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旧植民地に関するtsysobaのブックマーク (151)

  • (第14回)大日本帝国の崩壊と海外引揚(2)(加藤聖文) | Web日本評論

    の近代・現代とはどのようなものだったのでしょうか。 私たちが今、日々ニュースで接する日の社会状況や外交政策を、そのような歴史的視点で捉えると、いろいろなものが見えてきます。 この連載では、「日」と東アジア諸国との関係を中心に、各時代の象徴的な事件などを取り上げ、さまざまな資料の分析はもちろん、過去の事実を多面的に捉えようとする歴史研究の蓄積をふまえて解説していただきます。 現在の日を作り上げた日の近現代史を、もう一度おさらいしてみませんか。 (毎月下旬更新予定)

    (第14回)大日本帝国の崩壊と海外引揚(2)(加藤聖文) | Web日本評論
    tsysoba
    tsysoba 2022/10/01
    どこの勢力圏下にあったかで、「引揚」の経緯は様々に異なることがよく分かる。
  • 『崩壊と復興の時代 戦後満洲日本人日記集』はじめに – WEB『東方』

    崩壊と復興の時代 戦後満洲日人日記集 「満洲の記憶」研究会叢書 第2集 佐藤仁史・菅野智博・大石茜・湯川真樹江・森巧・甲賀真広編著 出版社:東方書店 出版年:2022年7月刊 価格:7,700円978-4-497-22208-4 「はじめに」より(注は省略) 2、「満洲の記憶」研究会による翻刻・整理 書に収録された4種の日記は、「満洲の記憶」研究会の活動の中で発見・整理されたものである。日記史料が引揚史研究にもつ意義については次節で取り上げるので、以下では研究会の活動の中でどのようにこれらと巡り合うに至ったのかを紹介する。研究会の歩みや重点を置く活動内容の変遷は書刊行に至った経緯と密接に関連している。 2013年7月に結成された研究会では当初、様々な引揚者団体や各種同窓会の事務局をはじめとする関係者と接触し、団体の運営の状況などを伺いつつ、ライフ・ヒストリー調査の対象を探すことに重点

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    tsysoba 2022/07/21
    これは大変な仕事ではないかと。
  • 東京)旧満州の朝鮮人移民の歴史たどる:朝日新聞デジタル

    戦前や戦中に朝鮮半島から旧満州に渡り、戦後は中国東北地方で朝鮮族として暮らしてきた人々を撮り、歴史をたどった写真集「『満洲』に渡った朝鮮人たち」(世織書房)が今月出版された。記念の写真展「李光平写真展 植民地朝鮮から『満洲』へ渡った朝鮮人移民」が26日から7月7日まで、新宿区大久保の高麗博物館で開かれる。 李光平(リグァンピョン)さん(74)の両親と祖父は1939年、日による植民地支配下の朝鮮半島北部・咸鏡北道(ハムギョンブクド)から旧満州の龍井(現中国吉林省龍井市)に移住。李さんは99年から朝鮮人集団移住歴史を調べ始めた。翌2000年には地域の文化館長を早期退職して調査に専念。戦前を知る老人約600人に話を聞き、写真を撮った。当初はバイクで移動していたが、04年に転倒事故で頭や腕に大けがをし、車に切り替えた。 戦前、旧満州には日の内地や朝鮮半島南部などから開拓民が送り込まれ、朝鮮人

    東京)旧満州の朝鮮人移民の歴史たどる:朝日新聞デジタル
  • 第4回:「停滞する今」のことを考えていたのではないが、考えていたことにする7月 - 平成30年論 | ジセダイ

    月一回の掲載と言いながら、しばらく滞っていたのは、何かを考えていたのではなく、そういうことが書いてあるとわかっていながら、泥沼であることはわかっているので遠ざけていた、戦時下の陸軍と東宝の映画資料にとうとう手を出して、案の定、深みにはまってしまったからだ。次から次へと調べることが出て来る。まあ、楽しいったらありゃしない。資料の落札で、100万近く久々に使ったし。 資料というのは、戦時下上海で東宝が陸軍の指示で行った文化工作の詳細を、お金の動きまで記録した東宝上層部への報告書を含む戦時下東宝の内部資料だ。それを補完する資料を手に入れて、「体」を持っている持ち主とセットにして資料の全体像が復元できた。この映画会社が当に国策工作機関だったのだと生々しく伝わってくる。 工作の内容はえげつないというか、上海に侵攻した陸軍が偽装中国映画を、東宝を介して制作させた記録だ。公開すると、中国映画として製

    第4回:「停滞する今」のことを考えていたのではないが、考えていたことにする7月 - 平成30年論 | ジセダイ
    tsysoba
    tsysoba 2018/08/10
    前半の「戦時下上海で東宝が陸軍の指示で行った文化工作の詳細」の話の続きがめちゃ気になる。
  • (あのとき・それから)1941年 東洋一の水豊ダム誕生 異民族支配の構造、水俣病に影:朝日新聞デジタル

    (昭和16年) 1941年の日米開戦の直前、情報局発行のプロパガンダ誌「写真週報」は「水豊ダム完工」と伝えた。朝鮮と旧満州の境の鴨緑江(おうりょくこう)を横断する高さ106メートル余、長さ900メートル弱、体積約323万立方メートルの堰堤(えんてい)は当時、東洋一。ダムによって出来た人造湖の面…

    (あのとき・それから)1941年 東洋一の水豊ダム誕生 異民族支配の構造、水俣病に影:朝日新聞デジタル
    tsysoba
    tsysoba 2018/08/02
    組織としての効率性と差別が抜きがたく結びついていた事例。この構造を乗り越えることができるかどうかが、今も問われていると思う。
  • ホーム - 福島県立博物館 Fukushima Museum

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    tsysoba 2018/07/25
    「会津出身の文化人・西川満が愛した台湾、繋いだ日本」が副題。媽祖書房の「台湾の美しい自然や豊かな歴史、文化、風俗に基づいた雑誌」「西川の美意識の結実した装丁を施した私家本」など。見たい。
  • 上海で戦中発行「幻の雑誌」発見 井伏鱒二ら未発表小説:朝日新聞デジタル

    太平洋戦争末期、国際都市だった中国上海で発行された日語雑誌があった。これまで「幻の雑誌」とされてきたが、最近、北京などで実物がみつかり、その内容が明らかになった。小説「黒い雨」で知られる井伏鱒二(いぶせますじ)ら著名作家たちが未発表の小説や随筆を掲載しており、終戦直前の海外での日メディアの実像に迫る発見として注目される。 月刊誌「大陸」中国歴史紹介 みつかった雑誌は、月刊誌「大陸」(B5判48ページ、2色刷り)。国会図書館などの日の公共図書館で所在が確認できなかったが、秦剛(しんごう)・北京外国語大学教授(日近代文学)が昨夏、北京の中国国家図書館で、1944年11月の創刊号から45年5月号まで5冊分をまとめた合(45年3、4月号は欠)を発見。さらに木田隆文・奈良大学准教授(日近代文学)も別のルートで45年3月号を入手し、2人分合わせて計6冊の存在が明らかになった。 秦さんに

    上海で戦中発行「幻の雑誌」発見 井伏鱒二ら未発表小説:朝日新聞デジタル
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    tsysoba 2018/03/26
    「日本大使館調査室資料之印」が表紙にあり。「内容カード記入済」印も気になる。
  • 戦時中の日本の南進論 関連資料が台湾に (2017年5月5日) - エキサイトニュース

    (台北 5日 中央社)国立台湾図書館(新北市)で4月末から始まった特別展で、日統治時代の日政府が残した南方資料が公開されている。 70年以上前に日政府が南進政策を推進したさい、膨大な東南アジアの資料を集めた。 計画的な資料収集の背後には、領土拡大の野心があったが、学者たちはそれでも南方に深く分け入り、多くの資料を収集、科学的な研究の基礎を築いた。 当時日に統治されていた台湾も南方進出の重要拠点で、台湾総督府は1940年に「南方資料館」を成立させた。資料館は戦後には中華民国政府に接収されたが、文献は紆余曲折の後に国立台湾図書館に所蔵されることとなって現在に至る。 同図書館によると、これらの資料は大変に貴重な所蔵品であるため、平素はめったに公開されない。特に1705年に出版されたルンフィウス著「アンボイナ珍品集成」は、オランダ東インド会社による東南アジアの動植物研究の成果をまとめたもの

    戦時中の日本の南進論 関連資料が台湾に (2017年5月5日) - エキサイトニュース
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    tsysoba 2018/03/01
    台湾総督府の南方資料館旧蔵資料とのこと。
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

  • 「内地/外地をまたぐ書籍流通史をめざして」日比嘉高(日本出版学会関西部会 2017.10.21)

    egamiday @egamiday (´-`).。oO(なお、あくまでegamidayさんの聞き取れた・書き取れた・理解できた範囲で、かつ自分なりに丸めてメモしたものであることを、大前提としてご理解ください) #内地外地をまたぐ書籍流通史 2017-10-21 15:49:08 egamiday @egamiday 1907年外地書店数は、「全国書籍商名簿」でわかる。北米32が最多。→「全国書籍業組合員名簿」で、1920年代から40年代へと増加する。台湾より樺太が多いなどのことがわかる。県別ランクで朝鮮は福岡に次いで7位等。 #内地外地をまたぐ書籍流通史 2017-10-21 14:11:27

    「内地/外地をまたぐ書籍流通史をめざして」日比嘉高(日本出版学会関西部会 2017.10.21)
  • SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト

    サービス終了のお知らせ SankeiBizは、2022年12月26日をもちましてサービスを終了させていただきました。長らくのご愛読、誠にありがとうございました。 産経デジタルがお送りする経済ニュースは「iza! 経済ニュース」でお楽しみください。 このページは5秒後に「iza!経済ニュース」(https://www.iza.ne.jp/economy/)に転送されます。 ページが切り替わらない場合は以下のボタンから「iza! 経済ニュース」へ移動をお願いします。 iza! 経済ニュースへ

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  • 中朝国境・丹東の“北朝鮮レストラン”で見た「北の現実」 | 文春オンライン

    お土産物屋の一例、「朝韓百貨」。韓国北朝鮮の国旗が混ざっている場合が多い。 だが、同時に丹東は、「北朝鮮を見る」観光地であり、リバーサイドビューを売りにする高層ホテルが林立している。鴨緑江沿いの遊歩道は夜になるとライトアップされ、カップルが行き交う。丹東はたんに物騒な場所ではない。 思い返せば、中朝国境は、かつて大日帝国の国境でもあった。ふたつの警察国家が隣り合うこの場所は、日とも無縁ではない。薄れつつある陸の国境の記憶とともに、丹東の最新の姿をレポートしたい。 観光地化する中朝友誼橋 中朝国境の要は、鴨緑江に架かる中朝友誼橋である。経済制裁が行われているというが、見たところ、昼夜を問わずにトラックが行き来していた。 この橋は、太平洋戦争中の1943年に日によって架けられた。大日帝国の遺産が、北朝鮮の生命線のひとつになっているのは皮肉だ。 中朝友誼橋のすぐ隣には、1911年にやは

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  • 元満映社員(97)が語る満鉄物語 「自殺した甘粕さんは卑怯」 | AERA dot. (アエラドット)

    岸富美子(きし・ふみこ)満映(満州映画協会)に勤め、戦後は、中国人スタッフへの編集技術伝授にも尽力し、53年に帰国後は独立プロ作品などで活躍した(撮影/編集部・野村昌二この記事の写真をすべて見る 南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」。かつて超特急「あじあ号」が広大な満州の原野を走った。敗戦で満鉄は消滅し、今では多くの関係者が鬼籍に入った。戦後72年。満鉄とは何だったのか。関係者の記憶を集めた。 *  *  * 私が満映(満州映画協会)に入ったのは1939年、19歳のとき。満映に入社していた兄に勧められ、母と一緒に神戸から船で大連まで行き、あじあ号に乗って満映の撮影所があった新京(現・長春)にたどり着きました。 満州国のプロパガンダ映画を作るのが満映に課せられた使命。一番印象に残っている映画は「白蘭の歌」。李香蘭こと山口淑子さんが主演し、私は編集助手。じつは、李香蘭さんは私たちが暮らしていた社宅

    元満映社員(97)が語る満鉄物語 「自殺した甘粕さんは卑怯」 | AERA dot. (アエラドット)
  • 日本統治時代の油絵を修復 台湾・台南の美術館で展示へ - フォーカス台湾

    台南市政府文化局が台南芸術大学(台南市)に委託して実施した、日統治時代に描かれた油絵の修復作業がこのほど完了した。油絵は、現在建設工事が進められている台南市美術館で展示される予定。同美術館は来年7月の竣工を見込んでいる。

    日本統治時代の油絵を修復 台湾・台南の美術館で展示へ - フォーカス台湾
  • Testament to Manchukuo — Harvard Gazette

    Some utopian experiments become parables of idealism gone awry, mythologized for their fascinating collapse. Others fade from memory, ignored or hidden not just because they failed, but because of their inhumane practices. One such example is Manchukuo. Founded in 1932 and promoted as a multi-ethnic and modern Pan-Asian state, Manchukuo — actually a puppet regime controlled by imperial Japan — occ

    Testament to Manchukuo — Harvard Gazette
  • 百田記念ヘイトデモ失敗記念:歴史捏造デマを一通り潰してみた

    百田尚樹のヘイトデマサイン会が行われた札幌で、の題名と似たタイトルのデモが2017年7月29日に企画されましたが、市民の抗議により途中で中止となりました。 ここに載せるのは、そのヘイトデモに参加を呼びかけていたbotアカウントの、コール予定稿の体裁を取ったツィートにつけたリプライです。件のbotツィートが百田デマの内容と一致しているかどうかは確かめる気もありませんが、たぶん大差ないでしょう。 デマツイ対抗に活用いただければ幸いです。

    百田記念ヘイトデモ失敗記念:歴史捏造デマを一通り潰してみた
  • 愛新覚羅溥傑家ゆかりの品展示 次女の寄贈品 関学大博物館

    会場で溥傑の書「宿愛女家詠即興」に目をやる福永●生さん=西宮市上ケ原一番町 ●=女へんに雨、その下に誇のつくりで大を取る 「ラストエンペラー」として知られる中国・清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)(1906〜67年)の弟の溥傑(ふけつ)(1907〜94年)とその家族の足跡をたどる展覧会「日中のかけはし-愛新覚羅溥傑家の軌跡」が、関西学院大博物館(西宮市上ケ原一番町)で開催されている。溥傑の次女で同市在住の福永●生(こせい)さん(77)からの寄贈品約千点のうち約50点が展示され、一家が日中友好へ懸けた思いが感じ取れる。22日まで。 溥儀を皇帝とする満州国が建国された後、軍人となっていた溥傑は昭和12年、日満親善の象徴として昭和天皇の遠縁にあたる嵯峨浩(ひろ)(1914〜87年)と結婚。3年後には福永さんが生まれた。だが終戦により満州国が消滅すると、溥傑は兄とともにシベリアに

    愛新覚羅溥傑家ゆかりの品展示 次女の寄贈品 関学大博物館
  • 日本統治時代の台湾の都市景観を紹介 日比谷図書文化館で企画展 (2017年1月24日) - エキサイトニュース

    (台北 24日 中央社)日統治時代の台湾の都市景観を紹介する企画展示「日統治期台湾の都市景観~遺された『火災保険特殊地図』より~」が17日から、東京都千代田区の日比谷図書文化館で始まった。日のみならず、台湾の学界でもこれまで存在が知られていなかった貴重な地図資料「火災保険特殊地図」のほか、その他の地図資料や写真などが展示されている。 同館によると、火災保険特殊地図とは火災保険の料率算定のための基礎資料として、昭和初期~同30年代に民間会社によって作製された地図。今回展示されるのは、都市製図社によって1933~34(昭和8~9)年ごろに作製されたもので、第9代台湾総督を務めた内田嘉吉の蔵書を保管する内田嘉吉文庫(同館内)が所蔵している。 2月19日までは台北市の地図が、2月20日から3月19日までは高雄市、台南市、嘉義市などの地図が展示される。 また、2月18日には、日統治時代の台湾

    日本統治時代の台湾の都市景観を紹介 日比谷図書文化館で企画展 (2017年1月24日) - エキサイトニュース
  • 【満州文化物語(38)】世界レベルの建築物を残したのは 満鉄の若手社員=東京帝大建築学科卒の俊英らだった(1/2ページ)

    (37)に戻る 満州に日人が残した名建築の数々。それは当時の内地(日)をライバル視するのではなく、「世界」を目指したものだった。デザイン、アイデア、耐久性、利便性…世紀を越え、いまなお、現代中国で使われている建築物が多いのが何よりの証拠であろう。 担い手の中心は、満鉄(南満洲鉄道)の若き社員建築家たちであった。 日の満州経営の中核となった満鉄は鉄道だけでなく、炭鉱、製鉄、ホテル、調査などの事業・業務を手広く行い、昭和12(1937)年までは、地方行政の担い手として学校や病院を運営していた。 だから、満鉄の社員建築家が手掛けた建築物も駅舎に始まって、各地のヤマトホテル、学校校舎、病院、図書館、社宅…と驚くほど幅広い。「満鉄建築」と称される建築物だ。 日人が坂の上の雲を目指し、近代国家への道を猛スピードで駆け上っていたころ、満州は日の「生命線」であり「ショーウインドー」だった。才能と

    【満州文化物語(38)】世界レベルの建築物を残したのは 満鉄の若手社員=東京帝大建築学科卒の俊英らだった(1/2ページ)
  • JCIIフォトサロン:「秘蔵写真 伝えたかった中国・華北――京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真――」

    JCIIフォトサロン、JCIIクラブ25では、来る2016年11月29日(火)から12月25日(日)まで「秘蔵写真 伝えたかった中国・華北――京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真――」を開催します。 南満洲鉄道(満鉄)の流れを汲む華北交通(1939年4月設立)は、中国華北地方(北京、天津、徐州など)で鉄道、バス、水上交通などの開発と運営を行っていました。満鉄同様に日の国策に従う特殊会社で、旅客や資源の輸送を担い、日語グラフ誌『北支』『華北』編集や弘報写真の配信を通じて沿線開発や日中親和の様子を内外に伝えていました。1945年の日敗戦に伴って解散しましたが、近年になって同社の弘報用ストックフォト約3万5千枚が京都大学人科学研究所に保存されていることがわかりました。展は、1937年から1945年にかけて撮影された「華北交通写真」の初公開展です。 ストックフォトには、新線開発、愛路活

    tsysoba
    tsysoba 2016/11/17
    こんな写真が残ってるんだなあ。2016年11月29日~12月25日。