既に「オーストリア継承戦争」でチェコ・ポーランド国境地 帯「シュレージエン」地域を占領していたプロイセンだったが、1756年10月、フリードリヒ2世ははザクセン・オーストリア連合軍を先制攻撃によって撃破する。 ロボジッツの戦いと呼ばれる記念碑的な勝利だった。「七年戦争」の勃発である。 欧州大連合軍は人口にして8000万余、それに対してプロイセンはわずか400万程度の人口で、巨象と蟻の戦いのような七年戦争は、戦略の才に富む小国プロイセンが幸先のいいスタートを切った。 だが、しょせんは小国のこと、奇襲はいつまでもうまくいかない。そのまま南進を続けたプロイセンはチェコのプラハを包囲するが、オーストリア軍に撃破されてしまう。 さらに西からはフランス軍が応援に駆けつけ、プロイセンは窮地に立たされることとなる。 欧州でのプロイセンの味方は唯一つ、フランスと距離が近いハノーファーだけだった。だがこれには