秀岳館高校卒業生の口コミは1名のみだが、それでも十分に同校の事情は伝わって来る。 「パワハラというか、指導者が偉そうにして選手に恐怖心を与えています。のびのびとサッカーを楽しめませんでした」 後進へのメッセージは次の通りだ。 「寮での生活や学校は、色々ひどいです。同じ熊なら他の学校でサッカーをする方が最終的には幸せかと思います」 上意下達で染まった部活の環境は、どこも似ている。ある選手権優勝経験校で、Jアカデミーから入学した選手がその後の日常生活にも支障をきたす酷い故障に苛まれ退学したケー

    〈秀岳館だけではない高校サッカー強豪校と抑圧問題〉“監督の独裁”から選手主体になったチームは何をどう変革したのか(加部究)
  • 多摩川クラシコ伝説の殴り合い。中村憲剛も呆然、FC東京の大逆襲。(飯尾篤史)

    「令和」の世の中で、Jリーグは相変わらず熱戦の連続である。ただ時代は変わっても「平成」の語り継ぎたい伝説も数多い。そんな記憶に残る名勝負を北條聡氏と飯尾篤史氏の2人に回顧してもらった。今回は2006年J1第30節、FC東京vs.川崎フロンターレだ。 スタジアムには魔物が棲んでいる――。 使い古された言い方だが、そう表現するしかないような試合だった。少なくとも、敵地に乗り込んだ川崎フロンターレのチーム関係者、サポーターはそう感じたことだろう。あの日、雨に濡れた味の素スタジアムには、たしかに魔物がいた、と。 翌年から「多摩川クラシコ」と冠されることになるこのカード。当時、「川崎山脈」と呼ばれた長身3バックを束ねていた寺田周平はのちに、最も印象に残るFC東京戦として、このゲームを挙げている。 「味スタが異様な雰囲気に包まれて、FC東京の勢いを止められなくなった。あの試合は当にショックでした」

    多摩川クラシコ伝説の殴り合い。中村憲剛も呆然、FC東京の大逆襲。(飯尾篤史)
  • 「俺は走れるようになったんだ!」新潟・早川史哉、白血病との戦い。(安藤隆人)

    2018年2月21日。アルビレックス新潟の選手達がキャンプで静岡に滞在している頃、新潟駅に降り立った。午前中は晴れていたそうだが、お昼過ぎから一気に雪が降り出し、到着した頃には新潟駅前は吹雪のようになっていた。 1台の車が目の前に止まり、その窓が開いた。ひとりの若者が笑顔で「こんにちは」と迎えてくれた。挨拶をして、車の助手席に乗り込むと、そのまま市内の事処へと向かうこととなった。 店の個室に案内されると、新潟の新鮮な魚や野菜の皿、名物の米を盛った椀などがずらりと並んだ卓を前に、ゆっくりと話が始まった。 「久しぶりですね。こうやってゆっくり話せる機会ができて嬉しいです」 そこには変わらない笑顔があった。 目の前で、1人の男が「希望」に向かってゆっくりと走り出そうとしていた――。 U-17W杯ではベスト8の原動力に。 アルビレックス新潟所属の早川史哉。 一昨年の4月に急性白血病と診断されたこ

    「俺は走れるようになったんだ!」新潟・早川史哉、白血病との戦い。(安藤隆人)
  • 石川直宏が引退直前に佐藤由紀彦と。「最後は自分らしく」「ナオのスタイルを」(馬場康平)

    FC東京のバンディエラ、石川直宏は、2017年12月2日、3日を最後にユニフォームを脱ぐ決断をした。 相手がFC東京でともにプリンスと呼ばれた佐藤由紀彦だからこそ、そして引退を目前に控えた今だからこそ話しておきたいことが、彼にはあった。 前編は『石川直宏と佐藤由紀彦が今語ること。出会い、FC東京愛、そして引退――。』です。 ――さて、2人が現役引退を意識したのは、どんなタイミングでしたか? 佐藤「ナオとも話すんですが、あまり考えていなかったんです。ピッチに入ったらいつも火が点くタイプだったので。最後の週も同じテンションでやっていましたし、意識することはなかったですね」 石川「俺の場合は、ユキさんのようにずっとみんなと練習できていたわけじゃない。離脱せずに積み重ねていって最終節を迎えることが理想。リハビリを乗り越えて今、ようやくそこに向けた準備を重ねられるようになってきた。引退を決意してそれ

    石川直宏が引退直前に佐藤由紀彦と。「最後は自分らしく」「ナオのスタイルを」(馬場康平)
  • 石川直宏と佐藤由紀彦が今語ること。出会い、FC東京愛、そして引退――。(馬場康平)

    現在のJリーグを見渡しても、FC東京にとっての石川直宏ほど「バンディエラ」という言葉が似合う選手がどれほどいるだろうか。 ゴツゴツした質感で、同じ匂いのする2人は、かつて同じ青赤のユニホームに袖を通し、1つのポジションを争った。 石川直宏と佐藤由紀彦。2002年に交錯したユキヒコの想いは、ナオによって今に受け継がれた。そのナオは、12月2日のJ1最終節G大阪戦(味スタ)と、翌3日のJ3最終節C大阪戦(駒沢)を最後に、今季限りでユニホームを脱ぐ。 その試合を前に、バトンをつないだプリンスと呼ばれた2人に、「実はあの時って?」、「FC東京らしさって?」、「そしてこれからは?」と、ちょっと癖の強い話を聞いてみた。 ――かつて2002年に1年間だけ2人は同じFC東京でプレーしていました。その当時は、お互いのことをどう思っていましたか? 石川直宏「当時のFC東京と言えば、アマラオとユキさんだった。自

    石川直宏と佐藤由紀彦が今語ること。出会い、FC東京愛、そして引退――。(馬場康平)
  • 日本バスケはアルゼンチンに学べ。技術委員長が語る新監督と強化策。(ミムラユウスケ)

    今年7月から、バスケットボール日本代表はアルゼンチン人のフリオ・ラマス氏をヘッドコーチに迎えて新たなスタートを切る。同氏は2012年のロンドン五輪でアルゼンチン代表をベスト4に導いた指揮官だ。 一連の交渉にあたってきたのが、日バスケットボール協会の技術委員長を務める東野智弥だ。2011年に早稲田大の大学院で「男子アルゼンチンバスケットボールの強化・育成に関する研究」という修士論文を書くなど、世界のバスケ事情にも常にアンテナを張ってきた。 そんな彼がアルゼンチン人指揮官を招き入れたのは何故か。現時点では東京五輪の出場権を得られていない日本代表。その強化のために、どんなことを考えているのか。東野の考えるマスタープランを聞いた。 アルゼンチンは国民平均身長が日と同じくらい。 ――アルゼンチンに興味をもったきっかけは? 「日のバスケットが強くなれば、メジャーになればいいな、と私はずっと思って

    日本バスケはアルゼンチンに学べ。技術委員長が語る新監督と強化策。(ミムラユウスケ)
    toshibou8412
    toshibou8412 2017/06/25
    代表監督がコロコロ変わってる某氷球連盟の関係者は熟読すべし
  • 守備戦術が発達した高校サッカー界。ストライカー不足の理由は何なのか?(安藤隆人)

    ひと言で言うと、ストライカー不足の大会だった。 市立船橋、桐光学園、東福岡がいい例で、「絶対的なストライカーがいれば……」と危惧されていたチームが、結局ベスト4までたどり着けなかったからだ。 この3チームに共通しているのが、シーズンの最後まで、前線に君臨する絶対的な存在が生まれなかったことである。 市立船橋は3人のFWが、東福岡は2人のFWが、最後までチーム内でしのぎを削っていたが、その競争は絶対的な選手が不在なことの裏返しだった。桐光学園は期待していたストライカーが伸びきれず、来はサイドハーフの2人がツートップを組む事態となっていた。 現在、高校サッカー界、いやユース年代のチームにおいて、守備戦術は必要不可欠な要素となっている。もはや攻め続けることが勝つ定法だとするチームは少数で、どのチームも「きっちり守った上で、攻める時は攻める」という攻守の切り替えを重視したコンセプトを持っている。

    守備戦術が発達した高校サッカー界。ストライカー不足の理由は何なのか?(安藤隆人)
  • 「野球部」という閉鎖的な成長環境。ある祝勝会で考えた“大人の責任”。(安倍昌彦)

    野球界の12月、1月はなにかと会合が多い。 優勝したチームの祝勝会もあれば、長く指導者として活躍したのち勇退する“大御所”の送別会もあり、やはりシーズンオフだけに、プロ・アマチュアを問わず選手の結婚式もあちらこちらで行なわれる。 先日、あるお祝いの会に出席した時のこと。 型どおり主賓、来賓の祝辞が終わり、おめでたく「カンパーイ!」のコールも盛大に、「それでは、しばし、ご歓談を……」となったところで、会場に詰め掛けていた選手たちが、いっせいにテーブルに並べられたパーティ料理に群がった。 たくましい体格の学生服姿が、料理を覆い隠すようにテーブルの周りを埋め尽くしている。祝福に訪れたお客さんたちは、その様子を遠くから眺めて苦笑するばかりだ。 「おいおい、それは違うだろ……」 私のうしろのほうからそんな声が聞こえた。もっともだと思った。 それは“逆”だろうと思ったのだ。 祝勝会は彼らが勝ち取ったも

    「野球部」という閉鎖的な成長環境。ある祝勝会で考えた“大人の責任”。(安倍昌彦)
    toshibou8412
    toshibou8412 2016/01/03
    名門校でもそういう教育が出来ていないという現実。こうして“野球ロボット”が大量生産されていくんだな
  • 夏の甲子園、投打の傾向を徹底分析。1番打者のスタイルはなぜ変わった!?(小関順二)

    3回戦の神村学園(鹿児島)戦。試合開始のサイレンが鳴り響く中、140kmのストレートを叩いて先頭打者ホームランを放った光星学院の天久翔斗。試合前、「プレーボール塁打を打ちたい。積極的に振る」と話していた。 今大会、通算56塁打は'06年の60に次ぐ、歴代2位の多さだった。その原因は大会中盤から後半にかけて強く吹いた浜風、さらに各打者の早いカウントから打って行く積極的なバッティングによるところが大きいが、よりシンプルに考えれば打者の実力が投手を上回ったということだろう。大会通算打率.270に対して大会通算防御率は3.45。明らかに打者が打ち勝った現実が見えてくる。 「早いカウントから打って行く」という部分に光を当てると、ファーストストライクを打ってホームランにしている回数は2011年の10回(全塁打の37パーセント)にくらべ、今大会は30回(54パーセント)に増え、“好球必打”の思想

    夏の甲子園、投打の傾向を徹底分析。1番打者のスタイルはなぜ変わった!?(小関順二)
  • ダルビッシュの発言を真摯に聞け!WBC参加問題の元凶を考える――。 (菊地慶剛)

    ツイッターでの発言がしばしば注目を浴びている、ダルビッシュ有投手。メジャーに行って気がついたこと、日球界への疑問など率直な思いを吐露している。 「WBCの結果を知らない選手も多いし米国、ドミニカ、ベネズエラはベストメンバーが出てないから(日のWBC連覇は)何とも思われてません。これが現実」 この意味深な発言を誰がしたのかご存知の方も多いのではないだろうか。 MLBオールスター戦出場に際しての記者会見で、日プロ野球界に対し「野球がまったく伸びていない(進歩していない)」と発言するなど様々な反響を呼んでいる、ダルビッシュ有投手のツイッターでの発言の一つだ。 この言葉を耳にして、多少の反感を覚えたり、辛辣すぎなのでは、と感じたりした人もいるだろう。 しかし、ダルビッシュはようやくWBCの真実を現場の立場から証言してくれた最初の人物なのだ。そしてこの言葉の裏には現在、WBCの出場問題で揺れて

    ダルビッシュの発言を真摯に聞け!WBC参加問題の元凶を考える――。 (菊地慶剛)
  • <Number800号特別企画・地域に生きる> 王子イーグルス 「創部86年の老舗クラブと苫小牧」(小堀隆司)

    創部以来ずっと王者として君臨し続ける王子製紙アイスホッケー部、 イーグルス。他のアイスホッケー部の廃部が相次ぐなか、 イーグルスが氷都苫小牧を舞台に戦いつづける理由は何なのか――。 企業スポーツとして、「地域とともに生きる」ことの重要性を見つめる。 アイスホッケーは、王子製紙の社技である。 試合後のロッカールームで、また盛り上がる祝勝会場で、王子のホッケーマンたちはある歌をうたい継いできた。 作詞はあの北原白秋。「苫小牧工場歌」は木材豊かな北の自然を詠い、製紙業の繁栄を称えて曲を閉じる。 懐かしいね、と桝川順司が口をひらく。元王子イーグルスの選手にして常勝チームの監督も務めた、チームの生き字引的存在だ。現在は、氷都苫小牧の象徴である白鳥アリーナの一角に机を持ち、スケート文化の普及に心を砕いている。 こんな質問をぶつけるには、最適の人物だろう。近年、アイスホッケー部の廃部が相次ぐなか、王子イ

    <Number800号特別企画・地域に生きる> 王子イーグルス 「創部86年の老舗クラブと苫小牧」(小堀隆司)
    toshibou8412
    toshibou8412 2012/04/09
    >西田さん『創部以来ずっと王者として君臨しているのは王子のアイスホッケー部と早稲田の野球部だけ』この言葉がすべてを物語る
  • ヤクルトの秘密。~小川監督が受け継ぐ系譜とは?~(小川勝)

    シーズン終盤には主力選手の離脱が相次ぎ、中日に逆転優勝を許したが、正式就任初年度でチームを2位まで引き上げた小川淳司監督 今年のヤクルトは興味深いチームだった。日シリーズには行けなかったが、クライマックスシリーズでは中日からも2勝を挙げた。負けた試合も2試合は1点差だったから、よく戦ったと言っていいだろう。 レギュラーシーズンの総得点が484点、総失点が504点。得失点差はマイナス18点だが、それでもチームは70勝59敗15分、貯金11だった。得失点差がマイナスでAクラスに入ったチームは、最近10年間で9チーム目。得失点差マイナスで2位というのは3チーム目になる。 失点の方が多くても勝ち越しているのは、勝つ時は接戦が多く、負ける時は大差で負けることが多いことを意味している。これはだいたいにおいて、戦力はそれほどそろっていないチームが、うまくマネージメントされた結果である。つまり、小川淳司

    ヤクルトの秘密。~小川監督が受け継ぐ系譜とは?~(小川勝)
  • プロで活躍したいなら“東都”!?甲子園のヒーローはどこへ行く。(中村計)

    第93回全国高校野球選手権で優勝した日大三のエース・吉永健太朗は早大への進学が決定している。「プロ志望届は出しません。進学して4年間しっかりやって即戦力でプロに行きます」 2年前の話だ。 「プロ野球選手になりたいのなら、東都(大学野球リーグ)の方がいい」 ある甲子園常連校の監督は、プロ注目の選手だった教え子にそうアドバイスを送った。 だが、結局、その選手は東京六大学野球リーグへの憧れを捨て切れずに、六大学に所属する名門チームを選んだ。 よく聞く話ではある。 人気の六大学、実力の東都――。 大学球界の双璧を成す六大学と東都には、一昔前までのセ・リーグとパ・リーグのような構図が今も存在する。 親や人からしてみれば、プロに進めなかった場合も考え、早大や慶大をはじめとした知名度の高い大学が集まる六大学に惹かれるのは当然のことである。また、両リーグともに神宮球場を使用しているのだが、土日を優先的に

    プロで活躍したいなら“東都”!?甲子園のヒーローはどこへ行く。(中村計)
  • ロッテのスター、サブロー移籍の何故?ファンの怒りと嘆きの声を聞け!(村瀬秀信)

    7月1日に東京ドームで行われた中日戦で、移籍後初打席初塁打を放ったサブロー改め大村三郎。「打席に入ったときにファンの方からの大歓声があってありがたかった」と試合後にコメントしている 第一報を聞いてひっくり返った。 横浜が再獲得したランドルフが1試合も投げずに解雇されたニュースではない。 6月29日、ロッテのサブローと巨人工藤+金銭のトレードの件である。 報道によると、「“低迷する打線のテコ入れを目指す巨人”と“俊足の外野手を求めていたロッテ”の思惑が一致」とのことだったが、こんな理由は、明らかにうわべだけのとってつけた理由であることは誰が見たって明らか。ロッテの大ヒット商品である「ビックリマン」でいえば、“ヘッドシール”と“お守りシール+ウエハース5枚”との交換ぐらいのものであり、プロ野球チップスカードにしたって、こんな取引きは小学生だって成立しないことはわかる。 トレード相手の工藤どう

    ロッテのスター、サブロー移籍の何故?ファンの怒りと嘆きの声を聞け!(村瀬秀信)
  • 日本一恐ろしい「神宮のヤジ」が、混戦セ・リーグのカギを握るって……。(村瀬秀信)

    「やる気あんのかコラー!」 「てめぇらプロじゃねぇ、辞めちまえ!」 その日のスタンドからの野次はいつになく強烈だった。 8月27日のヤクルト戦。阪神が混戦のセ・リーグから抜け出すためには是が非でも取りたい3連戦の初戦だった。レフトから3塁側までのスタンド一帯は、例によって気合い十分の阪神ファンが集結し、強烈な声援を送ったが、試合の方は館山に完封負け。いいところなく0-6で敗れ去った。 試合終了後。ベンチからクラブハウスへ戻る三塁側内野席の目の前を敗軍の行進がはじまる。フェンス一枚隔てた先からは、名前を呼んで奮起を促す有難い声に交じり、容赦のない罵声がダイレクトに選手を襲う。その距離わずか1~3m。聞こえているのか、いないのか。ある者は俯きながら、またある者は記者と話しながら、気まずい空気の中を平静を装った風で足早に去っていく。 あるセ・リーグの選手は言う。 「この道はどこよりもお客さんとの

    日本一恐ろしい「神宮のヤジ」が、混戦セ・リーグのカギを握るって……。(村瀬秀信)
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