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ブックマーク / kotobasm.hatenablog.jp (4)

  • 「ウエディング・ベル」とはいったいなんだったのか【Sugar】 - 昭和KOTOBASM

    寺尾聰の「ルビーの指環」が席巻した昭和56年。その11月に、ある女性3人組のコーラスグループが、「ウエディング・ベル」という歌でデビューした。そのグループこそがSugarである。 この曲はクリスマスあたりから徐々にテレビやラジオなどで聴こえ始めて、翌年の昭和57年には「ザ・ベストテン」にも登場するようになった。結果70万枚を売り上げる大ヒットとなる。 Sugarのすごいところは、もうデビューしたときから完成されているところだ。ふつうならばデビューしたしたばかりのころは、どこかまだヘタクソだったりするものだが、3人のコーラスワークは最初からバッチリだった。 しかしこの「ウエディング・ベル」の歌詞はひどい。なにがひどいって、ふつう前のカノジョを自分の結婚式に呼ぶだろうか。ありえない。実際いまこんなヤツが近くにいたら、小一時間はそいつにむかって説教することであろう。 Sugarは当時の千葉市立高

    「ウエディング・ベル」とはいったいなんだったのか【Sugar】 - 昭和KOTOBASM
  • 「ルビーの指環」とはいったいなんだったのか【寺尾聰】 - 昭和KOTOBASM

    7月16日は、作詞家・松隆の誕生日なのだとか。松隆といえば、作曲家・筒美京平とのコンビによる一連の太田裕美の歌もいいが、忘れてはならないのが、あの「ルビーの指環」を作詞したということである。 「ルビーの指環」は、昭和56年2月5日に発売され、徐々に売り上げを伸ばし、3月30日にオリコン1位を獲得する。あのTBSの歌番組「ザ・ベストテン」でも12週連続1位という番組最長記録を樹立する。 それどころか、「ルビーの指環」の前に発表された「SHADOW CITY」「出航 SASURAI」も相乗効果でヒットし、ザ・ベストテンで3曲同時にランクインしたとなどということもあった。 当時、子ども心に、ブラウン管に映るサングラスをかけた寺尾をみて、「カッコつけちゃってさあ、でも『おくさまは18歳』の海沼先生じゃん!」とか思ったものだ。当時再放送をやっていて、ドジで優しい笑顔の先生というイメージだったので

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  • つばめを動かす人たち【特急つばめ】 - 昭和KOTOBASM

    またプロ野球のハナシで恐縮だが、ヤクルトスワローズという球団がある。スワローの和訳はつばめである。タイガース(虎)やドラゴンズ(竜)など他の球団のチーム名は強そうなのに、なぜヤクルトはつばめなのか。 そのむかし。かれこれ50年以上も前のハナシになるが、ヤクルトの前の前の親会社は国鉄(厳密にいうと国鉄の外郭団体だが)だった。で、特急つばめからとって、愛称がスワローズになったのである。 特急つばめは、戦後初の国鉄特急で、東海道線・東京~大阪間を走った。昭和31年に東海道線が全線電化になるまで、蒸気機関車が特急の役割を担う。新幹線と比べたら非効率ではあるけれども、蒸気機関車にはえもいわれぬロマンがある。 女性乗務員による生のアナウンスなど、なんともぜいたくではないか。いまとなってはそれこそムダだといわれるだろうが、そのムダを懐かしんで楽しむ気持ちこそが、明日への活力と未来の希望を生むのだ。 と理

    つばめを動かす人たち【特急つばめ】 - 昭和KOTOBASM
  • 白いボールになって【エースをねらえ!】 - KOTOBASM

    いまや錦織圭選手の活躍もあって、日でも注目されているテニス。彼の影響もあって、テニスをやろうという子も増えたのではないだろうか。ただ昭和の時代も多大なる影響力で、テニスをやろうとする子を増やした存在がある。 それがマンガ「エースをねらえ!」である。アニメにもなったので、マンガは読んでないけどこっちは観たという昭和50年代少年少女もいるであろう。実は当管理人もこの作品の大ファンで、どちらもみていた。 アニメの方は昭和48年(すなわち当管理人の生まれた年)の放送なので、小学生のころに再放送で観ていた。昭和のころは、アニメの再放送がよくやっていたのだ。主題歌も大杉久美子さんのハツラツとした歌声がいまでも印象強く残っている。 エースをねらえ!OP&ED 投稿者 kabechoro ところで、オープニングの方の歌詞に、”私は飛ぼう 白いボールになって”という箇所がある。硬式テニスのボールって黄色じ

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