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sociologyとatodeyomuに関するtsfmysdのブックマーク (8)

  • シュッツと生活世界の自明性 : 池田信夫 blog

    2013年12月28日10:58 カテゴリ科学/文化 シュッツと生活世界の自明性 山内志朗氏はなぜか飛ばしているが、「存在の一義性」についてとことん考えた哲学者は、フッサールである。彼は初期には存在の自明性を「括弧に入れる」手法として現象学的還元を考えたが、晩年には逆に自明性を説明する概念として生活世界を考えた。彼がその後継者と考えていたのがシュッツである。 シュッツの出発点はウェーバーで、彼の社会学が認識論的にはお粗末な新カント派にもとづいているのを現象学で厳密に基礎づけようということだったが、次第に独自の現象学理論を構築するに至る。その全貌は、主著"Structures of the Life-World"を読まないとわからないが、書は社会学者でもわかる論文集である。ウェーバーの宗教社会学の鍵になっているのは「他者理解」である。異なる宗教に出会うとき、研究者はそれを理解不能な「呪術」

    シュッツと生活世界の自明性 : 池田信夫 blog
  • 朝日出版社第二編集部ブログ | 岸政彦「断片的なものの社会学」第1回 イントロダクション

    ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部) もう十年以上前にもなるだろうか、ある夜遅く、テレビのニュース番組に、天野祐吉が出ていた。キャスターは筑紫哲也だったように思う。イランだかイラクだかの話をしていて、筑紫が「そこでけが人が」と言ったとき、天野が小声で「毛蟹?」と言った。筑紫は「いえ、けが人です」と答え、ああそう、という感じで、そのまま話は進んでいった。 私は社会学というものを仕事にしている。特に、人びとに直接お会いして、ひとりひとりのお話を聞く、というやり方で、その仕事をしている。主なフィールドは

    朝日出版社第二編集部ブログ | 岸政彦「断片的なものの社会学」第1回 イントロダクション
  • 社会学を志望しようかなと思っている大学受験生のために(2011年度版) - shinichiroinaba's blog

    今年も模擬講義の季節がやってまいりました。 とりあえず埼玉県立越谷北高校の皆さん、お約束のバージョンアップ版です。 再来週は都立三田高校に参ります。 ========================== 社会学は経済学政治学と並んで「社会科学」の仲間とされていますが、日の大学では大体社会学科は(もちろん、社会学部のないところでは、ですが国公立大学にはほとんど社会学部はありません)文学部に配置されています。なぜこうなっているのかといえば、社会学部は他の社会科学と比べて「主観」、人間の主観的な意識、心をその焦点とするからです。 経済学をはじめとして他の社会科学は「客観」的現実に照準を合わせますが、社会学はこれを無視するわけではないにせよ、人間がそうした「客観」的現実をどう「主観」的に経験し、その経験から「客観」的現実にはたらきかけていくか、を主題とします。その意味で人間の「主観」に照準する

  • 永井暁子「若者は、なぜ結婚しないのか」[pdf]

    特別 寄 稿 若者は、なぜ結婚しないのか 永井 暁子(ながい あきこ) 日女子大学 人間社会学部 准教授 ■略歴 1991 年 研究テーマは夫婦間の家事分担・夫婦関係などの家族 北海道大学大学院文学研究科修士課程 研究、家計問題研究、家族政策の国際比較研究 等 修了 ■主な著書 1993 年 東京都立大学大学院社会科学研究科博 「友だちの存在と家族の期待」 (玄田有史編『希望学』 士課程満期退学 中公新書ラクレ 2006 年) 、 「対等な夫婦は幸せか」 (永 1996 年 財団法人家計経済研究所専任研究員 井暁子・松田茂樹編『対等な夫婦は幸せか』 勁草書 2005 年 東京大学社会科学研究所助教授 房 2007 年)「男性の家事参加を進めるために」 、 (佐 2007 年 日女子大学人間社会学部社会福祉学 藤博樹・(財)連合総合生活開発研究所編『バランスの 科准教授 とれた働き

    tsfmysd
    tsfmysd 2011/10/31
    永井暁子「若者は、なぜ結婚しないのか」
  • 痴漢をみたら、分析せずに、一声かけよう! - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    Twitterで、痴漢を目撃した社会学者のツイートが話題になっている。 社会学研究者だけど初めて痴漢に遭遇したのでいろいろ考えてみた http://togetter.com/li/202503 社会学者の@ymmthrkさんは、電車内で痴漢を目撃しその体験を書きながら、被害者の心理を分析すると同時に、傍観者が声をかけられない状況があることを書いている。それに対して、「傍観者として分析するばかりで、声をかけなかったことを正当化する態度である」という批判が起こった。 私は、痴漢を目撃して、即座に動けないことはあると思う。しかし、@ymmthrkが傍観者である以上に、自身を社会学者としてアイデンティファイし、「その場で見て見ぬふりをすること」と「観察者としての立場を得て、自らを免罪しようとすること」とをすりかえたという批判は避けられないように思う。そう思うのは、@ymmthrkさんが次のようにツ

    痴漢をみたら、分析せずに、一声かけよう! - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    tsfmysd
    tsfmysd 2011/10/24
    痴漢に間違えられて、友だちになったことのある俺参上。
  • 盛山和夫著『社会学とは何か』を批判的に読む | Theoretical Sociology

    社会学とは何か―意味世界への探究 (叢書・現代社会学) 社会学とは何か―意味世界への...の他のレビューをみる» 盛山 和夫 ミネルヴァ書房 ¥ 2,940 (2011-02) 書は盛山社会学の到達点を初学者向けにわかりやすく説いたもので、専門書というよりは入門書である。以下はこの書評を書くためのメモである。 痛快・伝奇的剣豪小説? 私は書を読んで山田風太郎の『魔界転生』を思い出した。『魔界転生』とは、主人公である柳生十兵衛が、魔界から魔人として蘇った宮武蔵、荒木又右衛門ら名だたる剣豪たちと対決し、勝利する物語である。盛山は書の中で、G. ジンメル、G. H. ミード、M. ヴェーバー、T. パーソンズ、N. ルーマン、J.S. コールマン、といった古典的な社会学者たちを鬼籍からよみがえらせたうえで次々に対決し、鮮やかに切り捨てていく。そのような一風変わった剣豪小説を楽しみたい

    盛山和夫著『社会学とは何か』を批判的に読む | Theoretical Sociology
  • 自分勝手な日本人と協調的なアメリカ人 | 橘玲 公式サイト

    「日の親はなぜ子どもに甘いのか?」で、日人とアメリカ人の「確信度」の違いについての研究を紹介しましたが、近年の社会学や経済学では、国民性や文化によるエートス(行動や考え方)の差をアンケート調査や実験によって明らかにする試みが盛んに行なわれています。 こうした研究と、従来の日人論に見られる「個人的な体験からの感想」のいちばんの違いは、科学的な反証可能性が保証されていることです。たとえばある実験によって国民性についての仮説が提示されたとしても、別の実験によって第三者がその仮説を反証することができるのです。 こうした研究は、往々にして私たちの直感や常識と異なる結論を導くことがあります。その格好の例として、『残酷な世界~』から、日人とアメリカ人の協調性についての実験を紹介した部分を転載します。 *                   *                   *      

    自分勝手な日本人と協調的なアメリカ人 | 橘玲 公式サイト
  • G2|ポスト1991|ポスト1991〈ポスト1991〉

    古市憲寿 Noritoshi Furuichi 東京大学大学院総合文化研究科博士課程 1985年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究者(上席)。有限会社ゼント執行役。専攻は社会学。大学院で若者とコミュニティについての研究を進める傍ら、コンサルティング会社でマーケティング、IT戦略立案等に関わる

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