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哲学と中世に関するtweakkのブックマーク (6)

  • ~博士の異名をもつ中世の哲学者

    山内士朗 (2008). 普遍論争: 近代の源流としての. 平凡社ライブラリー, 630. 平凡社. http://www.amazon.co.jp/dp/4582766307/ このに「中世哲学人名小事典」が含まれていて、便利です。 そこで挙げられているのは、以下の哲学者でした。 リルのアランとアルベルトゥス・マグヌスとがともにDoctor universalisだったりしています。 質問者さんの挙げてくださったものもありますが、訳語が異なることもあるので、すべて列挙しました。 Allan de Lille / Alanus de Insulis: Doctor universalis リルのアラン/アラヌス・デ・インスリス:全科博士 Albertus Magnus: Doctor universalis アルベルトゥス・マグヌス:全科博士 Alexander of Hales / A

    ~博士の異名をもつ中世の哲学者
  • オッカムを継ぐ者(大物)たち

    うーむと思わず唸ってしまう論考を読んだ。刊行が続いている講談社選書メチエの『西洋哲学史』Ⅳ巻(2012)所収の乗立雄輝「オッカムからヒュームへ」がそれ。従来のイギリス経験論vs大陸合理論とは違う、ブリティッシュ・ノミナリズムvsアメリカン・リアリズムという対立構図を提示して、オッカム、ロック、バークリ、ヒュームの流れを唯名論をキーとして整理し直すという、とても刺激的な試みを展開する(対立するアメリカ勢はパース、ジェイムズ、ホワイトヘッドなど……)。見取り図としてとても面白いっすね、これ。中身からちょっとメモしておこう。ヒュームの「習慣」(ハビトゥス)を遡ってとりあえず行き着くのはオッカムのハビトゥス論。オッカムは可知的形象を認めない代わりに、それが担うとされていた心理的な機能(想起など)を説明するため「習慣」(ハビトゥス)を導き入れる。これはヒュームが、因果関係の必然的結合を否定するために

    オッカムを継ぐ者(大物)たち
  • The Arabic, Hebrew and Latin Reception of Avicenna's Metaphysics

  • Amazon.co.jp: Das philosophische Denken im Mittelalter. Von Augustinus bis Machiavelli.: Flasch, Kurt: 本

  • スコトゥスの「共通本性」をめぐって。

    中世哲学のキー概念である「共通性」(natura communis)について繰り広げられたツイートをとぅぎゃってみたよ。スコトゥスの「(共通)性(/自然)」の問題→アヴィセンナ「馬性は馬性でしかない」(時々ライプニッツ登場)→天使の性としての共通性→共通性が問題なのではなく実体論の問題→アヴェロエス『形而上学』註解→アリストテレス『形而上学』Z巻を中心とする実体論の受容の問題→アヴェロエスを前提とする、トマスの『存在と質について』とスコトゥスの違いの問題、という流れみたい。

    スコトゥスの「共通本性」をめぐって。
  • 天使はなぜ堕落するのか : 池田信夫 blog

    2010年05月10日23:32 カテゴリ科学/文化 天使はなぜ堕落するのか 中世哲学といえば、誰も原典は読んだことのないマイナーな世界で、「針の上で天使が何人踊れるか」といった煩瑣な論争を続けていただけと思われているだろう。しかし書も強調するように「近代」を特権化することこそ近代に特有の偏狭な歴史観で、「中世」と呼ばれた時代と近代は連続している。特に哲学には、質的に「進歩」なんてなく、ある意味では古代ギリシャから人類は同じ問題を論じてきたのだ。 アウグスティヌスやトマス・アクィナスの時代の哲学はキリスト教神学の理論的体系化という傾向が強かったが、後期の中世哲学の主要なテーマは、普遍論争として知られる質と個物の関係だった。これは神学論争ではなく、現代の論理実証主義とポストモダン的な懐疑主義の関係に似ている。前者の代表がドゥンス・スコトゥスであり、後者の代表がウィリアム・オッカムであ

    天使はなぜ堕落するのか : 池田信夫 blog
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