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歴史に関するtuneのブックマーク (14)

  • F1チームの複雑怪奇な歴史をまとめてみた

    モータースポーツの最高峰ともいわれる「フォーミュラ1(F1)」のマシンは最新の技術の結晶で、マシンの開発や維持などには多額の資金が必要です。資金を調達するためにF1チームが企業とスポンサー契約を締結しながらレースに出場する様子は「走る広告塔」と呼ばれることもあり、F1チームの歴史は企業の都合やブランド戦略に翻弄(ほんろう)されることとなります。そんなF1チームの歴史をF1情報専門のYouTubeチャンネル・WTF1がまとめました。 The Unusual History Of F1 Teams - YouTube フェラーリ・ウィリアムズ・マクラーレンなどの伝統的なチームは、登場時からずっと同じチームでした。 アストンマーチン・レッドブル・レーシングの場合は事情がもう少し複雑になります。 F1チームとしての出発は1997年に登場したスチュワート・グランプリから始まります。その後グリーンのチ

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    tune 2019/04/02
  • クラシコムがお手本にする「サンマリノ共和国」は何がすごい?マンリオ・カデロ大使に教わりました | クラシコム

    あなたには「なりたい」と思える人はいますか? 誰かを参考にして自分のことを考える。同じ様に「会社」のことを考えるとき、参考にするのは必ずしも「他の会社」だけではありません。 クラシコム代表の青木は「僕はサンマリノ共和国をモデルに会社を作っている」と話します。2012年にSNSへ投稿したメモが残っていましたが、長いあいだにわたって、その興味が続いているようです。青木は「彼らはニッチ戦略の真髄を突いている」とも言います。 ……そもそも、サンマリノ共和国とは? その国土は東京の世田谷区、もしくは十和田湖と同じくらい。人口約3万6千人が暮らす、世界で5番目に小さな国です。現在はイタリアの中にすっぽりと収まっていますが、実はサンマリノ共和国の方が歴史はずっと古く、紀元以来1700年以上続く世界最古の共和国(君主が存在しない国家)でもあります。 彼らは山の断崖に沿って築いた石造りの要塞を中心に、小さな

    クラシコムがお手本にする「サンマリノ共和国」は何がすごい?マンリオ・カデロ大使に教わりました | クラシコム
  • 「ワープロはいずれなくなるか?」という質問に30年前のメーカー各社はどう答えた?|@DIME アットダイム

    【プレーバック 平成元年】30年前のワープロ事情を蒸し返す 平成最後の年末・年始です。流行語大賞にはノミネートされませんでしたが、「平成最後の」はわりとメディアで使われた言葉じゃないでしょうか。というわけで、今から30年前の昭和63年、平成元年を「DIME」のバックナンバーで振り返ってみます。 30年前のDIMEの人気企画が、企業に質問し、その回答をそのまま紙面に掲載する「業界公開質問状」。「ワープロは、いずれなくなるのですか?」という問いに対する各社の回答が、今読むと衝撃的です(平成元年10月19日号)。 NEC「ワープロは文書を書く機械として特化されていますから、その必要性はなくならないんじゃないかな」 キヤノン「ワープロがパソコンに取り込まれることはないでしょう」 シャープ「人間の扱う道具は使いやすいことがいちばんだと思いますから、ワープロは文書専用機として残るでしょう」 東芝「そん

    「ワープロはいずれなくなるか?」という質問に30年前のメーカー各社はどう答えた?|@DIME アットダイム
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    tune 2019/01/02
    弊社昔から流れ読めてないな
  • 私の愛した給与所得者の扶養控除等(異動)申告書 - SmartHR Tech Blog

    こんにちは!SmartHR で主に被扶養者周りの開発を担当してる吉成です。 いよいよこの季節がやってきましたね!そう、年末調整です! 今回は SmartHR にある年末調整機能の開発に長年携わってきた私が、年末調整とは切っても切れない関係の「給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」についてお話します。 ぱっとみ難しい書類に見えるため、じっくりと眺めたことのある方はあまりいないのではないでしょうか。 この記事を読み終わる頃には、今年の年末調整が楽しみになること間違いなしです! では、早速はじめましょう! 出会い 年末調整との出会いは10年前。 当時アルバイトをしていたお店で店長に渡されたのが「平成20年 給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」通称「まるふ」です。 はじめは「なんだこれ…あ、え?なんだ…これ…」状態で言われるがまま記入していた「給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」ですが、今では

    私の愛した給与所得者の扶養控除等(異動)申告書 - SmartHR Tech Blog
    tune
    tune 2018/10/20
    地味に変化していることを初めて認識した
  • 日本100名城を全制覇したので自慢させてください

    100名城というものがある。全国に数多く存在する城郭の中から、2006年に財団法人日城郭協会が定めた100の名城だ。 選ばれた各城には専用のスタンプが設置されており、スタンプラリーを楽しむことが可能である。私は2008年から周り始めたのだが、今年でやっと全100城を制覇することができた。 当にようやく終わったという感じなので、ちょいとその道程を語らせてくださいな。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:九州の味「うまかっちゃん」5種べ比べ > 個人サイト 閑古鳥旅行Twitter

    日本100名城を全制覇したので自慢させてください
  • 暮しの手帖のすごさをネットサービスの設計者はみんな理解したほうがいい話|えの|note

    Service Design Advent Calendar 2017に、ちなんだ投稿です。 はじめまして!オリジナルライフという会社を運営してる榎です。 「消費者ジャーナリズムで産業の進化に貢献する」を会社のコンセプトにしています。実際にお金を払ってる消費者の当事者としての生の声や体験レポートの可視化を頑張っています。消費者ニーズによりそった先進的なサービスをやってる会社が勝ちやすく、チートを行なっている会社が勝ちにくくなる=『産業のサービス品質全体が進化する』世界を実現したいと思っています。 お手にしてきたのは、情報誌時代のリクルートのサービスデザインなんですが、全くもって真逆のメディアに見える、「暮しの手帖」が、『ユーザーニーズの可視化で産業の進化に貢献している』という点で共通だったのが、衝撃だったので、ここにご報告させていただきます。 暮しの手帖のすごさ①商品テストがすごい こ

    暮しの手帖のすごさをネットサービスの設計者はみんな理解したほうがいい話|えの|note
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    tune 2017/12/24
    過激なMONOQLOっぽい。
  • x.com

    x.com
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    tune 2017/10/06
    変化が常に起こっているので現在において、いまの先輩のことを真に受けても仕方がないし、自分自身が古い人にならないよう、常に変革の中で生きて欲しいというメッセージでした。
  • 「YAMAHAのコピペ」ってどこまで本当なの? ヤマハ本社に聞いてきた | i:Engineer(アイエンジニア)

    こんにちは。ヨッピーです。突然ですが皆さんは「ヤマハのコピペ」をご存じでしょうか。 ヤマハの歴史 ・最初は輸入ピアノの修理→楽器関係作る ・楽器やってた流れで電子楽器も作る→DSPも作る ・DSPを他に利用しようとして→ルーター作る という流れで、楽器、電子機器、ネットワーク関係の製品を作るようになった。 じゃ、なんで発動機や家具とかも作ってるかというと、 ・ピアノの修理で木工のノウハウが溜まる→家具を作る→住宅設備も作る ・戦時中に軍から「家具作ってるんだから木製のプロペラ作れるだろ」といわれて戦闘機のプロペラ作る→ついでにエンジンも作る ・エンジン作ったから→バイクも作る ・エンジン作ったから→船も作る→船体作るのにFRPを作る ・FRPを利用して→ウォータースライダー→ついでにプールも作る ・プールの水濁ったんで→浄水器作る ・失敗作の浄水器で藻が大繁殖→藻の養殖

    「YAMAHAのコピペ」ってどこまで本当なの? ヤマハ本社に聞いてきた | i:Engineer(アイエンジニア)
    tune
    tune 2016/10/01
    他の企業の歴史もヨッピーさんに紐解いてほしい。わかりやすかった。
  • 論文紹介: The Evolution of C Programming Practices: A Study of the Unix Operating System 1973–2015 - みずぴー日記

    ICSE 2016勉強会に参加するために論文リストを確認していたら、40年間のC言語のプラクティスの変遷を追った論文がおもしろかったので紹介する。 対象の論文 論文: The Evolution of C Programming Practices: A Study of the Unix Operating System 1973–2015 論文中で使われれたデータ: https://github.com/dspinellis/unix-history-repo 要約 過去40年間のUnixのソースコードを分析し、コーディングスタイルの変化を調査した。その結果、以下のことが分かった。 新しい言語機能は価値のあるものならば採用される レジスタ割り当てをコンパイラに任せるようになる スペースをどこにいれるかなどのコードの書き方が統一されていく 分析対象 1972年以降にリリースされた計66個

    論文紹介: The Evolution of C Programming Practices: A Study of the Unix Operating System 1973–2015 - みずぴー日記
  • 炎上の歴史とともに10周年、あの「ウェブ魚拓」創業者に会ってきた | HRナビ by リクルート

    ウェブページのアーカイブを記録するサービスとして長く愛されている「ウェブ魚拓」。なんと2015年でオープンから10周年を迎えたそうだ。ネットの(炎上の)歴史とともにじわじわとユーザー数を伸ばしてきた。 そもそも誰がなんのために作ったサービスなんだろう?と思っている人も多そうだが、じつは広告収益よりも課金サービスのほうが好調な、手堅くはっきりとしたニーズに支えられたネットサービスだ。 そんなウェブ魚拓のアイデアを生み出し、運営会社の創業者でもある新沼大樹さんにサービスを作ろうとした経緯や、思い出に残るネット炎上、そして知られざる新沼さんご人のワークスタイルについて聞いた。(取材場所は宮城県内にある新沼さん宅) ※ウェブ業界きっての肉体派・新沼さんの知られざる素顔に迫った後編はこちら。 消えていく不都合な情報、「もやもやする」気持ちがきっかけ ーーウェブ魚拓ってもう10周年になるんですね。そ

    炎上の歴史とともに10周年、あの「ウェブ魚拓」創業者に会ってきた | HRナビ by リクルート
  • MQTTのMQはMessage Queueではありません — そこはかとなく書くよん。 ドキュメント

    MQTTのMQはMessage Queueではありません¶ MQTT は "Message Queueing Telemetry Transport"の略である、との言説をたまに見かけます。しかし、使ったことがある方なら分かるように、MQTTには Queueの機能はありません 。MQTTのMQは Message Queueの略ではありません。 OASIS 標準となっている MQTT Version 3.1.1 ではMQTTはなにの略称かを明示していません。 また、 MQTTのWikipedia にも (formerly Message Queue Telemetry Transport) とあるようにかつては確かにMessage Queueだったけれど今は違う、と記されています。残念なことに、 OASISのTC の名前はMessage Queuingとなっていますが、これはTCを作った時の

  • Webサービス開発の変遷と現在

    フロントエンドのパラダイムを参考にバックエンド開発を再考する / TypeScript による GraphQL バックエンド開発

    Webサービス開発の変遷と現在
  • なぜ html の form は PUT / DELETE をサポートしないのか? - Block Rockin’ Codes

    注意 内容については一切保証しません。 ここでは、主に W3C ML での議論や各種仕様などに基づいて書いています。 ここに書かれていることが正しいかどうかは、自身で判断して下さい。 事実としておかしいところなどは、コメントでどんどん指摘して下さい。遠慮はいりません。 ただし、このエントリでは「form が PUT/DELETE をサポートするべきかどうか?」の議論はしません。 「REST の是非」や「PUT/DELETE の意義」についても議論する気はありません。 ここでやっているのは、あくまでもどういった議論の末現状があるのかの調査です。 そうした意見がある場合は、 W3C などに投稿するのが最も有益だと思います。 History 2014/03/29: 公開 2014/03/29: XForm と XHTML の関係を明確化(thanx koichik) 2014/03/29: HT

  • フィルム写真の終焉直前に業界の現場ではデジタルカメラなど眼中になかった - 日日平安part2

    100年以上の歴史ある銀塩写真が崩壊した要因は、デジタルカメラの需要がフィルムカメラを上回り、銀塩写真の必要性が失せたということである。だれもがご存知のことと思う。さて、そのときの業界の現場ではなにが起きていたのだろう。 それ以前のロールフィルムの需要はどうであったか。1990年代後半は出荷数が4億を超え、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)では、日国内で最多の約4億8283万を出荷していた。そして、デジタルカメラの普及で売り上げが激減。 全盛期の10年後である2008年(平成20年)には、10分の1近くの約5583万にまで落ち込んだ。 一部のフィルムメーカーでは倒産や写真フィルム事業からの撤退。存続のメーカーでもラインの縮小という事態に陥っている。カメラ用フィルムの製造には巨額の設備投資が必要なため、一度廃業すると再生産は極めて困難といわれている。 ちなみに、最盛

    フィルム写真の終焉直前に業界の現場ではデジタルカメラなど眼中になかった - 日日平安part2
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