国際ラグビーを日本に紹介した功労者、小林深緑郎さんを悼む 探求心と謙虚な姿勢…いつも学ばせていただいた 2024年9月6日 19時21分
国際ラグビーを日本に紹介した功労者、小林深緑郎さんを悼む 探求心と謙虚な姿勢…いつも学ばせていただいた 2024年9月6日 19時21分
アメリカで優れた報道をたたえるピュリツァー賞が発表され、特別賞にパレスチナ自治区ガザの情勢を取材する全ての記者が選ばれました。ピュリツァー賞の特別賞に選ばれたのは、特定の会社や個人ではなく、パレスチ…
2024年3月29日(金)、作家・ゲームデザイナーの山本弘氏が誤嚥性肺炎により68歳でご逝去されました。葬儀は近親者で営みました。 代表作に、第28回吉川英治文学新人賞ならびに第27回日本SF大賞候補となった『アイの物語』のほか、『神は沈黙せず』、〈MM9〉〈BISビブリオバトル部〉シリーズなどがあります。また、「と学会」初代会長をつとめ、〈トンデモ本〉ブームの先駆者としても知られています。 山本氏は1956年、京都府生まれ。京都市立洛陽工業高等学校卒業。78年、「スタンピード!」で第1回奇想天外SF新人賞佳作を受賞。88年『ラプラスの魔』で本格的に小説家デビューを果たします。その前年に設立されたクリエーター集団「グループSNE」の一員として、テーブルトークRPG〈ソード・ワールド〉の立ち上げに参画、〈サーラの冒険〉シリーズをはじめとする〈ソード・ワールド〉に基づく小説の執筆、テーブルトー
突っ張り一本やりの気っぷのいい相撲と、甘いマスクで一世を風靡(ふうび)した元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が17日、東京都内の病院で死去した。60歳だった。父が名関脇、3兄弟も関取で逆鉾との兄弟同時関脇も達成。通算出場など、数々の出場回数記録で歴代10傑入りするなど、116キロの細身の体ながら“鉄人”の異名も誇った。以前から不整脈など心臓に持病を抱えていた。先月の九州場所も全休して約2カ月間入院。その後退院し、復帰に向けてリハビリを続けてきたが、体調が急変した。 錣山親方の危篤の報を受け、弟子の小結阿炎(29)らは急きょ、冬巡業が開催されていた関西から帰京した。入院していた都内の病院で錣山親方は、関係者らにみとられたようだ。先月の九州場所も不整脈で入院し休場していた。昨年九州場所で愛弟子の阿炎が、錣山部屋史上初の幕内優勝を果たした時も心臓の病気で入院中だった。「心臓で入院しているのに
関係者によると、お笑いタレントの島崎俊郎さんが昨日亡くなったという。68歳だった。 島崎さんはお笑いトリオ「ヒップアップ」で、1980年代にはフジテレビの人気バラエティ番組「オレたちひょうきん族」などに出演し、「アダモちゃん」のキャラクターで人気を博してきた。 この記事に載せきれなかった画像を一覧でご覧いただけます。 ギャラリーページはこちら(11枚)
1980年代にテクノブームを巻き起こした伝説のバンド「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーで日本を代表するドラマーの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが亡くなったことが14日、分かった。70歳。東京都出身。死因や日時は明らかになっていない。2020年8月に脳腫瘍の摘出手術を受け、闘病中だった。高橋さんはYMOの音楽面だけでなく、赤い人民服など独特のファッションを打ち出すことで世界に衝撃を与えた。 【写真】昨年6月の誕生日翌日のインスタで公開した軽井沢で療養中の自身の姿 関係者によると、高橋さんは静養先の長野県軽井沢町で年明けに肺炎を患い、容体が悪化した。亡くなったのは今週とみられ、仕事仲間や親しかった人たちへの報告が始まっている。 20年初夏から断続的な頭痛に悩まされ、同年8月のMRI検査で脳腫瘍と判明。摘出手術は成功し、入院治療の全工程終了を報告した同10月のツイッター
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。 ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちらをご覧ください。 COPYRIGHT(C) Shonengahosha All Rights Reserved.
「マジンガーZ」など数々のアニメの主題歌を歌い、「アニメソングの帝王」とも呼ばれた歌手の水木一郎さんが12月6日、肺がんのため東京都内の病院で亡くなりました。 74歳でした。 水木さんは東京都出身で、1968年に歌謡曲の歌手としてデビューし、その3年後、テレビアニメ「原始少年リュウ」で初めてアニメの主題歌を担当しました。 その後、「マジンガーZ」の主題歌を歌い70万枚を売り上げる大ヒットとなったほか、「バビル2世」「宇宙海賊キャプテンハーロック」など人気アニメの主題歌や特撮ソングを数多く歌い、ファンからは「アニメソングの帝王」「アニキ」などと呼ばれ親しまれました。 また、日本のアニメが人気のフランスや中国など海外でも活躍し、2010年には「上海国際博覧会」でライブを行いました。 所属事務所によりますと水木さんは去年4月以降、肺がんの治療とリハビリをしながら精力的に音楽活動を続け、先月27日
独特のハスキーボイスとともに「ボヘミアン」のヒット曲などで知られる、歌手の葛城ユキ(かつらぎ・ゆき、本名・田中小夜子=たなか・さよこ)さんが27日午後2時16分、腹膜がんのため、都内の病院で死去した。73歳だった。岡山県出身。昨年4月にステージ4の腹膜がんを患っていることが判明。同年5月から治療を行っていた。 【写真】今年5月17日、車いす姿でステージ復帰を果たした葛城ユキさん 先月17日には、千葉・成田市内でユニットコンサートに登場しステージ復帰を果たした。昨年4月末以来、約1年1カ月ぶりの歌唱で、車いすに座ったまま「ローズ」を力強く歌い上げ、観客からの拍手に応えていた。葛城さんは「皆さまのおかげで、歌える葛城ユキに少し戻ることができました。まだ本来の姿ではありませんが、いつか戻れるよう元気にならないといけません。応援よろしくお願いします」と話していた。 葛城さんは1949年(昭和24年
「マジンガーZ」や「秘密戦隊ゴレンジャー」など、アニメや特撮作品の音楽を数多く手がけたことで知られる作曲家の渡辺宙明さんが今月23日、老衰のため東京都内の病院で亡くなりました。96歳でした。 渡辺さんは愛知県出身で、東京大学に在学中に作曲家を志し、国際的な作曲家として知られる團伊玖磨や諸井三郎のもとで作曲を学び、地元の名古屋市でラジオドラマの音楽を手がけ、作曲家としてデビューします。 その後、活動の拠点を東京に移して、映画音楽を手がけるようになり、1970年代以降は「マジンガーZ」や「秘密戦隊ゴレンジャー」など、アニメや特撮作品の音楽を数多く担当し、渡辺さんが織り成す独特のメロディーは「宙明節」と呼ばれ、国内外で高く評価されました。 90歳を超えてもなお作曲家として活躍を続け、渡辺さんが生み出した楽曲は世代を超えて多くの人たちに親しまれています。 関係者によりますと、渡辺さんは近年も仕事を
日経ビジネス電子版で「『ア・ピース・オブ・警句』~世間に転がる意味不明」、日経ビジネス本誌では「『pie in the sky』~ 絵に描いた餅べーション」を連載中のコラムニスト、小田嶋隆さんが亡くなりました。65歳でした。 小田嶋さんには、日経ビジネス電子版の前身である日経ビジネスオンラインの黎明(れいめい)期から看板コラムニストとして、支えていただきました。追悼の意を込めて、2021年11月12日に掲載した「晩年は誰のものでもない」を再掲します。 時の権力者だけでなく、社会に対して舌鋒(ぜっぽう)鋭く切り込む真のコラムニスト。その小田嶋さんがつむぐ1万字近い原稿を、短い言葉でどう表現するか。記事タイトルを短時間で考える担当編集者にとっては、連載の公開前日は勝負の1日でもありました。 再掲載するコラムは療養中の病室から送っていただいた原稿です。「晩年」という言葉やそれを何も考えずに使う社
名バイプレーヤーとして数々のドラマ、映画に出演した俳優蟹江敬三(かにえ・けいぞう、本名同じ)さんが胃がんのため3月30日、亡くなっていたことが4日、分かった。69歳。 東京都出身の蟹江さんは都立新宿高卒業後の65年に劇団青俳入りし、「あの日たち」で初舞台を踏んだ。66年にTBSドラマ「おかあさん」、67年に映画「あゝ同期の桜」に初出演した。 「熱中時代」「影の軍団」「鬼平犯科帳」など人気作の脇役として、シリアスからコミカルまで幅広い演技でドラマに欠かせない存在だった。「龍馬伝」などNHK大河ドラマに7作出演した。昨年のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」では、主人公の祖父を演じた。 今年1月から体調不良のためテレビ東京「ガイアの夜明け」のナレーションを休養していた。
2014年1月28日 平素は『KATSUYOレシピ』をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。 今日は悲しいお知らせがございます。 皆さまに長きにわたり親しまれてまいりました料理研究家小林カツ代は、2005年夏にクモ膜下出血を起こしたあと、ゆっくりと療養しながら、このサイトを日々楽しんで、静かに暮らしていましたが、去る1月23日(木)に家族が見守る中、安らかに天国へと旅立ちました。76歳でした。 ここに謹んで御報告申し上げますと共に、故人の快復を祈り待ち続けてくださったファンの皆様に厚く御礼申し上げます。 「日本のお母さん」として、家庭料理のレシピを通じてたくさんの笑顔を約50年に渡ってお届けして参りました。家庭料理を通して、笑顔あふれる毎日を過ごしていただく事が、故人の何よりの喜びでした。 生前、「私が死んじゃっても、美味しい私のレシピは永遠にそこの家の家庭料理として残るのが嬉し
13日午後8時45時ごろ、広島市中区基町の県立総合体育館アリーナで行われていたプロレスリング・ノア広島大会で、試合中に男性プロレスラーが倒れ、救急搬送された。 広島市消防局によると、男性は、心肺停止状態という。 大会関係者によると、男性はプロレスリング・ノア社長の三沢光晴さん(46)という。三沢さんは2代目タイガーマスクとして人気を集めた。 【関連ニュース】 昭和毎日:「プロレスごっこ」で死亡 1955年3月 腎臓がん克服:小橋建太さん「自分信じ生きる」 キン肉マニア:ミノワマンと夢の超人対決 必殺技連発、最後に“奇跡”が インリン様:ハッスル引退試合 感謝状:日立市消防本部、人命救助の3人に /茨城
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く