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2014年7月23日のブックマーク (5件)

  • pecoがぼちぼち成功した3つの理由 : D-7 <altijd in beweging>

    さきほどちょろっとアップデートが入ったpeco v0.2.2をリリースしました(Changeログ)。 で、ついでに昨日mattnさんがpecoについてツイートしてたので流れてしまう前にまとめておく mattn@mattn_jppeco、便利だしとても完成度高いんだけど、客観的に見るとあのプロジェクトがあれだけ流行ったのには理由があると思ってる。 2014/07/22 23:17:31 mattn@mattn_jpまず、Windows をネイティブサポートしたこと。少数ユーザの様で意外と多い。Windows だけ一部機能が欠けてるという事もない。 2014/07/22 23:22:00mattn@mattn_jp次に人気が出る中、手を止めなかったこと。停滞するとユーザも飽きる。 2014/07/22 23:25:44mattn@mattn_jpそして丁寧な README とアニメーションgi

    pecoがぼちぼち成功した3つの理由 : D-7 <altijd in beweging>
    toshiwo
    toshiwo 2014/07/23
    あとmacのhomebrew出来(て)たのも個人的によかったと思う。今はそっちからインストールしてる
  • ASCII.jp:データ消失!あのとき、ファーストサーバになにが起こったか? (1/2)|データ消失事故から2年!ファーストサーバ、再生への第一歩

    今から2年前の2012年の6月20日、レンタルサーバー会社のファーストサーバは、大規模な顧客データの消失事故を引き起こした。あのときなにが起こったか? ファーストサーバのさまざまな部門の担当に、当時の状態を振り返ってもらった。 ファーストサーバは今も変わらずビジネスを展開している ファーストサーバの顧客データ消失事故に関するドキュメンタリーを書きたいと思った。事故の原因究明や責任の所在を明らかにするのではなく、当事者の話を積み上げていくような記事が書きたいと思った。 そして、今回ファーストサーバの全面的な協力により、事故当時から現場を統率してきた現代表取締役社長の村竹昌人氏をはじめ、営業、開発、運用、マーケティング、広報、サポート、管理など各部門の担当者に話を聞くことができた(以下、敬称略・役職は現職)。 事故から2年間の間、ファーストサーバはひたすら事故の影響を受けたユーザーへの対応と再

    ASCII.jp:データ消失!あのとき、ファーストサーバになにが起こったか? (1/2)|データ消失事故から2年!ファーストサーバ、再生への第一歩
    toshiwo
    toshiwo 2014/07/23
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    toshiwo
    toshiwo 2014/07/23
    なにこれw
  • 将棋電王戦リベンジマッチ・菅井竜也五段 vs 習甦を見た

    ニコ生で、将棋電王戦リベンジマッチ・菅井竜也五段 vs 習甦を見た。 場所は千駄ヶ谷の東京将棋会館、地下の一室。 対局開始である13時よりもずいぶんと早い、12時15分過ぎには対局室に入り、正座のまま目を閉じて精神を整える菅井。 表情は「こんな張り詰め方では、とてもこの先十数時間も持たないのでは」と思えるような厳しいもの。 封じ手なし(=中断なし)で双方持ち時間8時間という、無謀とも思える対局条件で始まったこの将棋は、13時の開始から17時、22時、3時、7時に計4回、1時間ずつの休憩が設けられている。 昼休憩や夕休憩ならいざ知らず、「早朝休憩」や「朝休憩」などという言葉を目にしたのは初めてだ。 序盤、持ち時間8時間とは思えないハイペースで指し続けた菅井は、しかし習甦の74手目△1二玉を見て大長考に沈む。 攻め合いの中、一見脈絡もないようなタイミングでスッと自分の王様を逃がす、人間に

    将棋電王戦リベンジマッチ・菅井竜也五段 vs 習甦を見た
    toshiwo
    toshiwo 2014/07/23
  • ドワンゴでゲームの仕事をする:伊予柑ブロマガ - ブロマガ

    ずっとずっと、ゲームが作りたかった。 小学校6年生のころ紙とサイコロであそぶ「TRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)」に出会ったときは、熱狂した。休み時間に友達3人と教室の隅っこでゲームに興じた。ゲームマスターというシナリオをつくりゲームをコントロールする立場として遊んだが、いずれゲームシステムそのものを制作することに夢中になった。しかしオリジナルシステムは、友達すら遊んでくれなかった。 高校時代パソコンを手に入れ、ゲーム制作を開始した。当時はノベル制作の汎用ツールが出始めており、プログラムができない俺はそうしたツールを使って二次創作ゲームを作ってサイトに公開した。PS「東京魔人学園」の二次創作で、コミケでも頒布した。フロッピーで、値段は150円だ。持ち込んだ20枚が完売した。その後もノベルゲームを作ったが、オリジナル作品は根気が続かず完成しなかった。 大学にはいるとプログラム

    ドワンゴでゲームの仕事をする:伊予柑ブロマガ - ブロマガ
    toshiwo
    toshiwo 2014/07/23